最近の若い人の考えを、自分の過ぎ去った過去に置き換え比較してみると、やはり大きな違いが存在する。
その一つが学校での教育と、家庭内教育である。(全てがそうではないが…)
まず体罰…私の時代は当たり前であった。小学校の時から、悪い事をすれば鉄拳制裁は当たり前であった。
当然…そこには互いの信頼関係があったからであるが、殴られても蹴られても、そこには確立された正統性な理由が存在した。
だからこそ、親も生徒も文句が言えなったし、何と言っても教育者に威厳が存在した。
例えば、文句を言おうものなら、逆に言い返す理論と熱意のある先生が存在したし、校長先生も懐に辞表をはさみ、先生を擁護する構えを見せていた。
まさに教育者が、命がけの教育をしていたから、今でも信頼し付き合いが継続している。
かたや現状の教育はどうであろうか・・・
教育委員会がいけないのか、トップに君臨する日教組に問題があるのか、先生が疲弊し、勢いを感じない。
先生が本来の教育から逸脱し、不祥事を重ねる状況でもある。
ずいぶん変わったものであるが、そこの根にあるものは、学校内では退治の出来ない異様なものであろう。
教育水準の低下は、最近の若者の辛抱できない体質に現れている。
家庭内でも子ども教育をろくに出来ない人が、学校に依存し過ぎた過去の体質が、いまの社会で役立たなければいけない人材に、うまく供給があっていない。
以前ある人から…「最近は入社した社員に、挨拶から教えなければならない。いったい親は何を教育したのか…」との声を聞いた。
正業についても、継続しない人は、いつの時代でも多い。
今日のフリーターや派遣で職業(社会)から追放という憂き目にあった人…
冷たい言い方であるが、全員に私は同情しない。
自分を律することが出来ない人間に、この世は甘くはない。
人間とは、大半が満身創痍の状況の中、責任を持って生きなければならない。
多少のことは自分ではねのけるパワーも必要…
自分の人生をおろそかに…とまでは言わないが、自分の人生…自分でやり遂げることが出来ない人間教育は、終わりにしてほしい。
もっと頑張れ…もっとぶつかれ…もっと辛抱しろ…
忍耐力と自立できない人間になってはいけない。
人間最後は自分の判断力が人生を決める…
そのことを多くの若人に気づいてほしい…