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何年か振りに 大坂峠越しを 走ってみました。阿讃越えでは、曲がりくねって、距離のあるこの道は、
敬遠気味です 昔から長く阿波・讃岐間は、みなこの道を、通っていたのですがね!
へんろ道の、石柱がありました。
源義経の大坂越え1186年(文治2年)2月、「十七日の卯の刻に阿波の勝浦に着きけり」と「平家物語」に出ている源義経の率いる一軍は、翌18日(19日という説もある)にかけての深夜にこの大坂峠を越えたといわれ、同書巻11には、「その日は阿波の国板東、板西行き過ぎて、阿波と讃岐とのさかひなる大坂峠といふ所にうち下がって」とある。 由緒ある峠越しです。
梅の花です。
わたしの影を撮っておきました。
大坂地区 阿波大宮駅を出て 板野に向かう 高徳線を走る列車は、阿讃山脈のいくつもの トンネルを
抜けて走ってきたのです。
山越しを曲がりくねって、 車を走らせましたが、 写真撮っていませんでした 残念!
瀬戸内海が見え・・・引田の町・・・が、見えます。 もうすぐ 国道11号に出ま~す。
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源義経の大坂越え1186年(文治2年)2月、「十七日の卯の刻に阿波の勝浦に着きけり」と「平家物語」に出ている源義経の率いる一軍は、翌18日(19日という説もある)にかけての深夜にこの大坂峠を越えたといわれ、同書巻11には、「その日は阿波の国板東、板西行き過ぎて、阿波と讃岐とのさかひなる大坂峠といふ所にうち下がって」とある。 由緒ある峠越しです。
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大坂地区 阿波大宮駅を出て 板野に向かう 高徳線を走る列車は、阿讃山脈のいくつもの トンネルを
抜けて走ってきたのです。
山越しを曲がりくねって、 車を走らせましたが、 写真撮っていませんでした 残念!
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