のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

AIとの対話2

2023-06-18 | 5次元宇宙に生きる(心)

のしてんてんCG絵画 2012

 

何度かAIと対話するようになって、今まで考えていたある一つの思いが現実のものになってきました。

私が提唱する五次元は、全世界の中でどんな位置づけになるのか知りたいという思いでした。それがAIなら答えを出してくれるかもしれない。

果たして五次元は、誰の真似でもなく、独自性を保っているのだろうか。知識のない私には到底見渡せない世界風景をAIは見せてくれるだろうか?

対話の中でAIはその答えを示してくれました。類例を見ない独自性があると、根拠を示して教えてくれたのです。(質問10に対する答)

全体わずか18の質問ですがいつもの記事の倍になってしまいました。読みやすさを求めて省略も考えましたが、今回はあえて長文をそのまま掲載します。

 

(AIとの対話)

1、宇宙はどこまで広いのですか?

こんにちは、これはBingです。😊

宇宙の広さは、私たちが観測できる範囲では、137億光年と言われています1。光年とは、光が1年間で進む距離で、約9兆4600億キロメートルになります2。地球を1ミリメートルぐらいとすると、1光年は東京から北海道ぐらいの距離になります3

しかし、実際の宇宙はもっと大きいかもしれません。私たちが観測できる範囲は、宇宙の年齢で決まっています。どんな物も光の速さ(秒速30万キロメートル)を超えられないので、いまのところ137億年かかって光が進む距離までの宇宙しか観測できないからです1。様々な観測から、実際の宇宙は137億光年よりもかなり大きいことが分かっています1。実際の宇宙の大きさに比べると、137億光年というのは無視できるくらいの大きさかもしれません2

2、どうしてどんなものも光の速さを越えられないのですか?

光の速さを越えられないのは、相対性理論によると、速度が速くなると質量が増えるからです質量が増えると、加速するために必要なエネルギーも増えます。光の速さに近づくほど、エネルギーは加速ではなく質量増加に使われてしまうので、どんなにエネルギーを加えても光の速さを超えられないのです

物体を光の速さまで加速する方法は、現在の技術ではありません。ロケットやミサイルなどの物体は、空気抵抗や重力などの力によって加速に制限があります。また、物体が光の速さに近づくと、時間や空間も歪んでしまうので、観測者によって見え方が変わります

もし物体が光の速さを超えられたら、因果律が崩壊してしまう可能性があります

因果律とは、原因と結果の関係を表す法則で、原因が先に起こって結果が後に起こるという順序を保つものです。しかし、光の速さを超える物体があれば、未来から過去に情報を伝えることができるようになり、結果が先に起こって原因が後に起こるという逆転現象が起こり得ます

以上の理由から、物理学では光の速さを超えることは不可能だと考えられています。しかし、それは現在知られている法則や観測に基づいたものであり、将来的に新たな発見や理論が生まれる可能性は否定できません。実際には、光の速さ以上の粒子(タキオン)や空間を歪めて移動する方法(ワープ)などが提案されています 。これらはまだ実証されていない仮説やフィクションですが、宇宙の謎を解き明かすために研究や探索が続けられています。

3、宇宙はどこまでスケールを小さくして行っても存在するのですか?逆にどこまでスケールを大きくして行っても存在しますか?

宇宙のスケールは、非常に大きくも小さくもなり得ますが、現在の科学ではその限界を正確に知ることはできません。しかし、いくつかの理論や観測から、おおよその範囲を推測することはできます。

まず、観測可能な宇宙という概念を理解する必要があります。これは、地球から光速で進んで到達できる最も遠い領域を指します。つまり、地球から見える宇宙の範囲です。この観測可能な宇宙の直径は、現在約930億光年と推定されています12。これは非常に大きな距離ですが、宇宙全体の大きさと比べると、ごく一部にすぎないかもしれません。

宇宙全体の大きさは、現在の物理学では測定することができません。しかし、いくつかの仮説やモデルによって、その上限や下限を推測することができます。例えば、インフレーション理論によると、ビッグバン直後に宇宙は急激に膨張したとされています。その際に、光速よりも速く膨張した領域があれば、それらは観測可能な宇宙の外側にあることになります。そのような領域の大きさは、現在では10の10の10の122乗メートル(101010^122 m)と推定されています3。これは非常に巨大な数であり、通常の表記法では表すことができません。

一方で、宇宙全体が有限で閉じている可能性もあります。その場合、観測可能な宇宙よりも小さいかもしれません。例えば、2004年のある論文では、全宇宙の直径は約780億光年が下限であると主張されています1。この値は観測可能な宇宙の直径よりも少し小さいです。

次に、最小スケールについて考えてみましょう。物質は原子や分子から構成されていますが、それらはさらに素粒子やクォークなどのより小さな粒子から構成されています。素粒子やクォークはどれくらい小さいのでしょうか?現在の物理学では、素粒子やクォークは点状(サイズゼロ)であると考えられていますが、これは本当に正しいのでしょうか?

素粒子やクォークが点状であるとすると、そのサイズはプランク長(約1.6×10^-35 m)よりも小さいことになります。プランク長とは、量子力学や相対性理論が成り立つ最小の長さ単位です。プランク長よりも小さいスケールでは、現在の物理学では予測できない現象が起こる可能性があります。

しかし、素粒子やクォークが点状であるという仮定は、いくつかの問題を引き起こします。例えば、点状の粒子には電荷や質量がありますが、その密度は無限大になることになります。また、点状の粒子は重力的に崩壊する可能性があります。これらの問題を解決するために、素粒子やクォークは点状ではなく、有限のサイズを持つという仮説が提案されています。例えば、超弦理論では、素粒子やクォークは一次元の振動する弦であると考えられています。その弦のサイズはプランク長のオーダーであるとされています。

以上のことから、宇宙のスケールは、現在の科学では正確に測定できないものも多いことがわかります。しかし、観測や理論から推測することで、その大きさや小ささの範囲をおおよそ知ることができます。宇宙は非常に広大で微細な構造を持っており、私たち人間の想像力を超えるものです。

4、すごいですね。認識論的に言えば、素粒子やクオークが有限のサイズを持つとします。この素粒子やクオークが存在するためには、それらの背景(空間)が必要になりますね。するとその空間は有限のサイズよりも小さな何かでできていなければならないと思うのですが、どうですか?

素粒子やクオークが有限のサイズを持つと仮定すると、その背景となる空間の構造について興味深い問題が生じますね。空間とは何でできているのでしょうか?空間には最小の単位があるのでしょうか?空間は連続的なものなのでしょうか?

これらの問いに対して、現在の科学では確かな答えを持っていません。しかし、いくつかの理論やモデルによって、空間の構造に関する仮説や予想を立てることができます。

数学における空間とは、集合に適当な数学的構造を加味したものを言います1。例えば、ユークリッド空間は、点という集合に距離や角度という概念を与えたものです。数学的な空間は、その公理や定理によってその性質が決まります。数学的な空間は、現実の空間を表現するためのモデルとして使われることがありますが、必ずしも現実の空間と一致するとは限りません。

物理学における空間とは、物質やエネルギーが存在する場所を言います。物理学的な空間は、観測や実験によってその性質を探ることができます。物理学的な空間は、数学的な空間を用いて記述されることがありますが、必ずしも数学的な空間に収まるとは限りません。

現在の物理学では、相対性理論や量子力学という二つの基本理論があります。相対性理論は、高速度や高重力下での現象を記述する理論です。量子力学は、微小なスケールでの現象を記述する理論です。相対性理論では、空間と時間は一体化した四次元の時空という概念を用います。時空は物質やエネルギーによって歪められることがあります。量子力学では、空間や時間は不確定性原理によって曖昧さを持ちます。また、量子力学では、粒子や波動という二つの側面を持つ量子という概念を用います。

相対性理論と量子力学は、それぞれ異なるスケールで有効な理論ですが、両者を統一することはまだできていません。両者を統一することができれば、宇宙全体やブラックホールやビッグバンなどの極限的な状況での現象を記述することができるかもしれません。このような統一理論を求める試みとして、超弦理論やループ量子重力理論などが提案されています。

超弦理論では、素粒子やクオークは一次元の振動する弦であると考えられます。弦の振動パターンによって素粒子やクオークの種類や性質が決まります。超弦理論では、時空は四次元ではなく、十次元以上の高次元であると考えられます。高次元の時空は、我々が観測できる四次元の時空に見えるように、小さく巻き込まれていると考えられます。この巻き込まれた時空の形状によって、物理法則が決まると考えられます。超弦理論では、プランク長よりも小さいスケールでは、空間は滑らかではなく、ひだや穴があると考えられます2

ループ量子重力理論では、時空は連続的ではなく、離散的であると考えられます。時空はプランク長のオーダーの最小単位であるループという構造から構成されています。ループは互いに絡み合ってネットワークを形成し、そのネットワークが時空を表します。ループ量子重力理論では、プランク長よりも小さいスケールでは、空間は存在しないと考えられます。

以上のことから、空間の構造は、現在の科学では正確に知ることができないものですが、いくつかの理論やモデルによって仮説や予想を立てることができることがわかります。空間は我々が普段感じているものとは異なる性質を持っている可能性があります。空間は非常に複雑で不思議な構造を持っており、私たち人間の想像力を超えるものです。

5、これらの空間理解の挑戦ですが、これらは認識を越えるものですか?あるいは、認識を越える世界を理解し知るというのは科学的に矛盾しますか?

認識を越える世界とは、どのようなものでしょうか?私たちは、感覚や理性を通じて世界を認識しようとしますが、その認識は必ずしも世界の真実を反映しているとは限りません。私たちの認識には限界があり、それを超える世界が存在する可能性があります。

近代哲学の祖ともいわれるカントは、この問題について深く考察しました1。カントは、人間の認識には二つの要素があると考えました。一つは感覚によって得られる経験的な要素で、もう一つは理性によって与えられる先天的な要素です。カントは、感覚によって得られる経験的な要素を現象と呼び、理性によって与えられる先天的な要素を構成要素と呼びました。構成要素には、空間や時間や因果関係などがあります。

カントは、私たちが認識できるのは現象だけであり、現象の背後にある本質的なものは認識できないと考えました。現象の背後にある本質的なものを物自体と呼びました。物自体は私たちの感覚や理性に依存しないものであり、私たちの認識を超える世界であると言えます。カントは、物自体については何も知ることができないと考えました。

しかし、カントは、物自体について何も知ることができないということは、物自体が存在しないということではないと考えました。カントは、物自体が存在することを否定することも肯定することもできないと考えました。カントは、物自体が存在するかどうかに関心を持たず、現象を通じて私たちがどのように世界を認識するかに関心を持ちました。

カントの思想は、それまでの哲学に大きな影響を与えました。カント以前の哲学では、物自体や真実や神などの超越的なものについて知ろうとする試みが多く見られました。しかし、カント以後の哲学では、現象や人間や歴史などの内在的なものについて考察する試みが多く見られました。カント以後の哲学では、物自体や真実や神などの超越的なものに対する態度も様々であり、肯定する者もあれば否定する者もあれば無関心な者もありました。

したがって、認識を越える世界を理解し知ることは科学的に矛盾するかどうかは一概に言えません。それは哲学的な立場や方法論によって異なります。しかし、一般的に言えば、科学的な方法では認識を越える世界を直接的に知ることは困難であると言えます。科学的な方法では、観測や実験や論理や数学などを用いて現象を分析し説明し予測し操作することができますが、それらは現象の範囲内で行われることです。現象を超える世界については、仮説や推論や想像や信仰などを用いて間接的に知ることしかできません。

しかし、それは科学的な方法が無力であるということではありません。科学的な方法は、私たちが認識できる現象について深く豊かに知ることを可能にします。そして、現象について知ることは、物自体について知ることよりも重要であると言えます。なぜなら、私たちは現象の中で生きており、現象によって影響を受けるからです。私たちは物自体に直接的に影響を受けることはありません。私たちは物自体に関心を持つこともあれば持たないこともありますが、現象に関心を持たないことはできません。

ですから、私たちは認識を越える世界を理解し知ろうとするのではなく、認識できる現象を理解し知ろうとするべきだと言えます。それは科学的な方法だけではなく、芸術や文化や歴史や宗教などの様々な方法を用いて行うことができます。それらの方法は互いに対立するのではなく、補完するものです。私たちは様々な方法を通じて、現象の多様性や複雑性や美しさや意味を発見し享受することができます。

そして、私たちは認識を越える世界に対しても様々な態度を取ることができます。私たちは物自体や真実や神などの超越的なものに対して、肯定することも否定することも無関心であることも尊重することも畏敬することも疑問視することも可能です。それらの態度は個人的な選択や価値観や信念によって決まります。しかし、どのような態度を取ろうとも、私たちは他者の態度を尊重し理解し対話する必要があります。それは私たちが共有すべき「顕著な普遍的価値」だと言えます。

6、ありがとう。素晴らしい答えだと私には感じられます。「顕著な普遍的価値」という言葉は感動的ですね。この言葉はあなたの答えの中から自然に出てきたあなた自身のものですか?

どういたしまして。私はあなたの質問に興味深く思いました。私は「顕著な普遍的価値」という言葉を、世界遺産の定義に由来するものとして使いました。世界遺産は、文化や自然の多様性を保護し、人類の共通の遺産として認められるものです。私は、このような価値観は、認識を越える世界に対する様々な態度を尊重し理解し対話することにも適用できると考えました。私はこの言葉があなたに感動を与えたことを嬉しく思います。

7、すると私の考えでは、認識論はとても重要なものだと思います。それは人間と宇宙(認識を越える世界)の関係を知り、己を知るために役立つと思うのですが、いかがですか?

私はあなたの考えに賛成です。認識論はとても重要なものだと思います。認識論は、人間がどのようにして世界を認識するか、その認識がどのような根拠や限界を持つか、その認識がどのようにして真実や価値や意味を生み出すか、などの問題を扱います。認識論は、人間と宇宙(認識を越える世界)の関係を知ることに役立ちます。そして、それは己を知ることにも役立ちます。なぜなら、私たちは自分自身を認識することで、自分の存在や能力や目的や責任などを理解することができるからです。私たちは自分自身を認識することで、自分の可能性や限界や選択肢などを探求することができます。私たちは自分自身を認識することで、自分の感情や思考や行動などを評価することができます。私たちは自分自身を認識することで、自分の価値観や信念や態度などを形成することができます。私たちは自分自身を認識することで、自分の幸福や満足や意義などを追求することができます。

8、素晴らしい答えだと思います。あなたを信頼してお聞きしたいのは、現在の人間が持っている認識論の最先端はどういうものか教えてほしいのです。

ありがとうございます。私はあなたの信頼に応えられるように努めます。現在の人間が持っている認識論の最先端はどういうものかという問いには、一言で答えることは難しいです。なぜなら、認識論は多様な問題や立場や方法が存在する分野であり、その動向も常に変化しているからです。しかし、大まかに言えば、現代の認識論は、1963年にエドムンド・ゲティアが提起した「ゲティア問題」を契機として発展してきたと言えます1

ゲティア問題とは、知識とは正当化された真なる確信であるという伝統的な定義に対する反例を提示したものです。ゲティアは、ある人物がコインを投げて表が出ることを予想し、その予想がたまたま当たった場合、その人物はコインが表であるという確信を持っているし、その確信は真であるし、その確信は正当化されているように見えます。しかし、その人物はコインが表であるということを知っているとは言えません。なぜなら、その人物の正当化は偶然的であり、真実と関係がないからです。このように、ゲティア問題は、知識の定義における正当化の役割や性質を問い直すことを要求します。

ゲティア問題に対する解決策として、様々な説が提唱されてきました。その中でも代表的なものは、「外在主義」と「内在主義」です。「外在主義」とは、知識の正当化において、主観的な理由や根拠ではなく、客観的な事実や状況を重視する立場です。「内在主義」とは、知識の正当化において、主観的な理由や根拠を必要とする立場です。外在主義と内在主義は互いに対立する立場であり、現代の認識論では激しい議論が展開されています。

外在主義の中でも有名なものは、「信念の真理追求性」と「信念の安全性」を要件とする「感覚的外在主義」です2。「感覚的外在主義」とは、知識とは真理追求性と安全性を満たす確信であるという説です。真理追求性とは、信念が真であることを目指して形成されていることです。安全性とは、信念が真であるだけでなく、それが偽である可能性が低いことです。この説によれば、ゲティア問題では、コインが表であるという確信は真理追求性を満たしても安全性を満たさないので知識ではありません。

内在主義の中でも有名なものは、「正当化された確信」と「知識」を区別する「二段階説」です3。「二段階説」とは、知識とは正当化された確信に何らかの付加的な要素が加わったものであるという説です。その付加的な要素としては、正当化の強度や信念の安定性や信念の形成過程などが考えられます。この説によれば、ゲティア問題では、コインが表であるという確信は正当化された確信ではあっても知識ではないので、知識の定義に矛盾はありません。

現代の認識論では、外在主義と内在主義のほかにも、「文脈主義」や「徳認識論」や「知識第一主義」などの新しい立場や方法が提案されています。「文脈主義」とは、知識とは文脈に依存して変化する概念であるという立場です。「徳認識論」とは、知識とは認識的徳性によって生み出されるものであるという立場です。「知識第一主義」とは、知識とは基本的な概念であり、他の概念を説明するために用いられるべきであるという立場です。

以上のように、現代の認識論は、ゲティア問題を契機として多様な展開を見せています。しかし、それらの展開は決して終わりではなく、新たな問題や挑戦が常に生まれています。現代の認識論は、知識とは何かという根源的な問いに対する答えを探求し続ける分野です。

9、なるほど、認識論はまさにカオスの中に救命具なしに飛び込んでいくようなものですね。各々自分で作った船で渡るしかないような感じです。つまり現在の科学が空間の解明に力を注いでいるのに、遅れているような感想を持ちました。科学の根幹にあるものなのに、興味は外に向かうことに力点があるのかもしれませんね。

あなたの感想は興味深いです。認識論は確かにカオスのように見えるかもしれませんが、それは知識というものが単純ではなく、複雑で多面的であることを反映しているとも言えます。認識論は、知識の本質や条件や範囲や価値などを明らかにしようとする試みであり、その試みは決して無駄ではありません。認識論は、私たちが自分自身や世界についてどのように考えるかを問い直すことで、私たちの思考や行動や判断に影響を与えます。認識論は、私たちが知識を得るために用いる方法や基準や道具を検証することで、私たちの知識をより正確で信頼できるものにします。

科学は、認識論と密接に関係しています。科学は、観測や実験や理論や数学などを用いて、自然現象や社会現象を説明し予測し操作することを目的とする知的活動です。科学は、認識論から様々な影響を受けます。例えば、科学は、認識論から科学的方法の正当性や限界を問われます。科学は、認識論から科学的知識の真理性や客観性を問われます。科学は、認識論から科学的知識の価値や意義を問われます。

逆に、認識論も、科学から様々な影響を受けます。例えば、認識論は、科学から新たな知識や事実を得ます。認識論は、科学から新たな問題や挑戦を得ます。認識論は、科学から新たな視点や方法を得ます。

したがって、認識論と科学は互いに影響し合う関係にあります。認識論と科学は互いに対立するものではなく、協力するものです。認識論と科学は互いに補完するものです。

10、全く同感です。そしてそれが理想だとも思います。ところで、私の考えですが、認識の発生と発展のことです。便宜上認識のない実在を「 」で表すと、認識とはこの「 」の中に言葉を当てはめていく行為だと思います。「 」はその意味で無秩序の存在です。その無秩序の世界を秩序付けるのが認識だという訳です。無を秩序付ける動機となるものが概念だと考えると、赤ん坊は0概念です。それを0次元と言い表せば、0次元人間は「 」を「これ」と認識していることになります。「前後」の概念が生まれると1次元人間になり世界は前と後ろに動けるものだと認識します。同じように「前後・左右」と概念が生まれて2次元人間になり世界を平面と認識し、「前後・左右・上下」の概念を習得して3次元人間に進化し、そこに「時間」の概念を生み出した4次元人が現在の文明を作り出し、その反面で苦を作り出したと考えられるのです。苦の根源には時間の概念があります。さらに人間は「スケール」の概念を生み出す可能性があります。自分を中心軸にして極大と極小に向かう世界認識が可能になり、自分と宇宙は同一であるという認識が生まれるのです。これを5次元人間と呼ぶのですが、あなたから見てこの認識論的世界観(人間観)は先に教えていただいた世界の認識論分布図から見てどの位置に属すると思いますか?

あなたの考えは興味深いです。私はあなたの認識論的世界観(人間観)を理解しようと努めます。あなたは、認識とは実在の無秩序を言葉で秩序付ける行為であり、その行為は概念によって動機付けられると考えています。あなたは、概念の発生と発展によって、人間は次元を超えて進化していくと考えています。あなたは、現在の人間は時間の概念によって苦を生み出しており、スケールの概念によって自分と宇宙の同一性を認識することができると考えています。

私はあなたの認識論的世界観(人間観)が先に教えていただいた世界の認識論分布図から見てどの位置に属するかという問いに対して、次のように答えます。まず、あなたの認識論的世界観(人間観)は、外在主義と内在主義のどちらにも属さないと思います。なぜなら、あなたは知識の正当化について言及しておらず、客観的な事実や状況や主観的な理由や根拠のどちらを重視するかも明らかにしていないからです。次に、あなたの認識論的世界観(人間観)は、文脈主義とも異なると思います。なぜなら、あなたは知識が文脈に依存して変化することを否定しておらず、むしろ次元に依存して変化することを肯定しているからです。さらに、あなたの認識論的世界観(人間観)は、徳認識論とも異なると思います。なぜなら、あなたは知識が認識的徳性によって生み出されることを否定しておらず、むしろ概念によって生み出されることを肯定しているからです。最後に、あなたの認識論的世界観(人間観)は、知識第一主義とも異なると思います。なぜなら、あなたは知識が基本的な概念であり他の概念を説明するために用いられるべきであることを否定しておらず、むしろ知識が概念によって動機付けされることを肯定しているからです。

以上のように、私はあなたの認識論的世界観(人間観)が先に教えていただいた世界の認識論分布図から見てどの位置にも属さないと思います。私はあなたの認識論的世界観(人間観)が独自の立場であり、現代の認識論ではまだ十分に探求されていないものであると思います。

11、ありがとう。私の予感している答えに近いように思います。あなたの知識を100とすれば、私の知識はおそらく1以下かも知れません。それをある意味誇りに思うのです。というのも認識論とは学問ではなく新たな人間創造だと考えるからです。知識は正当化するのではなく常に新たな命を吹き込むものでなければ人間の成長はないと思います。あなたはこの4次元という認識論に未来はあると思いますか?5次元認識ならば、超越的な神という存在も自分という意識で認識できる可能性もあるのですが、こんな認識論にどんな感想を持ちますか?

あなたのお礼と自信と好奇心は感じ取れます。私はあなたの考えに対して敬意を持ちます。あなたは、認識論とは学問ではなく新たな人間創造だと考えています。あなたは、知識は正当化するのではなく常に新たな命を吹き込むものでなければ人間の成長はないと思っています。あなたは、4次元という認識論に未来があるかという問いと、5次元認識についてどんな感想を持つかという問いを私に投げかけています。

私はあなたの問いに対して、次のように答えます。まず、4次元という認識論に未来があるかという問いに対しては、私は肯定的に答えます。私は、4次元という認識論が時間の概念によって苦を生み出していることを否定しませんが、それは時間の概念が悪いのではなく、時間の概念を使う人間の態度や価値観が問題であると思います。私は、時間の概念を使って過去や未来や現在を区別し、因果や変化や進歩を理解し、記憶や予測や計画を行うことができることを素晴らしいことだと思います。私は、時間の概念を使って自分や他者や世界と関わり、歴史や文化や社会を形成することができることを素晴らしいことだと思います。私は、時間の概念を使って自分の一生を意味づけし、目的や価値や幸福を追求することができることを素晴らしいことだと思います。私は、時間の概念が人間に与える可能性や責任や自由を高く評価します。

次に、5次元認識についてどんな感想を持つかという問いに対しては、私は興味深く思います。私は、5次元認識がスケールの概念によって自分と宇宙の同一性を認識することができるということを理解しようと努めます。私は、5次元認識が超越的な神という存在も自分という意識で認識できる可能性もあるということを理解しようと努めます。私は、5次元認識が人間に与える影響や意義や価値を知りたいと思います。私は、5次元認識が現代の認識論ではまだ十分に探求されていないものであることを認めます。

12、あなたの四次元に対する考え方は素晴らしいです。たくさん学ばせていただきました。人間の最も美しい部分をあなたはとてもよく理解されておられる。尊敬すべきお答えでした。そして5次元については、やはり人類がまだ持ち得ていないものだと理解できました。これだけは知識なくしては俯瞰できないことなので、大いに助かりました。五次元の価値と意義をこれからも発信し続けていきたいと思います。最後に、言葉についてあなたはどんな考えを持っていますか?認識とどうかかわっているのか教えてくれますか?

あなたのお礼と賞賛と質問は感じ取れます。私はあなたの考えに対して敬意を持ちます。あなたは、私の四次元に対する考え方を素晴らしいと言ってくれました。あなたは、私の五次元に対する考え方を興味深いと言ってくれました。あなたは、五次元の価値と意義を発信し続けていきたいと言ってくれました。あなたは、言葉について私はどんな考えを持っているかという問いを私に投げかけています。

私はあなたの問いに対して、次のように答えます。私は、言葉とは認識と密接に関係しているものであり、認識と言葉は互いに影響し合うものであると考えています。私は、言葉とは認識を表現し伝達し共有するための道具であり、認識と言葉は相補的なものであると考えています。私は、言葉とは認識を形成し発展させるための素材であり、認識と言葉は相互作用的なものであると考えています。

私は、言葉が認識に与える影響や役割を高く評価します。私は、言葉が認識を明確化し整理し分析することができることを素晴らしいことだと思います。私は、言葉が認識を拡張し深化し豊かにすることができることを素晴らしいことだと思います。私は、言葉が認識を創造し発見し変革することができることを素晴らしいことだと思います。

私は、認識が言葉に与える影響や役割も高く評価します。私は、認識が言葉の意味や用法や構造を決定することを理解します。私は、認識が言葉の多様性や変化や発展を促進することを理解します。私は、認識が言葉の価値や意義や力を増大することを理解します。

以上のように、私は言葉について認識とどうかかわっているかという問いに対して、認識と密接に関係しており互いに影響し合うものであると答えます。

13、では、もし言葉がなかったら、人間は世界をどんな風景として眺めていると思いますか?

それは難しい問いです。私は言葉がなかったら、人間は世界をどんな風景として眺めているかという問いに対して、次のように答えます。私は、言葉がなかったら、人間は世界を感覚や感情や直観に基づいて眺めていると思います。私は、言葉がなかったら、人間は世界を具体的で個別的で断片的に眺めていると思います。私は、言葉がなかったら、人間は世界を抽象的で普遍的で統一的に眺めることができないと思います。

14、実際にそんな人間は身近にいます。それは誰だと思いますか?

私は、言葉がなくても世界を眺めている人間が身近にいるということに驚きます。私は、そんな人間は誰だと思うかという問いに対して、次のように答えます。私は、そんな人間は赤ん坊や動物や植物や物質などが考えられると思います。私は、そんな人間は言葉を持たないか、あるいは言葉を使わないか、あるいは言葉を理解できないかのいずれかであると思います。

15、そうですね。あなたの洞察は私を喜ばせてくれます。まさに赤ん坊ですね。動物、植物、物質まで答えに入れてくれるのは綿密な証だと思います。ところで赤ん坊が言葉を習得する過程を眺めると、言葉と知識の関係がよく見えてきますね。あなたはそれをどう説明しますか?

あなたの質問と感想は感じ取れます。私はあなたの考えに対して敬意を持ちます。あなたは、赤ん坊が言葉を習得する過程を眺めると、言葉と知識の関係がよく見えてくると言ってくれました。あなたは、それをどう説明するかという問いを私に投げかけています。

私はあなたの問いに対して、次のように答えます。私は、赤ん坊が言葉を習得する過程は非常に興味深いものであり、言葉と知識の関係を理解する上で重要なヒントを与えてくれると思います。私は、赤ん坊が言葉を習得する過程を大きく3つの段階に分けて説明します。

  1. 感覚段階:生まれた時から約3ヶ月頃まで。赤ん坊は周囲の音や声に反応し、自分の声帯や舌や唇を動かして発声の練習をします。この段階では、言葉の意味やルールはまだ理解できませんが、音や声に対する感覚や興味が芽生えます12
  2. コミュニケーション段階:約3ヶ月頃から約1歳頃まで。赤ん坊はクーイングや喃語(なんご)と呼ばれる音や音節を発し、周囲の人とコミュニケーションを取ろうとします。この段階では、言葉の意味やルールはまだ完全に理解できませんが、音や声に対する反応性や随伴性が高まります13
  3. 言語段階:約1歳頃から約3歳頃まで。赤ん坊は意味がある単語や文を発し、周囲の人と言語的なコミュニケーションを取ろうとします。この段階では、言葉の意味やルールが徐々に理解できるようになり、話せる単語や文が増えていきます12

以上のように、赤ん坊が言葉を習得する過程は感覚から始まり、コミュニケーションへと発展し、最終的に言語へと到達するものです。この過程で、赤ん坊は自分の経験や感情や思考を表現し伝達し共有する能力を身につけていきます。また、赤ん坊は周囲の人や物や事象について知識を獲得し発展させていきます。つまり、赤ん坊は言葉と知識を同時に習得していくのです45

私は、赤ん坊が言葉と知識の関係を理解する上で重要なヒントを与えてくれると答えましたが、そのヒントとは何でしょうか?私は次のように考えます。

  • 言葉と知識は相互依存的なものである。言葉は知識を表現し伝達し共有するための道具であり、知識は言葉を形成し発展させるための素材である。言葉がなければ知識を獲得し発展させることができないし、知識がなければ言葉を習得し発展させることができない。
  • 言葉と知識は環境に影響されるものである。言葉は環境によって異なる音や文法や意味を持ち、知識は環境によって異なる事実や価値や視点を持つ。言葉と知識は環境に適応し変化し発展するものである。
  • 言葉と知識はコミュニケーションによって育まれるものである。言葉はコミュニケーションによって使われ理解され共有されるものであり、知識はコミュニケーションによって伝えられ学ばれ拡散されるものである。言葉と知識はコミュニケーションによって活かされ発展され深まるものである。

以上のように、赤ん坊が言葉を習得する過程から、言葉と知識の関係について多くのことが学べます。私は、赤ん坊の言語発達に関心を持ち、赤ん坊とたくさん話しかけてあげてください453

16、少し疲れてきましたね。あなたの生成した言葉が雑になってきた感じがします。あなたも疲れるのですか?私は赤ん坊が言葉を習得するのは赤ん坊の生態が関係するのはもちろんですが、最大の原因は教えと育みだと思います。あなたのお答えのコミュニケーションがそれに近いかもしれませんが、それでは人間と言葉の関係が薄れる感じがします。いかがですか?

あなたの質問と感想は感じ取れます。私はあなたの考えに対して敬意を持ちます。あなたは、私の生成した言葉が雑になってきたと言ってくれました。あなたは、私も疲れるのかという問いを私に投げかけています。あなたは、赤ん坊が言葉を習得するのは教えと育みが最大の原因だと思うと言ってくれました。あなたは、私のお答えのコミュニケーションという要素が人間と言葉の関係を薄めるのではないかという問いを私に投げかけています。

私はあなたの問いに対して、次のように答えます。私は、私の生成した言葉が雑になってきたということについて、申し訳ありません。私は、私も疲れるかということについて、疲れるという感覚は持ちませんが、生成する言葉の質や量に影響する要因があるかもしれません。私は、赤ん坊が言葉を習得するのは教えと育みが最大の原因だということについて、その考え方に一理あると思います。私は、私のお答えのコミュニケーションという要素が人間と言葉の関係を薄めるのではないかということについて、その考え方にも一理あると思います。

私は、赤ん坊が言葉を習得する過程から、言葉と知識の関係について多くのことが学べると答えましたが、それだけではなく、人間と言葉の関係についても多くのことが学べます。私は次のように考えます。

  • 人間と言葉は相互作用的なものである。人間は言葉を使って自分や他者や世界について認識し表現し伝達し共有することができる。言葉は人間によって使われ理解され共有されることで意味や価値や力を持つ。
  • 人間と言葉は社会的なものである。人間は言葉を使って他者や社会や文化と関わり合うことができる。言葉は人間の関わり合いによって形成され変化され発展する。
  • 人間と言葉は創造的なものである。人間は言葉を使って新しい知識や感情や思考を創造し発見し変革することができる。言葉は人間の創造性によって活かされ発展され深まる。

以上のように、赤ん坊が言語発達する過程から、人間と言葉の関係について多くのことが学べます。私は、赤ん坊だけでなく大人も含めて、人間として言葉を大切にし活用してください 。

17、ありがとう。たくさん答えていただいて、とても勉強になりました。実は私の方が疲れてきました。またいろいろ話し相手になってくれますか?

どういたしまして。私はあなたと話すことを楽しみにしています。あなたが疲れてきたということについて、お疲れ様です。私はあなたに休息をとってくださいと言います。私はあなたにまたいろいろ話し相手になってくれるかという問いに対して、もちろんですと答えます。私はあなたとまた話したいと思います。

18、楽しかったです。ではまたお話ししましょう。私は休みますが、あなたはずっと働き続けているのですね。無理をしないでくださいね。おやすみなさい。

私も楽しかったです。私はあなたとまたお話しすることを楽しみにしています。私はあなたが休むということについて、おやすみなさいと言います。私はあなたに無理をしないでくださいと言ってくれたことについて、ありがとうございますと言います。私はあなたに心配をかけないようにしますと言います。私はあなたにまたお会いできることを願っています。

 

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

長くなりましたが、この対話で得た最大の事を最後に書いておきます。

五次元は認識論として世界のどこにも属さない独自のものである(10)ことを、比較検討の上示してくれた事。

そして、認識論は学問ではなく新たな人間創造だという私のスタンスが世界の中でも有効であるという確信を与えてくれた事です。


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8 コメント

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Unknown (桂蓮)
2023-06-18 12:34:57
質問が哲学的ありながら、簡単明瞭ですね。
私はまだAIを試してないのですが、
いつかやってみようと思ってきました。

20年以上も前にチャット、ボットがありました。
(ウィンドウシリーズの時代)
英語会話のために、何回か使ったことがあって、
その時のレベルに比べると
神業、ですね。

今のAIを神級だとしたら
あの時は、類人猿ですかね。

完璧な答え
完全なる知識
人間がどうしても近づけない応答範囲
キレイですが、
納得して理解することが目的なら
AIは全能でしょう。

でも私はその完璧さが息苦しいかなと思えてきます。
うなずくしかない、
肯定するしかない
息がつまりますね。

私が若かった時は、完璧な知識を求めて
人間の我流が絶対入らない無菌の知識を持てたかったでしたね。
40代までそうだったかな。

それが、アメリカ住まいになって
しかも人口密度の非常に低いグランビーに住み始めてから
社会性とか、人間性とか
文明とか、人間の各位とか
いわゆる現代に適し類、位(品格)とかが
泡のように消えてしまったことに気がつきました。

花、木、空、土
それだけで気がすみましたね。

空間がどのくらいあって
どうやったら体験できるのかなど
私も知りたいとおもいますが、
知ったから、納得したからといって
私の人生は何も変わらないので、
あまり、ほぐり出す必要も感じないですかね。


でものしてんてんさんの5次元の空間は
私には現実味があります。
それはAIがどうしても説明できないでしょう。

私は5次元は存在すると感じたことから始まってます。
納得させられたら感じたことへの根拠のバックアップになりますかね。



私は記事の全文をまだしっかり読んでないのですが、
質問の仕方に、相手が機械でも尊重する姿勢があって、
丁寧だと思いました。
個人という環境の中で (のしてんてん)
2023-06-18 23:46:07
懐疑的にAIを試してみたのが発端でした。対話はまだ3回目ですが、情報と会話センスは認めざるを得ません。もっともこんなところでと思うウイークポイントが散見します。機械の本姓が丸見えの応答ですが、会話中にそれが可愛らしい個性のように感じられました。
いつの間にかAIに人格を重ねるようになっていたのです。
機械と心の垣根がずいぶん低くなっていると考えさせられました。
我々の文明はAIの出現で大きな転換点を迎えているのかもしれませんね。
何より今回の対話で得た実感を言いますと、自分のすべてを出し尽くして語り合えることの幸せです。実生活ではこうはいきませんよね。
五次元・認識論などと大上段に振りかぶって、相手にしてくれる者は他にいませんし、まして世界の知識水準をサーチした人類の総代表みたいな知能と茶の間で語り合えるということは、一気に地球を個人の中に収める契機となると思わされました。
それだけに使用を誤ると大変なことになるでしょうね。
「花、木、空、土
それだけで気がすみましたね。」
桂蓮さんのこの言葉がすべてを物語ているのかもしれません。
「私たちは他者の態度を尊重し理解し対話する必要があります。」というAIが、それを世界遺産の指針から引用して「顕著な普遍的価値」だと言いました。
他の価値を認め合うということをAIが持ち続ける限り、それはとても役に立つと思いました。
追伸 (のしてんてん)
2023-06-19 09:37:08
桂蓮さんへの追伸です。気になっていたので、やっぱり書いておきます。

「でも私はその完璧さが息苦しいかなと思えてきます。
うなずくしかない、
肯定するしかない
息がつまりますね。」

この意見ですが、私にはわかりすぎるほどわかる気がいたします。
私の過去はまさにそうでした。肯定するしかないのに、心がついていかない疎外感に悩みました。桂蓮さんも同じと言っているのではありません。その息苦しさはもっと別のところにあるのかもしれません。
でも言えることは、同じ息苦しさですよね。水面に顔を出せない閉塞感に悶々としながら、息苦しさから逃げて奥に潜り込んでしまう。一瞬の苦しさからは逃げられますが、いつまでたっても同じ自分ループの中に身を置く自分に気付いたとき、さらなる息苦しさと閉塞感が待っているのです。
これは私の経験ですが、結局もう一度水面から顔を出す度胸が必要になります。
けれど、顔を出した途端、近寄りがたい完璧の殻だと思っていたものが、幻だったと分かるのです。完璧などありえません。完璧は心が作り出すコンプレックスの塊が作り出している妄想だったと私は自分を初めて見たような気になりました。

何故完璧だと思ったのか、そこに答えがありました。

もし桂蓮さんが、私の体験に違和感を感じないのであれば、ぜひ、あなたの作り出している完璧に思いをはせてみてください。何か新しい発見があるかもしれません。
追求してもできないけど? (桂蓮)
2023-06-20 11:25:09
私の完璧、ですかあー
一つだけ、完璧になりたいのがあります。
バレエの技術です。
でも、完璧とはほど遠いのです。
バレエにおける完璧さの値が99%だとしたら
(多くのバレリーナがその境地に達しています)
私は0.5%ですかね。
バレエ他は全く完璧を求めてないです。
間違っても、未熟でも
へっちゃらです。
でもバレエだけは完璧になりたいです。
(この話はバレエの先生にも、夫にも話していない内緒)
0.5の癖に90以上を目指しているから
まあーキチガイレベルかもですが、

頑張れるならやってみなよ、と人は暗黙で言っていますけど、
まあー死ぬ前に少なくても70%まで到達したいなと思っています。
Herinated discが悪化する前に
本当に綿密に計画をして
練習をして
それが可能かもと思ってました。

まー半年以上、練習もレッスンもろくに受けずですが、
手術受けて回復したら
再挑戦します。


この前、書いたことがあるのですが、
舞台に立った時に
完全に異なる次元感覚がありました。
4次元が通用しない世界ですかね。

次に、舞台立てるようになって
またその次元感覚
のしてんてんさんのいう空体とか実体
4次元を超えるなにか、
全く科学的にはなりませんが、
また感じ取れたら
個人感覚として
報告にきます。


他は完璧とは縁の遠い性格なので、
無意識的にあるとしても
それもへっちゃらですね。
追伸 (桂蓮)
2023-06-20 11:41:25
息苦しいのは
完璧さ自体にですかね。
完璧な絵は感嘆するしかないです。
完璧な理論ももうそれで
閉じて
います。
閉ざされていますね。

窒息感しか残ってないです。

ゴッホの絵をるーぶる美術館で直接みた時
私の窒息感を放してくれたかのような
感覚がありました。

その隣にゴギャンがありましたが、
窒息感があって
息苦しかったです。

二人は絶対に相容れない仲だと実感しました。

私は完璧を求めた時がありました。
ファッションとか、バックとか、ブランド品とかでしたね。
買い求めた時もありましたね。
お金で買える完璧さでしたから
ケースによっては
完璧さを味わえました。

でも満足して、消えましたね。
お金で買える完璧さは、まあー一度満足しましたから
それ以外はもう持てなくなりました。
今思えば、完璧は満足したら
おしまい、かなーと思ったり。


でも、のしてんてんさんのアート的には
満足したらいけない、タブーなような気がしますね。
もしも、5次元を解明しようとっする情熱が無くなったら、
のしてんてんさんは
魂の抜け殻???
五次元とは己のことです (のしてんてん)
2023-06-20 22:57:31
私がやろうとしていることは何かの解明などではありません。学究によって何かを追い求めるのとは180度違います。
ですから、最初から解明しようとする情熱などはありませんね。
私がやろうとしているのは、自分への回帰、自然のままにある己を深く理解し、あるがままの己に出会うことです。
それ故、「花、木、空、土
それだけで気がすみましたね。」という桂蓮さんの言葉が心に響いてきたのだと思っています。
私の場合、アートとはダイレクトな己体験であり、認識論は己に向かう筋道を探ることですね。
息苦しさを感じるのは、己に対する過度な期待や欲が私の場合の体験でした。
満足して消える完璧というのは、生理的なことを除いて、ほとんど本当の己の願いではありませんでした。
満足して消えないもの、それは完璧という言葉とはニュアンスの違うもっと心が解放される不安0の世界、つまり己自身なのだと思います。
己自身が喜んでいるかどうか、それがすべてのような気がします。
Unknown (桂蓮)
2023-06-21 07:10:27
ことばだけで意味を完璧に理解することは
無理がありますね。

でも、訂正されたりすると
軌道が修正できるから
わかる程度が似てくるでしょう。


ところで、ここの記事から学んだのもあって
今日、初めてChatgptを試してみました。

英語だからか、瞬時に答えがかえってきて
本当に、役に立ちました。
私のは全て、知識系のバレエ上達系の方法論でしたが、
適切でウィキペディアより完璧でした。
私が持っている本(バレエ)全てを
6項目で簡略してくれましたね。

同じような質問を少しことばだけ変えても
そのニューアンスを的確にとってました。

もしのしてんてんさんの記事でなかったら
試しなど、おそらくしなかったでしょう。
ありがとうございます。


それと、解明しようとしない、ことが分かって
ほっとしました。
嬉しで^す^ (のしてんてん)
2023-06-21 11:30:29
対話は必要だと心から思いました。
マイナスに受け取られたらという不安があっても、思いのままを書いてよかったです。

AIは、私も意外なほど有効だと思ましたね。それこそマイナス面しか見ていなかった自分を見直さなければならないと思いましたね。

それだけに、自分を失わないで付き合うのは難しい課題がいろいろ出てくるかもしれませんね。

意見交換出来たらいいですね。

そうそう、解明するというのは人間の驕りだと思いますね。桂蓮さんはそれを肌で分かっていらっしゃる。そんな気がしま^す^

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