岸本晃の住民プロデューサーNEWS

マス・コミュニケーションは一人から

 テレビ局で走り回っている頃は大きく動いているように勘違いしていました。

 何しろ毎日情報だけは次々と入り多くの人と取材等で会いますからいわゆる頭でっかちになってしまいます。熊本県内98市町村を歩き、様々な番組で次々と新しい人と出会い最短距離でその方々と会って分かれます。最短距離というのはとにかく放送までの数回、数時間の共有する時間でどこまで理解できるかが勝負だからです。呑んで語ることもありますが、そういう目的があると呑んでいても最短距離で呑む習慣が知らず知らずとついていたのではないかとおもいます。

 いつも忙しくしている自分が充実しているように勘違いしていたのです。時折やってくる客人がゆったりと山を歩き、川で遊ぶ話を聞いても「取材」的発想で聞いてしまう癖はずっとあったように感じます。テレビ局をある日突然退職するのは生活している山の人、川の人、海の人、田畑の人などの逞しい自然児のような生命力や屈託の無い笑顔に魅せられたことが大きかったと感じます。どこかで決めていた。だからある日ある晩の一寸したきっかけで「辞めた」となったのです。

 それまでを「メディア人」とすると「生活人」としてのスタートは42歳です。生活人を続けてきてその中でメディアを駆使していると卵と鶏の話がよく思い出されます。生活とメディア、生活人がメディアを駆使するのとメディア人がメディアを論じるのは全く違うステージにいます。メディア人は数多くの人と出会い、名刺の数は猛スピードで増えますが、心おきなく語り合う人は一体何人いるか?と振り返るときっとお寒い状況が見えるでしょう。数は少なくても付き合いの深さが違うなら会うたびに一人一人の人間とのお付き合いは深まるはずです。本音が表現できるかどうかによりますので自ら本音を語らないとそうなりませんが。

 このあたりの日頃の生き方が講演等をしているとすぐに見えます。その方の質問、質問の仕方、こちらが話している趣旨の勝手な解釈と拡大解釈が予想もしてない方向に持っていかれます。軌道修正するには「違う」とはっきりと伝えることしかありません。何が違うかを話してもだいたいこういうケースはそれさえも勝手な解釈に連れて行かれます。時代の動きがかなり激変しているので以前感じた「一寸違うなあ」という感覚は「全然違うんだけどなあ」という感覚に変わってきています。講演や研修をしているとこのあたりの誤差から来る疎外感がとても強くなっていきます。

 そうすると一人でいいから正確に伝えられる人の存在が大変貴重になっていきます。何事も一人からはじまり伝わるかどうかは出会いと表現力で決まっていくと感じます。1本のマスメディアルートとは全く違う感覚でかつてはミニコミと言われた小集団の自然発生的連携が起こりつつある今、というよりも個々人の変則的なランダムな連携が起こりつつある今、新たなマス・コミュニケーションの土壌が耕されている時期と考えています。Twitterという道具を生活に密着して使っている人達の中からこの新しい芽生えを感じます。まだまだ少数ですがこの本格的な情報化社会時代はこの個々人の連携と小集団の連携を同時進行させ予想もしなかった新しいネットワークになっていくと見えています。住民ディレクターのステージが確実に整いつつあります。


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