信用できない
信じたら負け
そんな感情があります
一度
凄く信用している人に
裏切られたような感情を抱くと
この感情は
トラウマのようになり
何度も訪れます。
その多くの根底は
大抵が
親
です。
親は
なんやかんやで
私たちが大人になっても
こどもであったときの感情を
揺すぶります。
あとでね。また今度ね。と
何度も叶えられない約束され
更に破られ
聞いてほしい言葉を聞いてもらえず
うるさい!だまれ!
と
遮られた言葉はやがて
本心をさらけ出すことをやめました。
大人になり
信じていた人の言葉は
やがて
忠告や助言にしても
傷つくような言葉に聞こえ
どうせ、また
裏切られる
という、思い癖から
人間不信や
拒絶をうみます
人を信用するには
自分が一番に信用された。
という、確信が必要です。
親は
そんな事を
いちいちしなくても
こどもは可愛い
こどもは大切
いなくてはならない
と
いいながらも
例えば
事故などで
急にこどもが亡くなったら
あの時、もっと
あの時の約束を
あの時優しく
あの時話を聞いてあげれば
あの時
あの時
と、
あの時の、後悔を口にします。
その時は
もう遅いんです。
今、親である人がこれを読んだとして
自分が
親にされていたことを
こどもに
不の感情を与えてしまう、
場合があります。
親になっていない方も
これが
思い当たる方は
この感情を捨て去る勇気を
持たなくてはなりません。
ですが、
捨て去るにも勇気がいります。
信じないことが
楽である。
それを知ってしまったからです。
信じなければ
傷も浅く
裏切りもない
誰も傷つけることも
傷がつくこともない。
そう言った気持ちの芽生えです。
無理やりに
方向転換するのも難しいものです。
それでも
何かの興味でここまでよまれたなら
変化を与えられるチャンスです。
信じることを
強制しないこと
それでも
見えない世界が
ここまで導いたことは確かです。
自分にも
そういった 世界が関与しており
すべての苦しみもみてくれています
じゃあ、なぜ助けてくれないのか?
と
思った方
それは
信じることを恐れているから。
だから難しい話なんです。
信じるものは救われる。
との名言は事実である一方
信じることの難しさが
前提にあるんです。
信じることの意味が分かれば
信じることは
容易い。
その容易い。を感じるために
そこへの道のりを
今、人は歩んでいます。
難しい、ややこしい話です。
それでも
最後までお読みいただけた意味は
必ずあります。
心の片隅
頭の片隅に
この内容を置いていてください。
いつか
結び付く日が訪れます
地球への感謝をお忘れなく