先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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印刷・出版労働者の労働争議①中屋印刷所争議―1928年の労働争議

2025年01月27日 07時00分00秒 | 1928年の労働運動

印刷・出版労働者の労働争議①中屋印刷所争議―1928年の労働争議
参照・協調会史料
  ・労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)

1928(昭和3)年における印刷・出版労働者の主な労働争議
 山本印刷工場(静岡)2月  40人 静岡合同労組
 摂津印刷所(兵庫)3月   12人 
 光村印刷所(東京)3月      80人   
 中屋印刷所(東京)6月    150人  東京印刷工組合(全国労働組合自由聯合会系)
 東京印刷・深川分社(東京)9月 250人 東京印刷工組合(全国労働組合自由聯合会系)
 瀧澤製本所(兵庫)9月            9人
 伊藤印刷所(水戸)10月     8人
 博真堂印刷所(東京)11月  22人  組合未加入(旧評議会系出版労働組合が応援)

中屋印刷所争議―1928年の労働争議 
会社 中屋印刷所
場所 東京大井町
争議発生日 1928年6月10日
争議参加数 150名
労働組合 東京印刷工組合(全国労働組合自由聯合会系)

(150名ストライキ)
1928年6月10日、東京大井町の中屋印刷所労働者150余名は、「一、労働時間の一時間の短縮 二、賃金二割の増給」を要求したが、会社が拒絶したためストライキを決行した。中屋印刷所の社長鈴木正平はかねてから自ら「温情主義」をおもて看板としていた。しかし、中屋印刷所工場の内実は10時間以上の労働が当たり前、その上低賃金など劣悪な職場実態であった。

(社長「温情主義」の仮面を投げ捨て、スト中心人物12名を解雇)
会社は、6月21日から臨時休業にしてスト労働者150名を工場から放逐(ロックアウト)しようとしてきた。同時にスト中心メンバー12名を解雇した。社長鈴木正平は、たちまち「温情主義」の仮面を投げ捨てたのだ。6月20日の労資交渉において、会社は労働時間30分の短縮を認めたがそれ以外はすべて拒絶してきた。争議団は大井町に争議本部を置き、持久戦に入った。

(ビラ 上の写真参照)
印刷資本家組合幹部に抗争せる
  中屋の同志を勝たせろ!!
     九時間制即行、賃金値上を叫んで
          百五十余名罷業を決行す
中屋印刷所争議団
東京印刷工組合京浜支部
東京印刷工組合
全国労働組合自由聯合会

(警察の不当介入)
警察は、争議団が非組合員にスト参加を呼び掛けた際に暴行をふるったとでっちあげ、組合員2人を検束し、それぞれ29日間、20日間もの拘留処分をつけてきた。争議つぶしであることは明らかであった。工場を臨時休業にし同業他社に仕事を依頼してきたが、6月25日から操業を再開した。54人の労働者がスト破りをして出勤した。争議団約100名は早朝より工場入口でピケを張り、出勤する労働者にスト破りをやらないように説得した。正午にも再び組合旗を押し立てて工場に押しかけた時、警察がおそいかかり組合員11名が一挙に検束された。

(裏切り)
軟派労働者約30名が争議団を脱退した。
ビラ(写真)「裏切者は俺達の敵だ」

(↑クリックして拡大)

(解決)

6月26日、27日と労資交渉を続け、28日、以下の労資合意で解決した。

一、労働時間を30分短縮する
二、低賃金者に対して7月の定期昇給月に公平になるよう考慮する
三、争議中の日給は、臨時休業中の21、22、23日分は全額支給。24日から28日は日給の半額を支給する
四、解雇手当は日給1ヶ月分と社長より金一封(金50円)を支給する
五、中元賞与は被解雇者にも支給する
六、臨時休業期間中は皆勤扱いとする
七、解雇職工、戸張倹迫に対して七、八、九の三ヶ月間社長より金15円を支給する
以上


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