上・旭硝子争議覚書中身(写し)
「文句があるなら会社をやめろ」と脅す横暴監督をストで職場から放逐! 旭硝子牧山工場ガラス労働者の決起 1926年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」
職場ビラ
旭硝子工場全従業員諸君に訴ふ! 第二号切部争議団
(一)罷業経過
親愛なる従業員諸君!
我々切部の従業員五十人は暴戻なる監督排斥と従業員の欠損補充を会社に要求し罷業(スト)に入りました。我々が排斥する新播甚作は従業員を人格者として全然認めていません。我々が種々の嘆願をすると「苦情があるなら会社をやめろ」と威嚇するものであります。かかる監督を排斥するのは当然の事であります。
罷業に入ってすでに一週間を経過しています。しかしながら会社は監督の処置に対して明確な回答をしていません。
賢明なる従業員諸君!
会社側は我々五十人と一人の監督と比べて一人の監督を重要視しています。
「我々五十人全部の値打ちは一人の監督の値打ちに匆りません」我々はこんな事では満足することは絶対に出来ません。我々はあくまで要求が貫徹するまで戦う決心です。
(二)全従業員諸君の同情奮起を求む!
全従業員諸君! この炎熱の下に働いている諸君も耐えがたき不平があるでしょう。
第一に、職工淘汰の為に人員が減少し一人当たりの負担が重くなっているから職工を増員すること
第二に、居残り賃金は昔は支給されていたから当然居残り割増を支給すること
第三に、夏季は六時間四交代であったから、従前通り四交代に復活すること
第四に、現在会社は、正当な理由な欠勤を認めずに半給を没収しているから、これを撤廃し正当な欠勤として認めること
第五に、夏は氷を完全に支給すること
簡単にあげて見ても以上の如き要求があるではないですか。
全従業員諸君!
第一に諸君自身の利益獲得の為に、第二に我々切部の同志を助ける為に、直ちに運動を開始してください。我々の目的を貫徹せしめて下さい。
我々の唯一の頼りとするところは、同僚千五百の全従業員諸君のみです。
・・・(了)
1926年(大正15年)8月、福岡県戸畑区牧山にある旭硝子牧山工場の新播監督は、日ごろから乱暴狼藉な振る舞いで労働者に接し、少しでも反発する労働者には「文句があるなら会社を辞めろ!」と脅していた。ついに牧山工場の切部労働者50名ら150名は、新播監督の排斥と人員補充を求めて一週間のストライキを闘い抜き、ついに横暴監督を放逐することに成功した。
牧山工場争議団は、ストライキに先立ち、戸畑市と八幡市の旭硝子各部工場の労働者宅を個別訪問し、熱心に同情を求め、万一会社との交渉が決裂した時は全工場の各部も共に一斉に同情ストライキに起ち上って欲しいと説得した。また会社に対しては、「絶対にスト破り(スキャッブ)を雇わない事」を強く要求した。また戸畑市に住む元九州硝子工組合組合長だった荒川一と会い、ストライキが持久戦に入った時は、荒川一の全面協力と争議本部を戸畑市に移転することを確認した。
(職場ビラ)
争議団は冒頭に紹介した職場ビラを、旭硝子の牧山工場、戸畑工場、八幡工場前で1500名全同僚に配布し決起を促した。その中身は職場管理職の横暴を糾弾し、労働者の人格権を明確に主張、またガラス製造現場の過酷な灼熱地獄を反映した人員補充、6時間4交代制、氷の支給等の具体的な要求をした。
(会社の態度)
会社は、当初新播監督の更迭には応じず、他のガラス工場より切子などの労働者を動員したり、スト破り(スキャッブ)を雇うなどして抵抗した。
(争議団)
会社と罷業団の数次の交渉も決裂し、罷業団は会社に誠意がないとし持久戦で闘うこと宣言し、争議団本部を戸畑市か八幡市に移転する事を決めた。争議団は、工場内各部全労働者の奮起と外部の労働組合団体の応援を求め、最後の一人まで闘いあくまで目的を貫徹すると誓った。争議団代表5名は、八幡市、戸畑市、小倉市の各市役所と新聞社を訪ね争議の真相を発表した。
(職場150名のサボタージュ闘争)
職場の仲間たちの中では日に日に争議団への同情が高まり、ついに新たな仲間たち150名がサボタージュ闘争をはじめた。
(行商隊)
争議団は生活・闘争資金のためとストの持久戦に備え行商隊を組織した。
(解決)
吉川戸畑市長が調停に乗り出し、8月14日午前零時20分に円満解決した。
覚書
一、会社は新播監督を一ヵ月以内に転勤させる
二、第二部切部従業員の中から一名を責任解雇とする
三、会社は前項の退職者に相当な金額を支払う
四、争議解決後5年間は本件に関し退職者を出さない
五、人員を新たに6名増員する
六、争議中に雇われた者(スト破り)を解雇する
七、争議中の日給半額を支給する
八、本件解決後誠意をもって作業に従事する
大正15年8月13日
(以上)
争議解決後、「責任解雇」された本松杢右衛門に争議団や職場の労働者は金1千円を皆で集め贈与した。
(感想)
職場管理職の横暴を糾弾し、労働者の人格権を明確に主張、またガラス製造現場の灼熱地獄などの過酷な労働環境は、6時間4交代制、氷の支給、人員補充等の具体的な要求に反映されていて、よく理解できます。今の日本の職場でも当たり前すぎる要求をしただけで(例えば有給休暇を使いたい等)、上司から「不満があるなら辞めてもらって結構(あなたの代わりはいくらでもいる)」と言われたと訴えてくる労働相談は沢山あります。このようなパワハラやセクハラの横行や病院などの2交替勤務が当たり前のように行われている今の現実を見る時に、1926年というこの時代に労働者の人格権を高く掲げ、また6時間4交代制要求とはなんと先駆的要求でしょう。
もう一つ感心したのは、「ストライキに先立ち、戸畑市と八幡市の旭硝子各部工場の労働者宅を個別訪問し、熱心に同情を求め、万一会社との交渉が決裂した時は全工場の各部も共に一斉に同情ストライキに起ち上って欲しいと説得した」<大衆路線>の姿勢についてです。少数だけで闘うのではなく、本当に勝ちたいのであれば、いつも最初に職場の全労働者に決起を呼びかけ、働きかける。全労働者の家に個別訪問するなど中々できる事ではありません。この思想と情熱と組織性にびっくりです。
<大衆路線>! 今日的にも大切なテーマです。