東京地下鉄道株式会社争議―1928年の労働争議
参照・協調会史料
東京地下鉄争議は1932年の車庫内電車ろう城大闘争〈もぐら争議〉の勝利とその直後の大弾圧が有名ですが、1928年にも同じ職場の仲間たちを救おうと自然発生的に立ち上がった素敵な闘い、ストライキ、寄宿舎ろう城闘争がありました。1927年12月20日に東京と浅草間の2.2キロメートルの日本初といわれた地下鉄が開通します。1925年9月から起工された地下鉄工事は多くの労働者の大変な苦労のおかげで完成しますが、東京地下鉄道株式会社自体の従業員数は1928年当時は運転手、車掌、駅員などわずか50名でした。
(13時間労働二交替制)
運転手、車掌、駅員は午前6時から午後8時までの朝番と午後3時から翌日の午前10時の夜番の二交替勤務で、労働時間は一日13時間、公休は10日に一度等少数労働者に強いられた過酷な労働現場でした。
(嘆願書提出)
1928年3月、運転手たちが嘆願書を提出
①初任給が新聞広告より10銭も低い
②運転手、車掌とも日給に差がある
③衛生設備が悪く、詰め所もない
等
会社は返事すらしなかった。
12月運転手、車掌11名は再び嘆願書を提出します。
①10日に一回の公休を6日に一回へ
②勤務時間を今の10~13時間から6時間へ
③汚い詰め所の改善
④ホコリや粉塵が多いトンネルの軌道上に散水を
⑤制服を軍服のようなものから、普通の詰襟に
会社は問答無用とばかりに、乱暴にもこの運転手11名を解雇してきました。
(仲間の決起)
同僚の運転手、車掌19名は被解雇者に同情し会社に解雇撤回を要求しサボタージュ闘争、ストライキを決行し最後には寄宿舎にろう城して闘います。12月12日追い詰められた会社は警視庁調停課に出向き、争議の調停を依頼します。
(調停)
12月14日警視庁の調停官により、①8時間労働制の実施と残業には賃金一割増、②公休日は8日に一日とする、③慰労金の支給、④11名の被解雇者のうち7名を復職させる等の労資合意で急転直下解決します。
(茶話会)
争議終了後、会社は労務対策として社内で欺瞞的な「茶話会」をつくり、労働者を懐柔しようとしますが劣悪な労働環境は続きます。この「茶話会」が後1931年の全協系の組合作りの活動の場となります。
(1932年東京地下鉄大闘争「もぐら争議」—詳細は後)
1931年12月、全協系の組合非公然結成
1932年3月20日出征兵士の身分保障や女性らの待遇改善を求め百数十名の男女がストライキに突入。〈もぐら争議〉として有名な車庫内の電車にろう城し会社や官憲と実力で闘い、ついに23日に勝利した歴史的闘いでした。しかし、勝利後ほどなくして大巻き返し弾圧をうけます。争議解決から一ヵ月後、警視庁は組合員男女46人を一挙に逮捕し組合は壊滅します。(「もぐら争議」の詳細は今後の「1932年の労働争議」で勉強する予定です。)
以上