大下さんのシェアから
元投稿より
>勤労感謝の日に思う事
今日は国民の祝日である「勤労感謝の日」である。本来なら宮中祭祀の大祭である「新嘗祭」と呼び、天皇が五穀の新穀を天神地祇に勧め、また御自らこれを食され、その年の収穫に感謝される大切な日である。「新嘗祭」は、宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行なわれる。天皇が即位の後に初めて執り行なう新嘗祭は「大嘗祭」という。
長い長い歴史と伝統を持つ我が日本では、古くから「五穀豊穣」を祝う習慣があった。明治6年(1873年)~昭和22年(1947年)までは「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」及び「休日ニ関スル件」という法律により、今日この日は「新嘗祭」という祝祭日と定められていた。
併し、「大東亜戦争」に敗れ、「日本神道の精神」を嫌った米占領軍(GHQ/SCAP)により、Labor Thanksgiving Day という言葉を当てられ、それを和訳して「勤労感謝の日」としたのである。GHQ/SCAP に脅迫的に押し付けられた英文をそのまま和訳したという意味に於いて、「現行憲法」同様に日本人にとっては、本来、忌まわしき穢れたモノであり呼び名である。
現代の日本人は、祝祭日が持つそもそもの謂れを考えようともしないから、「勤労感謝の日」と呼ぼうが呼ぶまいが、勤労に感謝などする心を持たない。愚民化された日本国民には祝祭日の本来の謂れなど関係なく、只の休日でしかない。
本来の意味を忘れ去られ、内実を伴わない「勤労感謝の日」であるから、勤労者が全てこの日を祝うという発想も伴わない。この日に休日をとる者がいる一方で、一般の物販やサービス業に携わる多くの国民が祝祭日として祝う事もせず、休みも取れない。国民の休日だからと言って、自衛官・海上保安官・警察官・消防士などの待った無しの重要な公務に就くものは決して一斉には休めない。
病気や怪我も待った無しだから、本来は、病院や医師・看護師も一斉に休みを取るべきではないが、悪しき「戦後教育」が齎した風潮のもと、彼等は平然と「国民の祝祭日と日曜日」には、ほぼ完全に休みをとる。
国会議員・地方議員たるもの、国民や地域住民が安心して暮らせる環境を整備するのが務めである。そういう初心を貫く精神は、当選と同時に忘れ去られてしまうから、「医療施設が地域内で休日シフトを組んで、地域住民が安心して、いつ如何なる時でも医療を受ける環境」をつくろうとの発想など湧こう筈もない。救急車があればいいというものではない。よほど切羽詰まらない限り、病人も怪我人も救急車など呼ばずに我慢する。
議員様たちは、「行きつけの病院が休みの時、急に具合が悪くなった患者が、近隣の代替医療機関に於いて初診料免除で医療行為を受けられる新制度」くらい、なぜ思い付かないのか。高齢化社会が如何の斯うのと宣う暇があったら、中央地方に関わらず、議員たるものこのくらいの発想と実行力を示して欲しいものである。
「新嘗祭」を、敗戦後72年が経っても「勤労感謝の日」と呼ばせる政府も政府である。勤労感謝が聞いて呆れる。