Malang Indonesia ジャワ島ぐらし

高原の学園都市マラン。Universitas Brawijayaや街での出来事を綴ります。

おろしあ国酔夢譚

2009-09-30 | Diary
結婚の翌年に母と二人で見た映画で

緒方 拳(おがた けん)さん
西田 敏行(にしだ としゆき)さん
川谷 拓三(かわたに たくぞう)さん
沖田 浩之(おきた ひろゆき)さん達の熱演が心に残っています。

緒方拳さん、川谷拓三さんはお亡くなりになってしまいましたね。
大好きな方々でした。



さて、いつものwikipediaによると。

『おろしや国酔夢譚』(おろしやこく すいむたん)は、
井上靖(いのうえ やすし)による長編小説。1992年に映画化された。

1966年から1968年にかけて『文藝春秋』に掲載され、版元の文藝春秋から刊行された。日本文学大賞受賞、のち文春文庫、映画化の際に徳間文庫でも刊行。

大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)をはじめとする、
漂流(ひょうりゅう)した神昌丸(しんしょうまる)の
乗組員(のりくみいん)17人の運命を、
日露(にちろ)の漂流史を背景に描き出した歴史小説。

『北槎聞略』などを参考に書かれている。

あらすじ
天明2年(1782年)、伊勢を出発し、
光太夫ら17人を乗せた船「神昌丸」は、
江戸へ向かう途中に嵐に遭い、舵を失って漂流中に1人を失いながらも、
8か月の漂流後に当時はロシア帝国の属領だった
アムチトカ島に漂着した。

この島で7人の仲間が次々と死んでいくが、
残った9人は現地のロシア人の言葉やアムチトカ原住民の言葉を習得しながら
帰国の道を模索する。
漂着から4年後、現地のロシア人たちと協力し
流木や壊れた船の古材を集めて船をつくり、
カムチャッカ半島のニジネカムチャックへ向かう。
だがここで待っていたのは島とは比較にならない厳しい冬将軍で、
さらに3人を失うのであった。

残った6人は、現地政庁の役人たちと共に
オホーツク・ヤクーツク経由でイルクーツクへと向かうが、
1人が重い凍傷で片足を失ったため帰国が不可能と悟りロシアに帰化する。
また、さらに1人が病死する。

この地の政庁に帰国願いを出しても届かないことに業を煮やした光太夫は、
当地に住んでいた学者のキリル・ラックスマンの助けを借りて、
ラックスマンと共に(漂流民としては一人で)、
女帝エカチェリーナ2世に帰国願いを出すために
、ロシアの西の端の帝都ペテルブルグへ向かった。

数か月後、夏の宮殿でいよいよ女帝への謁見が決定したが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97%E3%82%84%E5%9B%BD%E9%85%94%E5%A4%A2%E8%AD%9A


さて、私はというと

井上靖さんの文庫本を買い、何度も何度も読み返しました。
最後にある光太夫(緒方拳)の台詞
「俺たちは、見てはいけないものを早く見すぎたんだ」
という言葉に何度も何度も自分を重ね合わせて、

仕事で関係した「帰国子女」(きこうしじょ)といわれる
バイリンガル(二ヶ国語話者)の若者たちになぞったり...


早すぎる人生を嘆いた時期もありましたが...

今は大国屋光太夫たちに続く、中浜 万次郎(ジョン万次郎)、
そして国を開くために力を尽くした多くの人を思い、
最初の留学生とし5歳のときにアメリカにわたり
津田 梅子(つだうめこ)ら5人の少女たちに感謝し、
唐土の新地で幸せに過ごしています。


建国60周年おめでとうございます。
この記念すべき年に、専門家として招聘してくださった
せつ江省の教育庁に感謝をします。

外国人専科:中国の近代的発展のために政府が特別に招聘する外国籍の人
      だそうです。




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