宮本武蔵とはご縁があります。大学に行った山口は佐々木小次郎と決闘した巌流島があり、熊本は細川家に仕え、霊厳洞で五輪書を書く等、晩年を過ごしました。そして加古川が実は武蔵の生まれ故郷という説が最近はかなり強くなってきています。
加古川の泊町にある泊神社は武蔵の甥で剣の弟子で養子になった伊織が出世してから再建した神社です。このあたりの資料も色々と出てきていて武蔵加古川(高砂)説が有力だそうです。武蔵の言葉といわれる「我事において後悔せず。」があります。批評家の小林秀雄さんはこれを「我、事において後悔せず」と読むとおっしゃっていました。日々無私の状態でいることが剣の精神だというようなことを言っておられます。わたしはいつも空だからこそ何事があっても100%対応できるという意味にとっています。
武蔵の剣の強さは身体がいつも真空状態であって当然頭の中にも雑念がなく身の回りで起こったことに身体が意識の前に動くのだろうと推察しています。わたしもそういう身体にしていこうと随分前に考えたことでした。実は住民ディレクターの「押せば映る」は瞬間の動作ができるかどうかであり、「身体がカメラ」は考えるより前に身体が動く武蔵から学んだものでもあるのです。シンプルな動きは本当はとっても難しく、考えるより動く人達にとっては意外と受け入れやすいものです。頭でっかち状態ではまず無理でしょう。