すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【森保ジャパン】選手の自主性でできること、できないこと

2020-11-28 06:01:18 | サッカー戦術論
意思統一が必要な集団プレイ

 森保ジャパンでずっと気になっていることがある。

 それは相手チームの最終ラインがボールを保持してビルドアップしようとしている際のハイプレス(のハメ方)がひとつ。

 そしてもうひとつは、味方が高い位置でボールを失ったときにボールを即時奪回しようとするカウンタープレス(ゲーゲンプレッシング)である。

 ハイプレスやカウンタープレスは、当然ながら複数の選手が意思統一し、同じ共通認識がなければできないプレイだ。

 だが森保ジャパンの試合を見ていると、大迫と南野がいるときは前からハイプレスやカウンタープレスを行い、いないときには行わない。

 そして行わない場合は、高い位置でボールを失うとプレスなしで全体がリトリート(後退)している。

 不思議な話だ。

 当然だが、ハイプレスやカウンタープレスは大迫と南野の2人だけでやるプレイじゃない。

 想像だが、これは大迫と南野に前からプレスをかける強い意識があり、ゆえに彼らが試合に出るときにはほかの選手に声をかけ、彼ら2人が自主的に指示しているのだと思われる。だから、できるのだ。

「これは草サッカーのチームなのか?」とあきれてしまう。

監督がプレー原則を示しておく必要がある

 繰り返しになるが、彼ら2人だけにその意識があるだけではうまくいかない。

 例えばある選手は前からプレスをかけたが、ある選手はプレスをかけずにリトリートした、なんてことになったら目も当てられない。

 とすれば相手チームの最終ラインがボールを保持しているときにはハイプレスをかける(または特定の相手や特定の時間帯、点差によっては、かけない)。

 また高い位置でボールを失ったらカウンタープレスする(同上)、などと、複数の選手がハイプレスやカウンタープレスを行う際の「プレー原則」(約束事)を認識しておく必要がある。

 つまり大迫と南野がいれば勝手にそうなるが、いなければそうならない、というのでは困るのだ。監督が「うちのチームはこうプレーする」と、きっちりプレー原則を事前に示しておく必要がある。

自陣での組織的プレッシングにもルールがある

 もちろん高い位置でプレッシングするのでなく、逆にリトリートする場合にはミドルサードまでか? それともディフェンディング・サードまで後退するのか? というような約束事にしても同じだ。

 さらには引いた位置での組織的守備にも決まりごとがある。

 例えば先日のメキシコ戦では、日本は攻撃時には4-2-3-1、守備時には4-4-2になる、という約束事があった。

 で、初めは、日本が守備に回って組織的プレッシングの局面になれば、鈴木武蔵と鎌田が2人で横に並んでビルドアップする敵の2人のCBにプレスをかけていた。

 ところが途中で数人のメンバー交代があり、武蔵と鎌田が退いて南野がワントップに入ってからは南野が敵のCBに1人だけでプレッシングしていた。

 果たして「チームとして」はどちらのやり方が正しいのか?

 ひとつのセオリーとして、2トップが中にポジショニングし、敵のアンカーへのパスコースを切りながらスライドする方法がある。

 すなわちボールホルダーの敵CBにFWがつき、敵CBがドリブルで前進できるコースを切る。

 で、もう1人のFWは、敵のアンカーをマークする。こうして敵CBの2人とアンカーの計3人を2トップでスライドしながら防ぐ方法だ。

 では「チームとして」は、どちらのやり方をしようとしているのか?

 判然としない。

 なぜか?

 当然、監督が選手に指示してないからだ。

 こうした意思統一は選手まかせでは絶対にできない。現に選手まかせだったから、ああなってしまったのだ。

指針がなければ烏合の衆だ

 サッカーでは一事が万事このとおりで、複数の選手が共通認識を持ち、同じ意図に基づいて同じ方向性でプレーできなければ試合が成立しない局面が必ずある。

 ところが森保ジャパンでは、これが「選手まかせ」になっている可能性が非常に高い。

 致命的である。

 選手個々の自覚を促し選手の自主性やインスピレーションにまかせる、といえば聞こえはいいが、裏を返せば監督の職場放棄だ。

 サッカーには、選手まかせではできることとできないことがある。

 このことはハッキリ認識しておくべきだ。

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