伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自分の良心を信じる事

2009-09-26 10:33:22 | Weblog
家族と同居している人は、たとえ親子でも信仰について親に強制をしては生けません。
特に自分がまだ生活費を稼ぐことが出来ずに、親の世話に成っている時は尚更です。普段の肩身が狭く感じている自意識が、親の知らない信仰の事で揚げ足を取るような批判をさせるものです。自分の卑屈な精神のストレス発散の手段が、信仰の強制では絶対に生けません。
また、親が集金宗教に入り、教団のエサにされている場合は、伊勢白山道のような考え方も有る事を言うのは良いですが、縁を示す意味で数回も言えば十分です。
親子と言えども、全員それぞれが魂の旅人です。
どんな人生を歩むのかは、本人の普段の思考と努力が縁を呼びます。
本当に実践力を持つ信仰を自分自身が持てば、親の信仰の影響を自分が受けませんし、親が死んで苦しい世界へ行ったとしても、救い出す事が出来ます。

夫婦で同居する場合も、争ってまでして先祖供養をしては生けません。先祖霊に感謝の気持ちだけを捧げる事が難しく成ります。先祖に向けた行為と感情が、合わせ鏡の様に自分に反映します。先祖供養をも嫌がる相手を選んだのは、自分が持つ縁です。
縁とは、本当に絶妙なモノです。普段からの自分自身が持つ思考と行動が、今と未来に現れる縁を構成して行きます。
縁を示されても自身の心の段階が未熟ならば、縁に気付くことは出来ません。
伊勢白山道も他人に強要すれば、タダの新興宗教と同じです。伊勢白山道とは、自分の心に神様を見る「自分教」への道です。1度でも内容を知らされれば、縁により理解される道です。

先祖の苦しい波動を受けながら生きるのも人生です。
先祖の薄い守護の中で、落とし穴に満ちた世間を泳ぐ選択をしてしまうのも縁です。
ただ絶対に言える事は、全員が平等に一人裸で死んで行くのです。不器用に人生を歩んだとしても、自分の心に神様が居る事を最後まで認めながら生きた人生は、最高の人生です。
何も慌てる事はありません。


生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (617)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする