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麻布郵便局集配労働者100名のサボタージュ闘争―1928年の労働争議
参照・協調会史料
・日本労働組合物語 昭和(大河内一男・松尾洋)
1928(昭和3)年前半、逓信省関係の労働組合「逓友同志会」は、4月はじめには組合員は二千人を突破し、さらに蒲田、世田谷、落合、四谷、亀戸、杉並と支部を拡大していっている。その逓友同志会の一つ麻布支部の闘いを紹介します。
争議発生 1928年6月23日
争議場所 麻布郵便局
労働組合・逓友同志会麻布支部
争議参加者 集配労働者約100名
(憎っくき新局長)
1928年、前青山郵便局長が麻布郵便局の新局長として転任してきた。麻布郵便局集配労働者の組合・逓友同志会麻布支部約100名にとって、新局長のこいつは青山郵便局長時代、逓友同志会青山支部の仲間たちを徹底的残酷に弾圧し、ついに青山支部を壊滅させた憎っくき男であった。着任の目的は誰がみても明らかであった。
(さっそく組合攻撃、支部掲示板の撤去命令)
新局長は、転任してすぐに逓友同志会麻布支部に露骨な敵対的行動をとってきた。以前から設置されていた集配人休憩室にあった支部の掲示板をすぐに撤去せよと命令してきたのだ。
(支部組合員100名サボタージュ闘争に決起)
支部はただちに引き続き掲示板設置を要求すると同時に、6月23日から支部100名がサボタージュ闘争に入った。一日5回の配達便は3回に減った。
要求
一、支部掲示板を引き続き局内に掲示すること
(東京逓信局長と夜中の交渉)
支部の団交申し入れに、新局長は事務多忙を理由に面会すら拒絶してきた。逓友同志会主事と麻布支部長らは夜中11時頃から東京逓信局長と面会交渉し、夜12時に以下の妥協が成立した。
解決
一、掲示板は当分の間そのまま在置すること
二、掲載記事にして不穏と認められたものは局長において撤回すること
(警察検挙)
夜の11時半、警察は集配人の一人が飲酒の上、ドスをふところに忍ばせて労資交渉の室に闖入しようとしたからと、この集配人を検挙した。検挙された人が支部組合員であったか、当局側に雇われたゴロツキ、ならず者であったかの説明は協調会史料には一切ありませんが、この時の労資間の緊張の高まりが伝わってきます。
以上