百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「6」
※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。
和歌番号006
作者:中納言家持
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER YAKAMOCHI(CHŪ-NAGON YAKAMOCHI)
原文
鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
(かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける)
現代訳
かささぎが渡したという天上の橋のように見える宮中の階段であるが、その上に降りた真っ白い霜を見ると、夜も随分と更けたのだなあ。
英訳
WHEN on the Magpies' Bridge I see
The Hoar-frost King has cast
His sparkling mantle, well I know
The night is nearly past,
Daylight approaches fast.
The author of this verse was Governor of the Province of Kōshū, and Viceroy of the more or less uncivilized northern and eastern parts of Japan; he died A.D. 785. There was a bridge or passageway in the Imperial Palace at Kyōto called the Magpies' Bridge, but there is also an allusion here to the old legend about the Weaver and Herdsman. It is said, that the Weaver (the star Vega) was a maiden, who dwelt on one side of the River of the Milky Way, and who was employed in making clothes for the Gods. But one day the Sun took pity upon her, and gave her in marriage to the Herdboy (the star Aquila), who lived on the other side of the river. But as the result of this was that the supply of clothes fell short, she was only permitted to visit her husband once a year, viz. on the seventh night of the seventh month; and on this night, it is said, the magpies in a dense flock form a bridge for her across the river. The hoar frost forms just before day breaks. The illustration shows the Herdboy crossing on the Bridge of Magpies to his bride.
解説
「万葉集」の編者の一人でもある中納言家持(養老2年~延暦4年 / 718~785年) は、大伴旅人の子どもで、大伴家持(おおとものやかもち)といいます。
大伴家持は元来武人として朝廷に仕える高い家柄で、家持も天平十八年(746年)、越中の守に任ぜられました。
また、家持は歌人としても優れていて、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりとしても数えられています。
長歌や短歌など、数多くの歌が「万葉集」にも伝わっていて、長歌46首、短歌431首、その他3首が残っています。
恒武天皇の時代、延暦元年(782年)に、氷上川継の叛の関係を疑われ宮位を除かれましたが、すぐに復し、中納言兼東宮大夫持節征夷将軍となり、陸奥で亡くなったと伝えられています。
この和歌にある「かささぎの渡せる橋」とは、七夕の夜、天の川にかかる橋のことで、多くのかささぎが翼を重ね、一年に一度、天の川に橋をかけ、織姫を彦星の元に渡らせるという伝説からきています。
その後、宮中にある御殿と御殿とを結ぶ橋や階段などを、天上に例えて「かささぎの橋」と呼ぶようになりました。
この歌は、大伴家持が冬の宮中で宿直(とのい)をしているとき、降りた霜を見て詠んだのだろうと言われています。
まさに冬の夜の静けさが伝わってくるようですが、霜の美しさだけでなく、かささぎが渡すという天上の橋の物語が、この歌に一層のロマンを与えています。
★おススメ本★
本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/
厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。
※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。
和歌番号006
作者:中納言家持
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER YAKAMOCHI(CHŪ-NAGON YAKAMOCHI)
原文
鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
(かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける)
現代訳
かささぎが渡したという天上の橋のように見える宮中の階段であるが、その上に降りた真っ白い霜を見ると、夜も随分と更けたのだなあ。
英訳
WHEN on the Magpies' Bridge I see
The Hoar-frost King has cast
His sparkling mantle, well I know
The night is nearly past,
Daylight approaches fast.
The author of this verse was Governor of the Province of Kōshū, and Viceroy of the more or less uncivilized northern and eastern parts of Japan; he died A.D. 785. There was a bridge or passageway in the Imperial Palace at Kyōto called the Magpies' Bridge, but there is also an allusion here to the old legend about the Weaver and Herdsman. It is said, that the Weaver (the star Vega) was a maiden, who dwelt on one side of the River of the Milky Way, and who was employed in making clothes for the Gods. But one day the Sun took pity upon her, and gave her in marriage to the Herdboy (the star Aquila), who lived on the other side of the river. But as the result of this was that the supply of clothes fell short, she was only permitted to visit her husband once a year, viz. on the seventh night of the seventh month; and on this night, it is said, the magpies in a dense flock form a bridge for her across the river. The hoar frost forms just before day breaks. The illustration shows the Herdboy crossing on the Bridge of Magpies to his bride.
解説
「万葉集」の編者の一人でもある中納言家持(養老2年~延暦4年 / 718~785年) は、大伴旅人の子どもで、大伴家持(おおとものやかもち)といいます。
大伴家持は元来武人として朝廷に仕える高い家柄で、家持も天平十八年(746年)、越中の守に任ぜられました。
また、家持は歌人としても優れていて、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりとしても数えられています。
長歌や短歌など、数多くの歌が「万葉集」にも伝わっていて、長歌46首、短歌431首、その他3首が残っています。
恒武天皇の時代、延暦元年(782年)に、氷上川継の叛の関係を疑われ宮位を除かれましたが、すぐに復し、中納言兼東宮大夫持節征夷将軍となり、陸奥で亡くなったと伝えられています。
この和歌にある「かささぎの渡せる橋」とは、七夕の夜、天の川にかかる橋のことで、多くのかささぎが翼を重ね、一年に一度、天の川に橋をかけ、織姫を彦星の元に渡らせるという伝説からきています。
その後、宮中にある御殿と御殿とを結ぶ橋や階段などを、天上に例えて「かささぎの橋」と呼ぶようになりました。
この歌は、大伴家持が冬の宮中で宿直(とのい)をしているとき、降りた霜を見て詠んだのだろうと言われています。
まさに冬の夜の静けさが伝わってくるようですが、霜の美しさだけでなく、かささぎが渡すという天上の橋の物語が、この歌に一層のロマンを与えています。
★おススメ本★
A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu | |
Tuttle Pub |
図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化) | |
河出書房新社 |
百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! ) | |
歌林苑 |
本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/
厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。
※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!