六面のルドラクシャについて
六面とは、インドではシックスムキ等と呼ばれ、菩提樹の丸い木の実に6本の筋がある物の事で1~23面まであるそうです。これは霊性修行の段階とも言われており、生物に生まれた全ての物には、仏性(万物に仏性あり)があるとお釈迦様は述べている。仏性とは、神仏の魂が入っているという事であり、例え小さな目に見えない物にも仏の慈悲が入っており、仏の魂が流れていると説いているゆえに、蟻一匹殺さず、食べる物は根を絶やさない木の実などしか食べない宗教がある。この宗教はジャイナー教と言われ、衣服も殆ど身に着けないのであります。
人間は三次元に住むゆえに3段階目で修行している生物と思って考えて欲しいのであるが、いろいろ疑問を唱える人もいるであろうが、あくまでも過程で考えて欲しい。人間はわずか3段階の生物であり、その上には永遠と氣が遠くなるような境地の高い位が控えており、そこに向かって生かされているのであります。では、お釈迦さまやジーザスは何段階にいるのだろうと考えるにおいて興味が湧くのであるが、私は18~19段階と思っている。でありますから、最高神の位にいる事は間違いないのであるが、まだまだ先の創造主と呼ばれる神がいると考えなければ、宇宙は解明出来ないし、謎は永遠に手が届かない。
しかし、これも想像の事であります。現実に話を戻しますと、私たちは三次元である人間界で修行させられているのだが、魂的には六次元の人もいれば七次元の人もいる混在した社会で日々生活をしているので、一致した考えで纏まる事はないので、この世界の議論は無駄な事になるのでありますから、考える必要もないし、人が何を言おうが、我関するで、神だけを思い、神だけを見ながら、ただ黙々と修行をすれば良いのであります。わずか三段階の人間が過ちを犯さない方が無理であるので、過ちを犯すのが人間であると神仏は行っているのであります。いくら学歴があろうが、地位があろうが人から尊ばれようが、わずか三段階に生かされている人間ゆえに、過ちを犯すので、人を裁かずとジーザスは言っているのであります。極論を言えば乞食も学者も政治家も所詮は目くそ鼻くそなのでありますから、一つの参考意見として聞いても、神の教え以外を信じると、上の段階には行けないと神仏は戒めているのです。
それでは、私たちに害を与えるアスラー界やアシュラー界や粗意識体と言われる霊は何処にいるかを考えないと先には進めないし、道を踏み外す事になる。人間が死んだら成仏する霊と成仏しない霊がある。成仏とは、字の如く、仏になる事でありますから、仏の世界に行くか、行けないでこの世とあの世の間を彷徨か、若しくは、地獄界と言われる世界に行くかに分かれるのが、人間界で行った行為に対する審判によって下されるのであります。ゆえに執着が強いとこの世に未練を残し、あの世には行けないで3段階と4段かの間を彷徨い続ける事になる。これが浮遊霊であります。修行において短期的に法の力を欲しがり、ブラックと云う世界に興味を示すと間違いなく、4段階5段階6段階に住む魔界と繋がる事になるし、生きている時にも、予備軍としてエネルギー通信し、そちらのエネルギーを使う人を見受けるのでありますから、ややこしくなるのであります。
お釈迦様は死んで見ないと真実はわからないので、一筋に仏の話を聞けと言い、一回では理解できないので、聞け聞け何度も聞けが、聞く聞くになり、それが菊になり天皇家のご紋は菊の花で、日本国の紋章も菊の花なのですが、天皇家は庶民を間違いない道を教えるために、菊の花が二重になっており、一回聞いてもわからないので聞け、聞けで、二重になっているのであります。さて、難しくなったのであるが、何故六面のルドラクシャを好むかと言いますと、6段階目からは、シッディーすなわち法力を授かる事が出来る段階であり、その段階までのエネルギーは生きている者とも共有できる事になっているので、六段階の正法のエネルギーを授かる為に、それが可能になる入魂をして渡しているのであります。
反対に考えるとアスラー界も4、5,6段階までに住むエネルギー体なので、それに惑わされずに一気に7段階を目指すプロテクトでもあるのです。ですから常に身につけていますと、甘い言葉で寄って来るアスラー界からの使者とは波長が合わず詐欺にも騙されない事にもなりますし、病気をしても悪魔界の罠に嵌る事なく、正しい医療を選択出来る事になります。長くなるので結論を出しますが、7段階に到達したら、その後は悪魔界とは関係ない世界ですから、自動的に年数と神のサポートをすることで上に上がって行く事が出来ます。下に落ちる事はない段階とも云われています。この自動的に上がっていくシステムを聖者は良く、オートマティックと言っているのであり、優秀な者は下界して人間に神の教えを説くのであります。アバターですね。