佛陀は、解脱したのち、6年間の苦行は無駄であったと言った。が、瞑想が苦行だったとは言っていない。それより瞑想は心地よいものだと思っていた。何故瞑想を行わなければならないのだろうか?正しい瞑想とは、どのような瞑想なのだろうか?
瞑想を行う一番の目的は、陰と陽の気を交流(スパーク)させ体温を上げることにある。ヒマラヤの奥地の雪が降る中で裸で瞑想を行い、周りの雪を解かす猛者もいるそうである。この熱を発生させるエネルギーは地のエネルギーである。
結跏趺坐に座り、足の三陰交を刺激させ、肛門と性器の間にあるチャクラを活性化させる。これは地下に住む龍(ナーガ)のエネルギーを吸収するためである。エネルギーが活性化するとエネルギーは突き上げるように頭に駆け上る。そうすると脳内ホルモンが増え、トランス状態に入るのである。
この状態が、「我れが神か神が我れか」の境地である。ある者は組んだ足をバタバタさせながら倒れ(サマディー状態)、人間界と神界との間を行き来する体験をする。これが常態的に行えるように訓練するのが瞑想の目的であろう。ヒマラヤのシャーマンたちは、この境地に短時間に入る事が出来、クライアントの悩みを解決する方法を神から得るのである。
得ると言うより、敏感なエネルギーを感知できるようになるため、患者の悩む原因をエネルギーを通じて探すことが出来るようになる。過去の何が原因で病気を発症させたかを探るのである。つまりトラウマを探し、それを魂から解き離すのである。この状態になることをムクターと呼び、魂を解放し病気や悩み事を解決するのである。
この能力を得るには、脳内神経伝達物質を増やさなければならない。増やすには、正しい瞑想法が必要であり、黒焼きの粉末(脳内に充満した熱を去り、毒素や寄生虫を出す目的に処方された黒焼き)や香木(魔を退治)の火のプージャの助けを借りて目的を果たすのである。若者たちはディスコで踊る事により、魂の解放を行っている。チカチカ絶え間なく連続的に光るライトがプージャの時の光であり、パンチの聞いた音楽が神様の儀式で行う笛や太鼓の代わりになっている。これに酒が加わると失神する者もあらわれる。
低音領域の音は脳内に大きなエネルギーの信号を発生させ、過剰な刺激により、健常意識を遮断し変性意識を導き出す。意識水準を低下させるための強力な武器なのである。であるから、音楽療法なるものが考えられたのである。
瞑想もディスコで踊る事も心地よく嫌なことを忘れる事が出来るから苦痛ではないのである。心地よさを体験すると癖になるであろう。