先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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印刷・出版労働者の労働争議②東京印刷株式会社深川工場争議―1928年の労働争議

2025年01月29日 07時00分00秒 | 1928年の労働運動

印刷・出版労働者の労働争議②東京印刷株式会社深川工場争議―1928年の労働争議 

東京印刷株式会社深川工場争議―1928年の労働争議
参照・協調会史料
写真 労秘第1087号

会社 東京印刷株式会社深川工場
場所 東京市深川区大工町
従業員数 283名
争議参加 283人(女51人、男232人)
労働組合 東京印刷工組合(全国労働組合自由聯合系)
争議発生日 1928年9月6日

(争議原因)
1928年9月6日、管理職神谷岩次郎は労働者6名が雑談していたとして労働者が腰かけていた石油缶を蹴って投げ飛ばした。それを見ていた周りの多くの労働者は侮辱も甚だしいと怒り、みなで工場事務所に殺到し、神谷に対して謝罪を迫るが神谷は応じなかった。工場内の広場に全労働者283名が集まり、神谷の謝罪と8時間労働制の実施などの要求を決定した。
要求
一、神谷の謝罪
一、八時間労働制の実施
一、十五日皆勤者に精勤手当2日分を支給すること
一、正午までは自由に入場できるようにすること
一、馘首は絶対出さないこと

(解雇)
9月7日会社は労働者の要求を全面的に拒絶してきた。翌8日、会社は管理職神谷岩次郎に暴力をふるったといいがかりをつけて労働者2名を解雇してきた。更に10月1日からの休業を発表し組合員のロックアウト(工場からの追い出し)を予告してきた。工場内では全労働者女51人、男232人の怒りが爆発し、たちまち激しいサボタージュ闘争状態となった。スト状態となった9日、深川区寄席東陽館において職場労働者約200名が集まり話し合った。東京印刷工組合は応援を決議した。
9月10日労働者は工場内で集会、協議の結果、「要求を撤回しスト停止、11日より就業するが2名の解雇の復職は要求し続ける」と決議し会社に伝えた。9月11日、工場の門が開かれ280名が就業についた。しかし工場に入ったほとんどの労働者はサボタージュ闘争を続けたため、会社はサボタージュをしている労働者154名に次々と解雇通知をだしたが、すぐにその内108名の復職を認めてきた。

9月12日、労働者約150名は深川区常盤倶楽部に集合し、従業員大会と解雇された者への激励演説会を開催した。
決議
一、吾等は今回会社側の取りたる不当な馘首と無誠意に対し、あくまで闘うと共に誠意ある解決と勝利を期するまで要求貫徹のため一致結束して闘う。
右決議す
1928.9.12
東京印刷株式会社従業員大会

(警察)
9月11日深川扇橋警察署は職場でビラを配布しただけで一人の組合員を検束した。14日には取締役自宅に面会を求めた争議団を面会強要だと印刷工組合員2名と争議団員4名を検束した。17日争議団の中で分裂がおき、争議団の中の非組合員17名が警察調停課に行き、警察による争議の調停を依頼した。

(争議団ビラ)
みんな結束をゆるめるな
  裏切者の汚名を被るな 両君は馘首だぞ !!

みんなしっかりしろ !!  要求はどうした。俺達は道楽や気まぐれで争議を起したんじゃないんだ。俺たちの止みがたい不断の要求なんだ !
しかも会社から売られた喧嘩じゃないか。売られた喧嘩を買って深川の一角に敢然と起った俺達の行動は今全印刷工、否全労働者階級の双肩にある問題として俺達の勝利を祈ってるんだ ! この時俺達の仲間から腰抜けをだして多くの仲間から嗤われるな ! 裏切者の汚名を被ろうとする者は、仲間から叩き出してしまえ。要求を一蹴され、首を切られ、それで黙って俺達は仕事ができると思うか。
 争議はこれからだ すぐ社長の家に押しかけろ
   起て ! 起て! 兄弟姉妹諸君 !!  
                                                  深川分社争議団

(解決)
9月22日警察の調停課による調停が成立し解決した。

一、解雇手当一人に対し日給1ヵ月分を支給する
一、重役より涙金として各金50円を支給する
一、会社から金一封(466円62銭)を支給する
一、被解雇者21名に対し、会社において再採用を考慮すること
昭和三年九月二十二日

以上


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