1922年の農民運動②日本農民組合結成 (読書メモー「日本労働年鑑」第4集 大原社研編)
日本農民組合の結成! たちまち燎原の火となり全国へ拡がる
賀川豊彦、杉山元治郎らによる日本農民組合結成に向けての準備は、前年12月ごろから始まり、本年1922年(大正11年)4月9日神戸市基督教青年会館において第一回大会を開催した。出席者120名、来賓鈴木文治、有本厚吉らの祝辞演説があり、以下の「宣言」「綱領」を採択し、組合長杉山元治郎を選出し、機関紙『土地と自由』の発行を決めた。
日本総同盟鈴木文治発言
「この大会は国史に一新紀元を画くするものである。農村問題を労働運動として考える時、工業労働者は農村より出づ、即ち農民は工業労働の予備軍と言い得る。いずれも『持たぬ者』として持てる者に苦しめられる。之より逃れる道は組合あるのみである。今や農民運動は土地の収穫の分配問題より土地利用権の獲得問題の解決にまで進みつつある、この秋にあたり組合が生れたるは深き意義のある事である。組合は地方的に時々の問題のみを解決するに止めずして全国的に団結し根本問題の解決に努力せねばならぬ。更に進んでは工業労働組合と手を携えて『持たぬ者』に共通せる理想の為に堂々の歩を進めたいと思う」
「宣言
農は国の基であり、農民は国の宝である。日本はいまだ農業国である。国民の七割は田園に居住し、またその七割は小作人である。しかるに積年の陋弊は田園に満ち、土地兼併の悪風ようやくあらわれ、田園も遂に資本主義の侵略するところとなり、小作人は苦しみ、日雇人は嘆く。ここに我ら農民は互助と友愛の精神をもって解放の途上に立つ。
我らはあくまで暴力を否定す。われらは思想の自由と社会公益の大道に従い、真理を愛し、妥協なき解放を期せねばならぬ。すなわち我らはただ農民の団結による合理的生産者組合により資本家に抵抗するより外に道を持たないのである。
我らは急いではならぬ。土地の社会化も、産業の目的も一瞬にしてなるものではない。春まく種は秋まで待たねばならぬ。すでに国際労働会議は農民組合の自由を保護した。我らはこの世界の大勢に従い、やむことなく歩みを続けねばならぬ。田園に光明がみなぎるまでには、なお幾百回の苦難を通過せねばならぬ。苦難を知らざる者は成功を知らざる者である。
日本の農民よ、団結せよ ! 然して田園に、山林に天興の自由を呼吸せよ。我らに公義の支配する世界を創造せんが為めに、ここに犠牲と熱愛を捧げて窮乏せる農民の解放を期す。」
綱領
一、農地の社会化
二、全国的農民組合の確立
三、農業日雇労働者最低賃金保障
四、小作立法の確立
五、農業争議仲裁法の実施
六、普通選挙
七、治安警察法の改正
八、小作人の生活安定
九、農業補習教育の完成
十、農民学校の普及
十七、農民婦人の向上
など21項目」
日本農民組合結成以来関係した小作争議
兵庫県印南郡伊保村の小作争議
兵庫県印南郡志方村の小作争議
岡山県児島郡藤田村開墾地大曲農場の小作争議
岡山県邑久上道両郡の小作争議
岡山県上道郡金田村の小作争議
大阪府三島郡山田村の小作争議
京都府久世郡冨野荘の小作争議
大阪府豊能郡菅野村の小作争議
大阪府北海内郡氷室村の小作争議
奈良県生駒郡北倭村の小作争議
等々多数。
こうして、日本農民組合は、8月下旬すでに、群馬県に38支部、岡山県20支部、兵庫県15支部、大阪府17支部など2府15県に85支部総数5万4600名の組合に至った。