仏の花とは、仏になるための花と言われ、ヒマラヤの奥地の穢れの無い場所にひっそり咲く花だそうである。仏になるとは、生き仏の事を指しているのであり、いわゆる死んだ後に目指す仏(成仏)とは違う。
死んだあと、浄土に向かわせる花には、彼岸花がある。この花は彼岸から死後の世界に渡る三途の川を無事に渡らせるための花であろう。また、日本には、古の昔から「死に水」という言葉がある。死んだ後に飲ませる水であるが、この水に彼岸花が使われていたのではないだろうか?その為に「死に水」が必要だと思うのであります。
三途の川を無事に渡ることが出来ない者は、迷いの世界に入る。つまり、この世にも帰ることが出来ず、あの世にも行けなく、永遠に彷徨う浮遊霊になるのである。たびたびこの浮遊霊が生きている者を悩ませる。ゆえに供養が必要なのである。
この浮遊霊に対する供養とは、無事に三途の川を渡らせることである。この儀式を行うために彼岸花が存在するのであろう。秋になると田舎のあぜ道に彼岸花が咲き誇る。何を人間に教えているのであろうか?
世に陰のエネルギーと陽のエネルギーが存在することは、疑いのない事実である。彼岸花が陰のエネルギーなら、仏になる花は陽のエネルギーであろう。ブッダは人間に生まれた、全ての人は仏になることが出来ると説いている。つまり、生きている間に解脱出来ると説いているのである。
その為には、ブッダが教えることを実践しなければならない。その教えに仏になる為の花が記されているのである。これを教えるためにブッダは「6年間の苦行は無駄であった」と言っているのではないだろうか?
22年間探し求めた幻の花がヒマラヤの奥地で見つかったと連絡があった。これを求めヒマラヤに行かなければならない。車で行ける場所から三日かかる秘境にひっそり咲いているそうである。ブッダに縁ある人にのみ教える密教には、三種類の花や薬草が記されているのである。勿論陽のエネルギーを持つものだから無害である。
危険なアワヤスカや幻覚キノコなどは彼岸花と同じく陰(暑い気候で育つ)のエネルギーが強いものであろうと思われる。絶対手を出してはいけないのであります。現在では環境の変化により、里には変種(環境に適応する毒を持つ)したものしか存在しない。バリ島(観光地)もナーガランド州(辺境の地)で使用されいる花も異種化したものと推測される。それなりに効果はあるであろうが、ブッダが教える安全な原種を求め続けるのは当然である。これが幻と呼ばれ、神秘的に語られる時代が、末法(暗黒)の時代であり、大気汚染、食品公害、オゾン層を破壊し、放射線をまき散らしても、便利さを追求した人間に対する因果応報であり自業自得であります。