のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元という考え方について(認識論)7

2023-05-14 | 5次元宇宙に生きる(心)

のしてんてん  孫と青梅 キャンバスに鉛筆

 

 

時には痛切な批判がやってきます

 

<問>

ここにスーパーカーがあるとしたら

あなたの言っていることは

延々とその機能を述べ立てるいわば取説だね。

どうでもいいじゃないのそんなこと

それよりスーパーカーを乗りこなして

好きなことろに行けばいいじゃないか。

<答>

返す言葉もありません。

人生の最良の生き方は

己を気にせず

己を生きることですから。

 

そして私だって

スーパーカーを自在に乗りこなす

たくさんの人達を知っていますから、なおのことです。

私はそんな人を最良の人と思っています。

人はそうあればいいのです。

 

ただ私が言っていることは

スーパーカーの話ではありません。

スーパーカーの次元を超えた空という乗り物の可能性を話しているのです。

取説というより、取り扱う前の、それは新たな出会いのきっかけを探っているということなのです。

 

スーパーカーを乗りこなすあなたならなおのこと

新たな次元に目を向ける機会と思っていただけたら幸いです。

●●

 

五次元(新たな認識能力について)

第七章 五次元と呼吸

 

五次元思考から空体が見えてくる

それは今までも触れてきたことであるが、概略だけ書いておこう。

 

(四次元の自分)

普通、私達の持っている自分という意識は

心と体を指していて、心身両面をみているのである。

精神的に幼いころは身と心がちぐはぐなのだが、

やがて長じて心身を統一的にとらえられるようになる。

様々な道と名付けられた探求者にとっては

心を空と融合させる境地に達する。

しかしあくまで心は

身体に宿るものという理解だったり

空のその先を観ようとするものは、ある例外を除いてなかったのである。

空は自分に対して、自分ではない存在からやってくる程度の理解しかなかったと言えるのである。

つまり心身の心の方は、曖昧模糊としたまま、身体を認識主体としていたのである。

 

(五次元の自分)

ところが五次元思考でスケールの概念を知ると

曖昧模糊としていた心が、空という理解で

より具体的な姿を見ることになる。

例えばこういうことだ。

空はスケールの世界で見ると、自分と自分でない部分を区切ることが出来ないことが分かった。

空はどこまで行っても空であり、どんな小さな世界に行っても同じ空が存在するのだ。

スケールの影響で物質は見え方を変えるけれども

空の方は全く見え方を変えないのだ。

同じようにスケールの影響を受けても、その本質である波動の波長が変わるだけで、それは空のままなのだ。

ここに、空を切り分けられない理由があったのである。

 

(空体と身体)

かくして五次元思考では、自分という存在をより厳格に認識することになる。

すなわち自分という存在は、身体と空体の相互関係によって成り立っているということだ。

空体とは、決して切り分けられない空のことで、それは全宇宙に拡がる空間と考える以外にはないのである。

そして身体とは、今までの認識をそのまま使うとすれば、この体を創造する素粒子宇宙(素粒子+空間)ということになる。

 

身体=体内の素粒子宇宙と考えれば、その体内空間をどう考えるのかということになるが、

もちろん体外空間と切り分けることが出来ない存在、すなわち空体の一部と考えるしかないだろう。

少しイメージを膨らませてみると、体内空間は、空が物質の体内に根を張っている様子だと思い浮かべることが出来る。

すると空の姿が見えてくるのだ

具体的な空の働きと運動がわかるのである。

その端的な表れが呼吸なのである。

 

(五次元での呼吸のとらえ方)

空は、身体を創造し命を吹き込んで身体を育み、成長を促している。

その働きを体外空間と体内空間の連動によって支えていると考えられるのである。

そしてそれが呼吸というものなのだ。

下図はそれを表している。

図は前回の呼吸記述の際に紹介しているので、合わせ前回記事も参照

 

身体を作っている袋の中が素粒子の小宇宙であり、そこに小スケールの空間がある。(黒で描いた袋の中の図)

その外には身体を包み天体を浮かべている空間がる。これが大スケールの空間になる。(袋の外側の図)

この双方の空間は、いかなる隔壁も存在しえないただ一つの空なのである。

すなわちこれが空体なのだ。

 

(呼吸の普遍的な流れ)

その空体の働く流れが図の①~③にあらわした呼吸の図なのである。

①空体から身体内部に酸素を送り込む

②酸素が小空間と反応し、身体が成長

③発生した不要な二酸化炭素を、排出

 

(認識主体から見る呼吸の流れの違い)

<身体が主体の場合> 上の①~③の流れを「身体」の側から見ると

①空気を体内に取り込む       (吸う息

②体内の養分を燃やしてエネルギーを得る(置換)

③汚れた空気を体外に出す      (吐く息

(身体が自ら生きるための構図に見える)

 

<空体が主体の場合> 同じ①~③の流れを「空体」の側から見ると

①空気を体内に送り込み活性化させる (吐く息

②生命活動で毒素が発生する      (置換)

③毒素を吸い取り生命を安定させる  (吸う息

(身体の命を育み成長させる営みに見える)

 

こうしてみる限り呼吸は

身体と空体では行為の意味が完全に逆転しているのである。

これは認識論の真骨頂であろう

認識主体によって認識される世界は主体によって逆転さえするのである。

今の世界情勢を見てもそれはよくわかるだろう。

 

(認識論の効能)

ところでこの逆転現象は意外にも素晴らしい効果をもたらすのである。

それは何かと言えば、空を体験するためのスイッチになるということである。

空を体験するにはどうすればいいか。

それは認識主体を身体から空体に切り替えるスイッチを押せばいい。

そのスイッチが呼吸の認識にあるということなのだ。

 

身体から見たら吸う息の時、

「これは吐く息」だと想像してみる

すると突然、空体が身体に向かって空気を吹き込んでくるように思える。

そう思ったとたん、意識は空体を認識しているのである。

呼吸を意識することで、自分は身体なのか空体なのかを選別できる。

認識を変えることで私達は空体を体感して 

空体から見る世界を知ることが出来るのである。

 

五次元の認識世界は

こうして呼吸の認識を変えることによって体験できるのである。

これは認識論の効能と言っていいだろう。

 

(もう一つの半身)

空体による自分理解は、実は今まで不明だった自分の半身を明らかにすることでもある。

自分の半身はどこにあるのか。あるいは自分の裏側が分からない。

私達にはその思いが常にあった。

自分はどこからきてどこに行くのかという疑問は

その分からない半身を探し求める声でもあったのである。

半身が見えず不安を抱き続けてきたと言っても間違いはないだろう。

上の図を見ても明らかなように、

その探し求めてきた自分の半身がはっきりと表れているのだ。

それが空体の気の流れの中にある。

身体の存在は明らかに半身だが、空体はその半身を一つにする。

空体は、私達の隠された半身であったのだ。

つまり

五次元は、自分存在を一つの完全な形として思い描くことが出来るのである。

自分が宇宙と一体になっている実感をつかむことが出来るのである。

 

 

次回予告

(第八章 空体の実践)

 

空体を知ることで私達は自分の隠された半身に出会う。

しかし空体を実感できなければ

この認識論は絵にかいた餅に過ぎない。

次回その方法論を展開してみたい。

 

 

 

 


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