兵庫県加古川市で18歳の春に決めたことは、実家を出て誰一人も知り合いのいない土地でゼロから自分の人生を創っていくことでした。
行ける範囲で大学には行って一応社会人になるための勉強というものがどういうものなのか?だけは知っておいて、後は自分一人で生きていける何かを身につけることを考えました。だから選んだのは加古川から一番遠くで費用がかからず自分の実力で行けそうな大学でした。結局実力不足で一年浪人して実際は19歳でその生き方を実現することになりました。
大学も金がかかる私立は行けないので2年続きで目指した山口大学に何とか滑り込みました。今、思えばかなりいい加減な受験でした。ただ遠くて安くて何とか滑り込みそうな大学というのが選択基準で何を学びたいとか、誰々先生につきたいとか、何になりたいのでそこへ行くというのは皆無でした。今日ふっと福岡県東峰村で次なる起業を考えるべくホワイトボードに次々と書き込みをしているうちに最初の覚悟の頃の自分に行き当たりました。
昨年のお盆からここに住み込んでいますがこの村で新たに起業し、村民の皆さんと一緒に村を活性化することを考えています。(それが日本中、世界中で困っている地域の解決策モデルになれば・・・と。今はかなり具体的に「東日本」ですね。)何故?こんなことを考えているのか?やはり原点は18歳の時の素直な気持ちです。 またつづきを書きます。
「住民ディレクターという生き方をお伝えします。」という意味を正確に表現することが今必要とホワイトボードに書き込みながら気づきましたので。