ババは彼らに向かってどなりました。「馬鹿な事をいうんじゃない。生徒の面倒の味方ぐらい分かっている。タティアは生徒じゃない、私の右腕だ。私の手だ。どう面倒見るべきかは分かっている。私が言って会う事が、本当に必要だと思うのか?あの子は自分のカルマを苦しんで味わなければならないのだ。
それももうすぐ終わる。心配するな。お前たちは関係のない事だ。さあ、昼食を摂る時間だぞ。もう1時だ。昼食を済ませてきなさい。ドワルカマイから出て行くんだ」皆ババの性格を分かっていました。「分かりました。それで結構です」
皆が去り、ごご2時ごろ、ラクシュミバイは床を掃いていました。彼女はそろそろ家に帰って、ババの食事を持ってこようかという所でした。ババは火の前に座り、彼女には理解できないいろいろな言葉で話をしていました。いつもいろいろな話し方をするので、皆、ババは頭がおかしいと思っていました。
その時ババが言いました。「ラクシュミバイ、おまえには本当に感謝している。母として、お前はこの肉体に沢山の食事を与えてくれた。私はおまえに何をあげようか?」それは今まではまったく違う、これまで聞いたことのない話し方でした。「何をあげようか?」とババは言ったのです。
彼女は「ババ、どうしてそんな話し方をするのですか」と言いました。「私はあと数分で、サマーディに入る」彼女には理解できませんでした。ババが冗談を言っていると思ったのです。ババはいつも冗談を言っていると思っていたからです。ババはそういう性質でした。
・高次元を目指すために5
昨日は金曜日だったので田中さんが来て家のメンテを行った。この小屋は20数年前一番最初に作った小屋なので、壁の一部が腐り張替が必要だったのでお願いした。彼にとってこの日は、私からいろいろの情報を聞き出す日でもあったようだ。情報の多くは、今抱えている患者さんの治し方を知る事であろう。しつこく粘り強く聞き出そうとする。結果が出ているからであるのです。特にお香とオイルを使い出して急激な変化が彼の中で起こっている。
治療でミラクルを連発しているのも事実であるのだが、びっくりする事は、彼の考えが急変した事であります。私が常々何年も言っていたことが、マスターできたことなのです。瞑想してマントラを唱えることも重要な行なのだが、それはここまでに来るために必要な行であって真髄の行では決してない。その証拠にインドに何十回行こうが、どんな有名な偉大な聖者に教えて頂こうが、高次元に上がった人はいない。
聖者は、その道を教えることは出来るが、それを実践するのは自分であって聖者ではない。その方法を少し普通の人より知っていて実践出来た人に過ぎない。それを聖者に期待して、聖者がしてくれると思っている人が99%である。その結果がなんちゃってである。
私はスワミの側近でいたので、その意味を十分理解していたので、私は仲間としての勉強会を開くことにしたのであります。ですから、そこには師弟関係はなく、私の事を先生と呼ぶことも嫌った。目糞鼻くそのレベルがどうして先生と呼ばれて嬉しいだろうか?※世間一般でのしきたりは気にしないので、先生や師匠と呼ばれる意味とは少し違います。同じ境地を目指す仲間の間の事です。ので、皆さんは、どうぞ先生や師匠と呼んでください。全く問題はありません。この方が分かりやすいですよね。
水野君は須藤さんと言うが、田中さんは、未だに先生と呼ぶのだが、これには意味があるのです。昔、私がミニドラッグストアーを12店舗を経営していた時、彼はメンテの会社を経営していて、私の店舗のメンテを行っていた関係で、先生や時には社長と呼ぶのであります。ですから、私も抵抗感もなく受け入れているのです。その田中さんは、自分は経営者に向いていない事を悟り、強く私にヒーリングを教えて欲しいと懇願したのだが、私は1~2年無視していた。
その内そのしつこさに根負けして今に至っており、最初の頃のセバの意味と今のセバの意味も確実に変わってきている。何かの欲があってのセバなのか?要するに見返りを期待しての奉仕なのか。またはヒーリングなのか?
彼はポツリと言った。「発達障害の小学生を完全に治すことが出来るようになるなら、お金も地位も名誉も何もいらない。今はその力が欲しいだけですが、それが出来るのではと思うようになりました。先生がいつも言っている。人の喜びを我が喜びにせよという意味がやっと分かるようになりました。先生は後2年で完成すると言って頂いた意味がやっと理解できました」である。
今までのセバはこの境地になるまでに必要なセバであったのです。そのご褒美としてババは後2年で高次元の世界に連れて行くと言っているのです。この高次元の世界とは幽体離脱をして高次元から見ることが出来る次元なのです。インドではソウルトラベルとして教えているが、ほとんどの人が成功していない次元の世界なのです。
マハーカーリは高次元に行って、阿修羅を退治しました。これを行おうと決心した日なのです。そのためにはいやいやながらセバをするのではなく、進んでしなければならない意味が理解できた日でもあるのです。ヒーリングも同じですが、お金の為ではなく、相手が喜ぶ顔を見たいに変わった日でもあるのです。これが1~2か月前から分かるようになったのです。そのきっかけを与えたのが、お香(脳活性香=悪霊祓い香)とオイル(脳活性オイル=悪霊祓いオイル)のお陰なのです。
そしてもう一つ言っていました。今回のサルノコシカケ(霊芝だった)のプージャは凄かったです。私の右手の肘から下が焼けるように熱くなりました。火の神のエネルギーですか?「右手はヒーリングの手であり、シバ神のエネルギーだよ」
やっとスタートです。ここまで来るのが聖者の教えなのです。後は自分が行わなければならないのです。もっともっと厳しい事をやらねばならないのです。それによって高次元から人を幸せにすることが出来るのです。お互いそれに向かって進みましょう。何をしなければならないか?地位や名誉やお金は後からついてくるもので、追いかけるものではない事を知り、
「そねみ((嫉み)・怒り・恨み・妬み(ねたみ)・欲望・闘争心や破壊の心」などを駆逐し、魂(心)を優位にしなければ、完成しないのです。あなたはヒーリングを通じて目指しなさい。私は畑を通じて目指します。どんなに苦しくてもやりますと、田中さんの声を聞いて別れました。※私の使命は、仲間の為に教えやそれに必要な材料を集める事と思っています。後の修行は皆と同じです。
私は土の中を脳内と考え、すべての雑草(根)を取り除くことで、脳内に溜まった邪なモヤモヤを捨て去ります。何があっても2年間土と共に修行しようと決意しました。ある時は茶化したり、馬鹿にしたり、励ましたり出来るのが仲間ではないでしょうか?それにより完成した人が、教える立場になりますので、下手をしたら、私が田中先生と呼ぶ時がくるかも知れません。または看取って頂き、ババの元に送ってくれることをお願いする立場になるかも知れないのです。それが嫌なら、「そねみ((嫉み)・怒り・恨み・妬み(ねたみ)・欲望・闘争心や破壊の心」をクリアしなければなりません。理想は皆で一緒に完成すれば良いのです。ですから、知っていることは包み隠さず教えているのです。私が無理な時は、仲間に看取って頂かなければ、来世が大変です。何も心配なくサマーディに入りたいものです。・・・・・終わりよければ、全て良しの意味です。
「往きやすく、往きがたく、往った人少なし」「釈尊の「易往而無人」(往ゆき易やすくして人なし)」の意味は、お経とか勤行は行う人は多いが、肝心な「そねみ((嫉み)・怒り・恨み・妬み(ねたみ)・欲望・闘争心や破壊の心」が出来た人無しと言う意味です。それほど難しい行なのです。大学生の時に司法試験に合格するようなもので、卒業後の行く道は保証されているのと同じで、生きている間に高次元の世界に行って保証を貰うようなものです。その保証をされている仏が菩薩様です。出来ていると思っているが、出来ていないのが人間です。自分の事は贔屓気味に見ますが、人や神からは、どのような評価されているか?「人の上に人を創らず・・・・」1万円札は、諭吉から金儲けの天才に変わったのですね。これも時代の流れなのか?むなしい気持ちです。