ずっと前から構想している映像化のひとつに「Nipponのムラ」というテーマがあります。
「住民ディレクター:原点の奥」で書きはじめたように一応社会学をかじっていましたが勉強は全くしていません。しかし歩き、飲み、語り、交流することだけは学生時代から随分とやってきました。フィールドワークと言えばこういうことではないかと自分では感じています。で、実は住民ディレクターのひとつの大きな原点になった人吉球磨地域で持ち続けていたテーマのひとつが「日本の村 須恵村」です。
須恵村は合併を繰り返しもうありません。現在はあさぎり町です。この須恵村に1935-1936の間、米国のジョン・F、エンブリーという文化人類学者が夫婦で入りました。時は第2次大戦前で日本を研究し尽くしたものだったようです。私論ではこのエンブリーの研究が対日本戦略に大きく役立ち、戦後のGHQの占領政策に大いに活用されたのでは、と考えます。
そして村落共同体を破壊するには都市に田舎の若者を集めてしまえばいい。そのためにラジオ・テレビが果たした役割はとんでもなく大きいものだったと思います。さてわたしは17,8年前からこのジョン・F,エンブリー夫婦によって分析された日本人の底力があった人吉球磨地域で、壊され続けた共同体をもう一度紡ぎ直し、新たな地域振興の役割を担うものとしてテレビが逆に使えることを発見しました。
この紡ぎ直しをまたこのテレビによって地域の人々にしっかりと見てもらうメディアを構想してきました。例えて言うなら宮本常一さんの「忘れられた日本人」を今の時代に見いだし表現し、日本的な共同体を紡ぎ直す地域活性化策と考えます。東峰村に住み、集落の皆さんと会い、飲み、語り合うことがわたしのフィールドです。村外から気軽に立ち寄ってくれるファンを増やします。またその交流の様子を「とうほうTV」で放送することがわたしが考える Action Media 、「行為する道具、行動するための媒体」です。