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帰国

2010-11-03 00:05:39 | 上海 花の旅

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 JAL792便の窓から見る空は蒼く、ねずみ色の雲海が深く静かに広がっています。


 上海浦東国際空港を飛び立ったジェット機は既に日本の領空に入ったようです。



 マグマが沸き立つような熱気と混沌。
 上海は静かに花を愛でるような場所ではありませんでした。 

 上海のようなビジネスライクな雰囲気の街で、「花の写真を撮る」などというのが、そもそものミスマッチだったのかもしれません。
 「花の写真を撮る」などというのは、全く生活の役に立たない、時間とお金の浪費、そのものとも言える行為ですから。 

 さっきまで居た場所と時間が遥かな夢の中の出来事だったような気がしています。

 

 

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上海 田子坊

2010-11-03 00:05:20 | 上海 花の旅
 さて、あと上海で気になる場所はといえば、田子坊です。
 最近、日経新聞に連載されている高樹のぶ子の小説「甘苦上海」でこの街は少々不思議な雰囲気を持つ場所として描かれています。
地下鉄の黄陂南路駅から重慶南路を南に下りて行くと、路はゆるくカーブしています。

 

 途中の復興公園では市民が空高く凧揚げを楽しむ光景が見られました。
 のどかな午後のひと時です。



 20分程も歩いたでしょうか、重慶南路を右に曲がると数百メートルで田子坊の入口です。



 休日の午後、明るい陽射しの中の田子坊は思っていた以上に小奇麗で、「北海道の味」などという看板も見えて、観光地そのもの。東京でいえば、浅草や根津あたりの横丁といった雰囲気です。
 しかも、そこで姿を見かけるのは圧倒的に若い人たちばかりです。





 細く、入り組んだ路地が無秩序に続いているので、ちょっと見は怪しそうな雰囲気を感じないわけではありませんが、ごみ一つ落ちていない街には若者向けのブティックなどがならび、その上にブライダルドレス姿の女性などを見てしまったら、まるで渋谷か原宿あたりを歩いているような感覚です。




 そう言えば、上海滞在も今日で6日目。もしかすると、田子坊でハラハラ、ドキドキすることが無いのは、街が小奇麗な為だからではなく、私の目がすっかり上海の風景に馴染んでしまった所為なのかもしれませんが。




 気の済むまで、狭い路地を歩きまわり、私は田子坊を後にしました。
 上海の最後の一日はまるで旅の余韻を楽しむかのように、終日をゆったりとした気分で過ごすことになりました。

 
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上海 田螺と牡蠣

2010-11-03 00:05:02 | 上海 花の旅

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 七宝から再び上海市内に戻り、静安寺駅で地下鉄を降りました。 駅のすぐ近くの静安寺は247年に建てられ、9世紀には空海も遣唐使として訪れたのだそうです。


 静安寺から南京西路を東に向かって歩き始めました。歩道には目に優しい緑の並木が続き、時折、花で飾られた小さな公園が姿を見せます。




 そして到着したのが呉江路。この辺りは上海一の小吃街、つまりB級グルメの街だそうです。




 ところで、今、ふと我に帰って気付いたのですが、このブログは「花の旅」と題して書き始めたのに、ここまでの内容といえば、殆ど食べ歩きの話ばかり。「な~んだ、結局は花より団子かいな」と誰かが囁いているようですが、「いいんです、今が楽しければ」 無視、無視。(あらら、居直っちゃいました)
 さて、この時、好奇心をくすぐられて入ったのが、看板にザリガニが描かれた「興泰小吃」という店。 テーブルに付くと、メニューに田螺の文字。人生五十数余年を経て、今まで、確か、田螺は一度も食したことはないはず。で、迷わず注文。





 どうです、この絢爛豪華な盛り付け。いかにも中国らしい雰囲気の料理だとは思いませんか? などと強がりを言ってますが、実は「嗚呼、まず~」 独特の臭みがあって、お世辞にも美味いなどとは申せません。 一昨日、上海の水の味を考えさせられた(「5月1日 上海に戻って」)、あのソバ屋の麺の臭みを、更に強烈に盛り付けたような、そんな味が致しました。 さて、実はもう一軒、絶対に食べてみたいと思ったものがあるのです。それは、牡蠣。この呉江路入口の店先で焼いているのを、先ほど目にしていたのです。 しかも、その値段は2個で10元。




 素直に白状します。すいません。実はこれも外れでした。 そうですよね~。本当に美味いのなら、こんなに薬味を乗せて焼いたりしないですよね~。 実を言うと、私は牡蠣が大好物。北海道厚岸のレモンを絞った生牡蠣、日本海酒田の岩牡蠣、仙台の牡蠣鍋、広島の燻製牡蠣と、牡蠣には随分お世話になっておりまして、上海でも黙って見過ごす訳にはいかなかったのですが、今回は残念な結果だったことを正直に報告させて頂きます。

 

 

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上海 七宝 揚子江の営み

2010-11-03 00:04:46 | 上海 花の旅
 5月3日は三連休の最終日。この日も銀行はお休みなので、私は相変わらず円を換金できず、遠出は出来ません。
 そこで、ガイドブックをめくって、公共交通カードで行ける場所を探し出しました。そこは七宝。上海市街地から最も近い水郷の街です。
 いつもの漕渓路駅から地下鉄で宣山路駅へ向かい、そこで乗り換えて七宝へ。
 もうすっかり、地下鉄は私の足です。



 地下鉄七宝駅は地下部分が駅、地表部が飲食店などの複合ビルとなっていました。
 駅前の通りに立って、一瞬、ここが本当にガイドブックの写真に載っていた水郷の町と同じ場所なのか自信を失いました。
 「七宝という別の名の場所かもしれない」という疑念さえ浮んだほどです。



 しかし、すぐに私を安心させる物が目に飛び込んできました。
 それは、七宝水郷の風景を表示した大きな看板です。



 駅前から続く、ごく普通の街並みを、人の流れに乗って歩いて行きます。


 暫く進むと、人で溢れた狭い路地を見つけました。


 その、人込みの中を100メートルほど進むと。




 多分、この光景を初めて見た人は十分に感動すると思います。
ただ、私はこの日、既に上海滞在6日目。美人も三日見たら飽きると・・・。 いえいえ、そんなことを言う人もおりますが、森羅万象は色々と気づかせてくれます。例えばこの街の建築物。それらは明らかに水路に門戸を開いて造られています。そして、その光景は、この街が主要な交通手段として水路を活用していたことを説明します。ですから、必然的に建物の裏の陸側の路は狭く、それが今ではこんな状況を作り出しているのだと考えられます。



 昔は水路を介し人々の営みは容易に広がったはずです。
 今、私がここにいる上海も揚子江が十分な水を大地に供給し、稲を稔らせ、それを運搬する交通手段をも用意してくれたのでしょう。
 交通路が発達すれば、富や、技術も集積します。
 七宝は、今でもこうして、揚子江に沿って文明が発達した状況や理由の一端を、目に見える形で示しているのです。
 三大文明が大河周辺に栄えたことを教科書で習ったのですが、今やっとそれを実態感覚として理解することが出来ました。

 中国数千年の歴史の端緒を垣間見た気がする七宝訪問でした。
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上海 今夜も舌鼓

2010-11-03 00:04:28 | 上海 花の旅
 再び、上海に戻ってきました。
 あんなに苦労して南京まで行ったのに、南京植物園で花の写真を撮影するという目的は叶いませんでした。しかし、南京は日本人にとって複雑な感情が伴う場所で、多少の心配もあったのですが、私にとっての南京は、普通の見知らぬ異国の地と、なんら変わるものではありませんでした。
 たった一日でしたが、南京の人々が逞しく、生き生きと暮らしている様子を肌で感じて、楽しい旅の思い出だけをお土産に、帰ってくることができました。  
 南京で出会った方は異邦人に親切な人達ばかりでした。もっともガイドさんから、スリに気をつけるように注意されたように、良い人ばかりではなさそうですが、それはどこでも同じことだと思います。
 もう、すっかり南京への道筋は覚えました、その気になればいつでも行ける気がしています。
 目に見える成果は少なくとも、満足できる南京での一日となりました。
 さて、南京で変な時間に駅弁を食べたために、お腹は減っていないのですが、このままだと夜中にお腹が空くのは目に見えています。
 そこで、前から目を付けていた、上海人民広場近くの小楊生煎館に足を運ぶことにしました。





 この店は、ガイドブックによれば「屋台料理の代表として有名な小籠包・生煎の超有名店」だそうです。
 「大きな鉄板で蒸し焼きにされた生煎は、下はカリカリ、上はジューシー、かじれば肉汁がほとばしる」、まさにその通りでした。





 こうして、今日も一皿6元の舌鼓と共にドラマチックな一日が終わろうとしています。
 朝持っていた人民元は、今は約200元と半分程度になりましたが、全く不自由なく、南京まで往復することができました。ほんとうに中国の物価は安い!と実感した次第です。そして「安さ」の程度を身に染みて体感したことで、物を作る時の原価、価格競争力の程度も同様なんだろうなと改めて考えさせられた一日だったのです。
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南京の駅弁

2010-11-03 00:04:09 | 上海 花の旅
 帰りの列車は南京発17時23分上海行き、列車番号D5443です。
帰りは一等座が取れましたが、どうやら二等座と一等座は待合室が違うようです。
 一等座の待合室は何となく空港のラウンジのような雰囲気で、ファーストフードやスウィーツ系の売店などもあります。





 更に、保温されたガラスケースにはお弁当なども並んでいました。
 そういえば、今日はお昼を食べていない! 
見知らぬ土地で次々と起こるアクシデントに無意識に緊張していたのでしょうか、この時間まで空腹は感じていませんでした。
 早速、24元のハンバーグ弁当を買い、待ち時間を過ごすことにしました。お弁当には暖かいスープも付いています。





 改札を出てホームに入ると、見慣れた感じの列車が止まっています。
指定席の15号車45番の席は窓側でした。
 一等車はやはり日本と同様に、左右2列のゆったりシートです。





 席には「旅伴」と名付けられた車内誌が置いてあります。但し、どうやら表紙に書いてある漢字(中国の漢字は日本と形が違います)は帯出禁止を意味しているようです。

 やがて、列車は走り出しました。
 しばらくすると、時速200kmで走行していることが車内の電光掲示板に表示されました。

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南京の観光地

2010-11-03 00:03:50 | 上海 花の旅
 莫愁湖公園は莫愁の伝説が残る公園です。六朝の南斉(なんせい)の頃、洛陽の莫愁という女性は家が貧しく、父の死後の葬儀費用を身を売って賄ったそうです。たまたま建業から洛陽を訪れた富豪が莫愁の美しさに引かれて莫愁を身請けしましたが、莫愁は故郷を懐かしみ、湖に身を投げたという有名な話があるそうです。


 莫愁像と池の石を伝って莫愁像に近づこうとする新婚さんです。
上手く近づけると、幸せになれるというジンクスでもあるのでしょうか?




 瞻園では民族音楽の演奏を聞くことができました。


 夫子廟は孔子を祭っている場所で、近くに秦淮河といった水郷のような場所があり、多くの観光客で賑わっていました。




 南京周遊コースはこの後、中山陵という辛亥革命の英雄「孫文」の陵墓に行くスケジュールですが、残念ながら時間が来てしまいました。私だけマイクロバスからタクシーへ乗り換えて南京駅へと向かいます。
 タクシーに乗り換える時には、周遊コースのガイドさんが運転手さんに何やら説明してくれていました。
 タクシーが走り出した後、南京中山植物園の前を通って駅に向かってくれるように地図を示して頼んでみたのですが、全く意図は通じませんでした。



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南京の歴史をひもとく

2010-11-03 00:03:29 | 上海 花の旅
 この南京周遊コースにはガイドさんが付いているのですが、何しろ説明は全部中国語だったので、種を明かせば、以下の解説部分は全て帰国してから調べ直したものばかりです。
 橋の次は、朝天宮。明代に文武百官が朝廷での礼儀を学んだので「朝天宮」と呼ばれ、現在は南京市博物館として10万余りの文物を所蔵しているそうです。


 

 南京は222年に呉の孫権が都と定めて以来、300年間に亘り人口100万を越える大都市として繁栄しました。その後も、南唐、明、清末の太平天国、そして中華民国に至るまで、十の王朝や国が、南京を首都と定めています。
 呉の時代から隋が中国を統一するまでの期間を六朝時代と呼び、この時期の文化を六朝文化と称しますが、その頃作られ、使われていた石器の説明が掲示されていいました。この頃日本では卑弥呼が国を治めていた時代ですから、それを考えると、その技術の高さには目を見張るものがあります。



 そして下の写真にご紹介する御三方はコースのガイドさんと、周遊コースをご一緒した、多分女子高校生とおぼしきお二人。女子高生達は何処へ行っても二人でポーズをとっては、キャッキャと写真を撮りまくっておりました。
 マイクロバスに乗った客は、他に、若い両親と小学生の家族連れの一組で、計6人という構成でした。
 ガイドさんは良く勉強している様子で、好感のもてるお嬢さんでした。


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南京長江大橋

2010-11-03 00:03:11 | 上海 花の旅
 それでは、雨の南京へ、見学スタート。



 最初に行った所は南京長江大橋でした。


 南京長江大橋は二層構造で、道路の下に鉄道が走り、長さ1577m、高さ70mの見事な橋です。1960年に建設に着手し、1968年に完成しました。
 地上からエレベータに乗り、橋の上に上がります。


 

 橋の上に上がると、幅広の道路には車の流れが絶えず、見下ろせば長江(揚子江)には大きな船が航行しています。
 それにしても揚子江、一度はこの目で見てみたいと思っていましたので、意外な展開でしたがが、その姿を目の前にして、大満足です。




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南京の饅頭怖い

2010-11-03 00:02:53 | 上海 花の旅
 唐突で恐縮ですが、南京駅の売店で売っていた饅頭です。


 以前、何処かで高菜饅頭というのを食べたことがありましたが、この中華饅頭は具が中国野菜で、高菜饅頭そっくりのホカホカ饅頭です。もしかすると、こっちが元祖かもしれませんが。
 期待して訪れた南京は雨で、懐も寂しく、駅構内の待合室でいっとき「饅頭怖い」と洒落込んでみました。これはこれで、なかなか乙なものです。 (負け惜しみかも・・・)



 饅頭の次は懐を温める作戦です。南京駅の隣に立派なホテルがあったので、入っていって、フロントで円を元に換金出来ないかと聞いてみたら「OKです、お部屋番号を教えて下さい」との返事。それで「宿泊者ではないのですが」と答えると、首を横に振って「申し訳ありませんが・・」との返事。
 現状打開策その二、人民元換金作戦は失敗に終わりました。まあ、私が厚かましいだけで、当然なんですけどね。
 「現状打開策その一はどうしたの?」ですか?。私としては饅頭を食べたのも現状打開策のつもりです。「腹が減っては軍は出来ぬ」と言うじゃありませんか。
 しかたがないので、とりあえずタクシーを捕まえて、せめて植物園の入口まででも行ってみようかと、タクシー乗り場を探してみましたが、降車場はあるのに不思議と乗車場所が見つかりませんでした。



 南京駅をあっちへウロウロ、こっちへチョロチョロ。そうこうする内に、キオスクのような店で目に留まった南京ガイドマップを買い、通路の横の適当な場所に座って眺めていると、おばさんが何やら中国語で一生懸命話かけてきます。その手元のパンフレットにはマイクロバスの写真に南京周遊と書いてあります。ちょっと警戒しながら、英語で「私は日本人で中国語が解らない」と言っても、紙へ15元と書いて食い下がってきます。「え!15元」その値段に驚いて、思わず説明を聞いてみると、別に夫々の施設の入場料が加算されて、合計で175元になることが判明。それでも、この状況下、何とか夕方まで時間が潰せることにはなるので、結局、この話に乗ってみることにしました。それにしても、今になってみると、一体どうやって、これだけのことを中国語しか話せないおばさんとコミュニケートしたのかが不思議でたまりません。
 それにしても、このおばさんのバイタリティーに脱帽です。


 

 そして、これがそのマイクロバスです。

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南京到着

2010-11-03 00:02:35 | 上海 花の旅

 列車から見る上海郊外は建設工事が目立ち、拡張する上海が手にとるように理解できます。


 そして、マンションの建築現場では、ここでも竹の足場が活躍していました。


 8時17分、列車は最初の停車駅「無錫」に到着しました。


 懐かしい雰囲気の気動車が向かいのホームに停車しています。次に来るときにはこんな列車に乗って旅してみたいものです。



 順調に列車は走り、丹陽の街が見えてきました。


 上海と異なり、あまり高い建築物は見当たりません。



 8時52分、定刻に丹陽に到着しましたが、

 「あ~あ!」


 無情にも雨が降り始めました。

 しかし、9時37分、中国新幹線D86列車は南京に定刻到着。


 ホームに掲示された「南京」の文字が素直に嬉しく感じられます。



 南京駅はホームも広く、清潔な佇まいです。


 しかし、一歩駅の外へ出てみると雨脚は強く、雨具の用意もない身では身動きもとれません。


 帰りの列車は夕方17時23分です。それまで一体どうしよう!



 そして、実はもう一つ不自由な問題を抱えていたのです。


それは人民元の手持ちが少ないことです。


 5月1日から中国は三連休に入り、銀行が休みとなってしまったのですが、連休に入る前に円を元に換金していなかったのです。


 今の手持ちの元は400元強、円換算で6000円程度しかありません。日本円は持っているのですが、いくら物価が安い中国とはいえ、少々心細い状況です。


 さあ、さあ、どうする。

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中国新幹線

2010-11-03 00:02:15 | 上海 花の旅
 さて、いよいよホームへの改札が始まりました。


 乗客はみんな、一斉にホームへと向かいます。


 ホームには既に列車が止まっていました。全ての座席が指定されているので、乗客は整然と列車に乗り込んで行きます。


 列車は日本の新幹線「はやて」の技術を使用して製造されたそうです。
 私の乗る12号車の手前にビュッフェ車両があり、既に何人かの乗客が席で新聞などを広げていました



 車内は日本の新幹線と全く同じで、左右に2列、3列の座席になっています。
 但し、座席は通し番号なので、切符に印字された座席番号からは窓側なのか通路側なのかは全く分りません。



 私の席は12号車の54番。3列座席の真ん中で、両脇を若い女性に挟まれての旅となりました。
 やがて、乗客が各々の席に座り、暫くすると、列車は音も無く走り出します。



 車内販売の売り子さんがワゴンを押して、弁当などを売りに来る様子は日本と全く同じ光景です。


 そして、女性の車掌さんが検札にやって来ました。


 検札は、何と、ミネラルウオーターのおまけ付きです。
ペットボトルには「チベットの泉」と英語で記載され、漢字で青蔵高原5100mの天然氷河の水であると記載されています。中国新幹線車内専用で非売品だそうです。


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上海駅

2010-11-03 00:01:56 | 上海 花の旅
 今日は次なる目的地、南京植物園を訪問してくる予定です。上海から南京までの旅程303kmは鉄道を利用します。鄭州行き中国新幹線、上海発7時25分、南京着9時37分の切符は本当に苦労して手に入れました。その経緯は以前のページに記載しましたので、興味のある方も、そうでない方でも、一度お読み頂ければ、この後の展開がより一層興味深くなること請け合いです。 さて、ホテル近くの漕渓路駅から上海駅までは地下鉄で約30分程度。中国の鉄道を利用するのは全く初めてなので、用心のため、新幹線の出発時刻の30分以上前には上海駅に入ることにしました。6時過ぎにホテルを出ましたが、その前に天気を確認するために部屋から窓の外を覗いてパチリと一枚。


 実は、今回の旅行で、当初は南京訪問を予定していませんでした。しかしネットで調べてみると、南京中山植物園は中国四大植物園の一つで、孫文(孫中山)を記念して1929年に建てられた国立植物園であること、更に上海、南京は鉄道で日帰り可能なことも分りました。 そんなことを知ってしまった植物園フリークとしては、もう黙って見逃すことはできません。すぐに帰国の飛行機の予約を変更し、ホテルの宿泊予約も追加したのでした。兎にも角にも、そんなこんなで、いよいよ、朝の上海駅前広場に到着です。


 上海駅は日本の鉄道駅と異なり、駅構内に入る前に検問があります。


 しかも、空港同様に手荷物のX線検査まであります。


 外の駅前広場は人が溢れていますが、駅構内はゆったりです。


 電光掲示板は分り易く、どうやら私の乗るD86列車は一番線から出発するようです。


 通路にも常に情報が電光掲示されています。そして、乗客は候車室と表示された待合室に入り、時間がくるのを待ちます。


 待合室のシートに座るまで、迷うことや不安に感じることは全くありませんでした。

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上海へ戻って

2010-11-03 00:01:38 | 上海 花の旅
 上海で初めてのツアーを終えて、再び上海の街に戻ってきました。オークラガーデンホテル上海の近くでマイクロバスを降り、向かったところは目抜き通りの准海中路にある倉(サンズイが付きます)浪亭。ガイドブックによれば「この店は元祖蘇州麺の店で、蘇州出身の両親をもつ初代が中国北部の麺をアレンジしたのが始まり。一日1000食以上の売り上げを誇る」と記載されています。


 店の中は明るく清潔な雰囲気です。連休初日のためか、街中に人影も少なく、店も空いています。


 そして、注文したのがこれ。
 料理の名前を控えるのを忘れましたが、丼の横の小さな皿に乗っているのは多分、鯰を調理したものだと思われます。これ自体はあっさりしていながら、魚の旨みも出ていて◎。ところが麺に生臭いような、土臭いような独特の匂いがあるのです。何だろうと思いなが、食べ続けましたが、どうやら調理に使う水に問題があるのでは、との推測に至りました。
 上海は400年ほど前までは、14mの高さの築山が一番高かったほど平坦な場所です。生で飲める水は普通には手に入らないのだと誰かが(多分ツアーのガイドさん)言っていたのを思い出しました。




 この店で考えさせられたことは中国と日本の、料理においても異なるその背景と成り立ちです。

 日本では簡単に手に入る清潔な水で素材を洗い、加工ができます。だから、素材本来の味を生かす調理法が発達したのだと考えます。刺身などはその典型だと思うのです。

 一方中国では、全ての素材を生では使うことができないために、強火で鉄鍋を熱して、調理せざるを得なかったのだと考えました。更に、調理に油を使えば、短時間で素材は高い温度に晒されるために、殺菌ができて、素材本来の味を素材の中へ閉じ込めることもできます。
 中華料理と日本料理の特徴の違いは、夫々の環境の違い、最終的には調理に使える水の品質で、かなりのことが説明できるのではないかというアイデアですが如何でしょうか?
 「え!」
 「そんなことは料理が美味ければはどうでもいい」
 「・・・ごもっともです」 

 さて、この夜の食事には少々不満が残りましたので、最後は結局、衝山路の「PAUL」で美味いビールを飲みながら、示唆に富んだ一日を終えることと致しました。


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蘇州のピサの斜塔

2010-11-03 00:01:19 | 上海 花の旅
 私はガイドさんに連れて行かれるまで、中国にも斜塔があることを全く知りませんでした。昨日、ツアーに参加することを決めたときから、ガイドブックを見ることもなしで、完全に「あなた任せ」。
 しかも、ガイドさんは、私が自分で何かを見つける前に、何かを探し出す前に、程よいタイミングで解説してくれます。
 例えば「中国のピサの斜塔の傾きは15度で、塔の上部は塔の倒壊を防ぐ為に、傾斜角度を修正した」ことや、その角度を一番良く写真に写すことができるのはこの場所です。などなど。



 また、斜塔が建つ虎丘の周囲の水路にも舟が浮び、「水の蘇州」としての趣を十分に楽しませてくれます。ガイドさんに「この水は何処から来てるのだろうか?」と質問してみました。
 「全長2500kmの大運河が北京から杭州まで繋がっていて、その運河から水が供給されている」との回答でした。
 中国のスケールの大きさを改めて思い知ることとなりました。



 とは言え、効率的で、ポイントを見逃すことも無いツアーなのですが、昨日までの旅のように胸にビビットくるものが少なくて、少々物足りないのは何故なのでしょか。
 今、この日を思い出してみても、心象風景として残っているものがそれ程多くはないのです。
 やっぱり、私は知らない場所を、「あれって何だろう」と驚いたり、ちょっとドキドキしたりしながら歩くのが向いているんだなと、このブログを書きながら、改めて自覚した次第です。

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