伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

死後の行き先 2

2009-09-08 10:24:18 | Weblog
人間が死ぬ時の状況は、人それぞれ違います。
最後の息を引き取る0.1秒の間に、壮大なドラマが展開しています。
私たちが現実界に生まれる時、母親と言う自分にとっての最初の先祖の一人から生まれました。
死ぬ時も、やはり今回の繋がりのある先祖が関与して来ます。
現実界と異世界を結ぶ架け橋には、先祖が関与するのです。
これは、「遺伝子の流れ」と言う肉体を持つ為には嫌でも繋がりを持たなければならない宿命で結ばれているからです。
死ぬ瞬間には、先祖霊が発光する球体となり意識の中でリアルに現れます。発光体が微かに記憶する先祖の一人に変化して見える人、会った事は無いのに明らかに先祖だと分かる人、発光体のままで人型には見えない人・・・いろいろなパターンがあります。
生前にたくさんの先祖霊を癒した人が死ぬ時は、たくさんの先祖霊が集団で迎えに来ます。
私たちは、先祖供養を先祖全体に対して線香3本していますが、その供養の行き先を采配しているのは、供養者に一番縁ある先祖霊の中で最も安心している先祖霊です。
その先祖霊を中心として供養で助けられた先祖霊たちや縁ある霊が、自分が死ぬ瞬間に迎えに来ます。浄土教の阿弥陀如来の御迎えの図も、決して嘘ではありません。ただ、あのような仏像の姿はしていません。
光の固まりか、形象を持ったとしても先祖の人姿です。これは人類共通の事です。
先祖霊のお迎えを受けた人の死に顔は、安らかな顔をしています。例え事故などで惨死しても、
0.1秒の間に救われて安心した死に顔に成ります。それから、魂の死後の行き先を決めるバルドォの49日間を過ごす為に、現実界に重なる空間へと移動します。
普通の人生を送れば、無信仰であっても必ず先祖霊の最低1名は、遺伝子の繋がり故に迎えに来るものです。
しかし、少ない先祖霊の迎えでは、発光する光の量が少ないので、魂が肉体を離れる時に痛みを感じるかも知れません。
たくさんの集団で先祖霊が迎えに来た時の黄金色の発光は、凄いものです。この光に包まれた時は、大安心の心境に成り、何も恐怖を感じません。肉体から魂が乖離するのも無痛のままスムーズに進みます。
問題は、自分の生前の行いにより先祖が迎えに来ても、先祖の光を認識できない場合があります。この場合は、死んだ場所に魂が留まるものです。無理に肉体から魂が離れる為に、死んだ時の苦痛のまま死後も場所に留まります。死後は、自分の意識が好きな場所に移動出来たのが、時間経過と共に段々と移動出来なく成り、限定された現実界の場所に縛られる状態に成ります。その魂の移動手段は、生きる人に憑依するしかありません。
また、教団などに関り、たくさんの困る人々から金銭を搾取し、家庭の時間を潰させ、子供たちの運命をも変えさせた人々や悪徳霊能者は、死ぬ時に教団維持霊や便利を得た背後の魔物からの御迎えを受けます。この魂には、バルドォの49日間も与えられない様です。    ・・・続く。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (735)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする