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上・デモ最前列向かって左から二人目の鈴木淳さん
上・デモ隊最前列の淳さん
上・メーデーデモの先頭を行く鈴木淳さん(右はし)
上・さゆり保育園支部不当解雇撤回闘争で横断幕を持つ淳さん
上・高砂産業支部ストライキ応援、左に豪快に笑う淳さん
上・淳さんが大好きだった杉田育男さんと
上・仲の良かった今は亡き田中さんと
上・今は亡き石井菊枝さんら障害者の仲間たち
上と下・田中さんを見舞って
上・旅行総研社前派遣添乗員の闘いを応援する淳さん(右はし)
上・都留工業支部ストライキ
上・都留工業社長宅前
上・舟原公園の大久保製壜闘争決起集会(菊枝さんの隣りが淳さん。今は亡き湯村さんの顔も)
上・東部労組バス旅行
2022年2月9日に亡くなった東部労組初代委員長足立実さんは生前東部労組機関紙連載コラム『ひと言 』(2003年6月号)に<行動力に脱帽>と題して、
行動力の点で、とてもかなわない人が二人いる。
一人は大久保製場支部の鈴木淳君だ。みんな見ているとおり、彼は社前行動や組合集会にかならず現われる。発言するわけではないが、とにかく来ている。
むかし「皆勤賞ものだね」と声をかけたら、照れながら「だって 一人でも多いほうが組合にとっていいべ」と答えた。
東部労組の闘いは「寄ってたかって勝利しよう」だが、彼は大久保製壜闘争の時代から27年間、これを続けている。並みのことでないと敬服している。
と述べておられる。これは本当のことなのだ。21年間の大久保製壜闘争はもちろんのこと、その後も東部労組のあらゆる闘いに鈴木淳さんは必ずかけつけた。かれの存在がどれほど苦闘する仲間たちを励ましたか計り知れない。
淳さんはいつもそばにいてくれたのだ。
彼を失ってその寂しさはつのるばかりだ。
以上