
大阪城と大阪砲兵工廠(昭和7年ごろ)
大阪砲兵工廠争議、軍隊による弾圧体制 1922年主要な労働争議⑬ (読書メモー「日本労働年鑑」第4集 大原社研編)
1922年の官業における争議
富山県魚津郡郵便局集配人・事務員(1921年12月末)
大阪砲兵工廠(3月)
大阪市電電車部(4月)
横浜市電車(4月)
秋田県土崎郵便局集配人(5月)
兵庫県舞子郵便局集配人(6月)
八幡製鉄所(6月)
東京市電気局車掌・監督(11月)
横浜市ガス水道局高島町工場(11月)
大阪砲兵工廠争議、軍隊による弾圧体制
(不当解雇攻撃)
1922年3月22日、大阪砲兵工廠当局は、大阪砲兵工廠における労働組合組織「向上会」の幹部2名を突如罷免(解雇)してきた。その理由は「職場で群衆の代表となり騒ぎをおこした」というのだ。また翌日には、25名の向上会員に「群衆の中にいた」ことを理由として懲戒20時間の減給処分をしてきた。
当局の「罷免・懲戒理由」は、
「大阪砲兵工廠内において向上会の向こうを張る新しい労働団体『愛国同志会』という団体が組織された。3月9日、愛国同志会委員長の休憩時間に工場の労働者140余名が押しかけ、脅威的態度で委員長に詰問し、委員長が恐怖し戦慄しつつあることに乗じて言質を捉えようと迫った。多数群衆の力をもって一人に迫り騒擾を敢えてすることは、職場の取締上、これを黙過できない」というものであった。
3月22日、午後7時半より受念寺において向上会緊急役員会を開き、当局との交渉、闘争資金として各自日給半額のカンパ等を決めた。24日、憲兵、新聞記者立ち合いのもとで向上会代表者3名は、庶務課長と面会した。向上会は、罷免された2名は、脅迫したり群衆を騒擾させたなんらの事実はないと再調査を強く申し入れたが、当局は「再調査の必要はない」と刎ねつけてきた。
(当局弾劾闘争)
24日夜受念寺で第二回向上会緊急役員会を開いた。議論は沸騰した。当局の不誠実な態度に激怒して「直接行動を起こすべき」と言う者、「直ちにストライキに入ろう」等と言う者が大勢を占めたが、八木向上会会長が「大会を開催し、連続的な横山提理(代表)弾劾運動を大々的に起こす」と主張し決定した。
こうして大阪砲兵工廠において連続的・大衆的な当局弾劾闘争が始められた。26日夜は光乗寺と心願寺で、29日には興正寺で、30日は広誓寺、31日には新喜多戎座において当局糾弾演説会を開催した。4月6日には午後6時より天王寺公会堂において向上会臨時大会を開き、一般投票を行い「直接行動(スト)で解決1373票、当局の言い分を受け入れる4208票、無効153票」で「一年間穏忍する」ことが決まった。また、以下の決議文も可決された。
一、2名の罷免処分は不当
一、我らは断固として横暴なる砲兵工廠当局者を弾劾する。提理(代表)は速やかに自決すべし
(軍隊導入・すさまじい弾圧体制)
この大会の投票結果を知った当局は、図に乗り、ますます高圧的態度で向かってきた。4月10日向上会の八木会長など幹部15名を解雇してきた。その理由は、「3月9日の騒擾事件処分に反省するどころか逆に、当局を弾劾する挙にでるとはまことに遺憾」というものであった。そして工廠内に新たに軍隊の屯所を作り、また師団司令部との軍用電線を設置し、工場内の要所要所を着剣の兵士が立ち、憲兵はその間を縫うて闊歩し、将校が指揮刀をサーベルから日本刀に代え、巻きゲートルで身を固めている様は、まるで日露戦争の戦地さながらの露骨な、すさまじい軍隊による組合弾圧体制であった。
4月10日向上会理事会は、当局の軍隊導入弾圧体制に憤慨し、強硬な直接行動で反撃しようと主張したが、もう1日良く熟慮しようとなり、翌11日夜再び理事会を開き、慎重討議の結果、「組合の現勢を維持するため当分の間穏忍する」ことに決定した。15日、天王寺公会堂において不当解雇糾弾演説会を開催し、横山提理の弾劾を叫びこの事件は一段落を告げた。