地球も宇宙も常に進化の方向に進んでいる。進化をなす動力は目に見えないエネルギーであり、エネルギー
は意識でもある。ゆえに人間から見た進化とは、一歩も二歩も先の意識を持つ宇宙意識と繋がる事である。この
宇宙意識を神と呼ぶのは何故かを考えねばならない。
宇宙意識とは、完全に一つの方式に従って進化と向上という秩序を守って進化できるエネルギーであり、このエネルギー
が人間を進化させている。その進化の先は宇宙の意識体と同魂する事でありましょう。魂であります。肉体がいくら
魂を否定しようが、魂は宇宙意識という存在を知って、この世に生を受けたのであるから、肉体が神を否定すればするほど
肉体と魂すなわち宇宙意識との調和が乱れてくる。この調和の乱れを起こすのは、便利さを追求する経済システムから起こ
っている。
もっと豊かな生活をしたい。もっと楽をして儲けたい。人より金持ちになりたい。昭和の時代は、洗濯機があれば冷蔵庫が
あればと豊かさを追求した結果が今である。夫婦共稼ぎをしなければ生活が出来ない状況であり、その稼ぎの大半は競争に
勝つために使われている。子供たちが通う塾や家庭教師がそうである。
昔ならそれも有効であったろうが、皆が塾に通う時代になれば、どうでありましょうか?このように無駄な事に能力と資源を
使う事が進化と勘違いしている。神が言うところの進化とは魂を豊かにする事であり、人間の進化は肉体を豊かにすることであるから
神から見れば人間は、後退を
していることになる。この後退の時代であるから、今の世があるのである。あれだけ新薬に否定的であった学者たちは、コロナ
ワクチンに対して沈黙を守っている。これで政治の責任にするのはどうかと思うところであります。
仙人が創るグッズや神の塩も常に進化と向上がなされています。これは3年前と今では、修行における魂の進化によって
宇宙意識の受け取りも変わって来るのであるから、その工程において徐々に進化がなされおり、絶対後退ではない。競争社会で
ある経済システムでは、徐々に後退がなされていることを知らねばなりません。例えば味噌一つにしても後退がなされている。
長期熟成して酵母の力で熟成したものが本物であるが、それをいかにして早くするかの競争がなされている。納豆は朝仕込んで
夕方には出来るという。これの食品を食べて魂の成長に役立つのであろうか?肉体に効果があっても魂の成長には役立たないと思う。
陰(魂)が陽(肉体)を支えているのであるから、本当の健康を目指すには魂を成長させなければならないが、肉体オンリーの間違った
学問で健康が語られている。これが進化と言えるでありましょうか?科学の力を持って進化というのは事実は後退ではなかろうか?
神の塩は一回に1kgの仕込みを行います。これが1/3になったら次を仕込むのであるが、その時、魂の向上において仕込み方が
変わる時がある。それと材料はすべて自然の天然物であるから時期によって味も変わる。が確実に進化されたものが出来ている。魂が
進化するものである。
グッズもそうであるが、2~3年前と今では確実に進化がなされている。100マイクロシーベルトで有頂天になっていたのが、今では
500μ㏜以上を目指している。そして病気の治し方(魂の進化)も徐々にではあるが変わってきている。2~3年前では苦労していた病気
に対して治すことが出来るのではと思うようになっている。まだまだ進化の途中であり、最終は無いであろうが確実に進化はしている。
進化とは魂が宇宙意識と調和して、宇宙エネルギーにおいて魂に栄養というエネルギーを注ぎ込むという事であります。それに必要なもの
にマントラがある。このマントラの不思議な処は、同じマントラでも2年前とは効果が違うという事である。これは輪の中の人々が進化する
事によって共鳴する力に置いて力が増して行く。ゆえにババファミリーの人々の魂が進化すれば、ファミリー員にも同じエネルギーが注がれるので
ありますから、私や古い生徒はその機関車であり、機関車は、また新しい人たちからエネルギー得ることが出来る仕組みでありますから、新人を
育てていかなければならない義務も負わされているのであります。
特に私の役目は、多くの人が苦行をしなくても魂の成長が出来るシステムを編み出すことだと思っている次第です。