災いが自分の身に起こると、誰しも怒る。が、この災いは災いであって災いではない。災いがあるから福が来るのであって、災いが無ければ福は来ないとも言える。例えば、災いが強風だとする。もし強風が来なければ海底の浄化も川の浄化も山の浄化もできないであろうし、これを強風と言うなら無風が良いのであろうか?
一見して無風の方が自然にとっても人生においても良い様に思うであろうが、無風なら飛行機も飛ぶことは出来ないし、船を進まさせることもできない。飛行機は風の抵抗を利用して上昇気流に乗ることが出来るし、船も帆で風を受けて前に進むことが出来る。
ゆえに賢い生き方が出来る人は、災いを災いと思うわず、次のステップに進むための試練だと思い、受け入れる。受け入れが出来る人には、災いが災いでなくなり、福を引き寄せるエネルギーとなる。災いが起きた時に、あれこれ考え災いを大きくしていく事になることも知っていなければならない。
もし、信頼している人から騙されたら怒り狂うであろうが、それはその時の一瞬の出来事であり、何年か先には福に転じているかも知れない。起こった事を元に戻すことは出来ないのであるから、受け入れるのが最善だと思うし、それにより自分から毒を吐くことは抑える事ができるであろう。
この怒りの毒は一瞬にして血液を酸性過多の真っ黒の血液に変えると言う。この酸性化された血液こそ免疫力を最高に落とす物質であり、災いを受け入れ事が出来ない人が、いくら高いサプリや栄養クリームをつけても無駄になるのであります。
そいう私もつい最近、信頼する人に北極熊をシロクマと言われ買わされた。とうより、こちらが求めたのであるが、結果は北極熊であった。その人もシロクマと信じて私の為に行った行為であるかも知れないので、私は事実を知った時にも怒ることはなく、受け入れたし、信頼関係は保っている。
私に必要でない物は、私に届くはずはないし、ババがそのようにするわけはないと思っているので、何故か?何故か?と考え調べていたら一つの間違いに気づいた。シロクマの白い毛は、クロクマの毛と同じく太陽光線を大量に受け入れる機能は備えていないが、北極熊の白い毛はストロー状になっており、太陽光線すなわちスーリヤのエネルギーを大量に受け入れる事が出来る。
必要ないものは、ババは私に届けるわけはないと固く信じている私には、その意味も答えも近い内に解明できるであろう。それが災いを福に変える秘訣であろうと思っているところです。

一見して無風の方が自然にとっても人生においても良い様に思うであろうが、無風なら飛行機も飛ぶことは出来ないし、船を進まさせることもできない。飛行機は風の抵抗を利用して上昇気流に乗ることが出来るし、船も帆で風を受けて前に進むことが出来る。
ゆえに賢い生き方が出来る人は、災いを災いと思うわず、次のステップに進むための試練だと思い、受け入れる。受け入れが出来る人には、災いが災いでなくなり、福を引き寄せるエネルギーとなる。災いが起きた時に、あれこれ考え災いを大きくしていく事になることも知っていなければならない。
もし、信頼している人から騙されたら怒り狂うであろうが、それはその時の一瞬の出来事であり、何年か先には福に転じているかも知れない。起こった事を元に戻すことは出来ないのであるから、受け入れるのが最善だと思うし、それにより自分から毒を吐くことは抑える事ができるであろう。
この怒りの毒は一瞬にして血液を酸性過多の真っ黒の血液に変えると言う。この酸性化された血液こそ免疫力を最高に落とす物質であり、災いを受け入れ事が出来ない人が、いくら高いサプリや栄養クリームをつけても無駄になるのであります。
そいう私もつい最近、信頼する人に北極熊をシロクマと言われ買わされた。とうより、こちらが求めたのであるが、結果は北極熊であった。その人もシロクマと信じて私の為に行った行為であるかも知れないので、私は事実を知った時にも怒ることはなく、受け入れたし、信頼関係は保っている。
私に必要でない物は、私に届くはずはないし、ババがそのようにするわけはないと思っているので、何故か?何故か?と考え調べていたら一つの間違いに気づいた。シロクマの白い毛は、クロクマの毛と同じく太陽光線を大量に受け入れる機能は備えていないが、北極熊の白い毛はストロー状になっており、太陽光線すなわちスーリヤのエネルギーを大量に受け入れる事が出来る。
必要ないものは、ババは私に届けるわけはないと固く信じている私には、その意味も答えも近い内に解明できるであろう。それが災いを福に変える秘訣であろうと思っているところです。
