これまで多くの選手が退団した。
何もカープだけの話じゃないが、一軍で起用してみれば…思わぬ成績を残した可能性があった有力選手も多数存在したのも事実である。
国木剛太…ご記憶だろうか?
大阪の上宮高校から、11年前に入団した左腕投手である。
同期には大竹、大島などの一軍実績組がいるのだが、彼は一度も一軍のマウンドを踏むことなく球界を去った。
彼は高校3年のとき、左手首を練習中に故障した。
そのケガは野球生命を断念させるほどの重症だった。
しかし国木は、そのケガを隠し騙しだまし練習を続けた。
すると異変が起こった。痛みはないのに捕手までボールが届かない。何球も繰り返すも、その連続で絶望を味わう。
もし、たら、れば、は、禁句であるが…もし、あのとき早めにケガに対処していれば、彼は間違いなく大竹と並びドラフト1位の称号を与えられた投手だったに…
そんな状況の国木であったがカープに指名された。
ドラフト前のメディカルチェックで、「すぐには完治とはいかないが、間違いなく数年後には戦力となるまで回復する」とのお墨付きがあったから、カープは国木を指名した。(他球団は指名を見送る)
球団も将来の左腕エースとして期待も高く、国木自身も、その期待に応えるため懸命にリハビリに励んだものである。
しかし左手首は、あの豪腕を彷彿させた時代に一向に戻る気配を見せなかった。
プロのリハビリ力から、やっと130キロ後半のボールが投げられるようになったのだが、コントロールがままならず、ファームの試合に登板するも、国木本来の持ち味は消え去り、ただの左腕投手になっていた。
ネット裏で観戦する他球団の編成部門も、「あれが、あの豪腕と呼ばれた国木なのか?」と、首を傾げる始末。
国木のプロ生活の終わりを告げる日は、確実に近寄っていた。
現在の国木は、地元大阪にて少年野球を指導する立場にある。
自身の苦い経験から、ケガをすると早めの対処の必要性を説きながらも、野球は楽しく行うスポーツだと教え込んでいる模様。
プロでは実績を残すことはなかったが、またいつの日か…あの輝いた上宮高校時代の自身と同じような選手を育成してほしいものである。
何もカープだけの話じゃないが、一軍で起用してみれば…思わぬ成績を残した可能性があった有力選手も多数存在したのも事実である。
国木剛太…ご記憶だろうか?
大阪の上宮高校から、11年前に入団した左腕投手である。
同期には大竹、大島などの一軍実績組がいるのだが、彼は一度も一軍のマウンドを踏むことなく球界を去った。
彼は高校3年のとき、左手首を練習中に故障した。
そのケガは野球生命を断念させるほどの重症だった。
しかし国木は、そのケガを隠し騙しだまし練習を続けた。
すると異変が起こった。痛みはないのに捕手までボールが届かない。何球も繰り返すも、その連続で絶望を味わう。
もし、たら、れば、は、禁句であるが…もし、あのとき早めにケガに対処していれば、彼は間違いなく大竹と並びドラフト1位の称号を与えられた投手だったに…
そんな状況の国木であったがカープに指名された。
ドラフト前のメディカルチェックで、「すぐには完治とはいかないが、間違いなく数年後には戦力となるまで回復する」とのお墨付きがあったから、カープは国木を指名した。(他球団は指名を見送る)
球団も将来の左腕エースとして期待も高く、国木自身も、その期待に応えるため懸命にリハビリに励んだものである。
しかし左手首は、あの豪腕を彷彿させた時代に一向に戻る気配を見せなかった。
プロのリハビリ力から、やっと130キロ後半のボールが投げられるようになったのだが、コントロールがままならず、ファームの試合に登板するも、国木本来の持ち味は消え去り、ただの左腕投手になっていた。
ネット裏で観戦する他球団の編成部門も、「あれが、あの豪腕と呼ばれた国木なのか?」と、首を傾げる始末。
国木のプロ生活の終わりを告げる日は、確実に近寄っていた。
現在の国木は、地元大阪にて少年野球を指導する立場にある。
自身の苦い経験から、ケガをすると早めの対処の必要性を説きながらも、野球は楽しく行うスポーツだと教え込んでいる模様。
プロでは実績を残すことはなかったが、またいつの日か…あの輝いた上宮高校時代の自身と同じような選手を育成してほしいものである。