COV19は、世界のあちこちで今だ猛威を振るっていますが、
ここ、Gold Coastは、凄く用心深くて、厳しかったおかげか、一時は無くなったかのように見えましたが
Brisbaneで、変異性コロナが発生したとたん、3日間閉鎖となり、外出時のマスク使用が義務化され、
そしてまた、徐々に平和が戻りつつあります。
Australiaは、普段から入国に対しても凄く用心深い国で、規制が、半端でありません。
前にもお話したことがありましが、今日は、私がどうやってオーストラリアへ入国したのか、
お話しさせていただきます。
さて、オーストラリア入国にはビザが必要となり、
これは入場券みたいなもので、Australiaに利益をもたらす入国でなければ下りません。
だから、観光か学生ビザの様に、お金をいっぱい落とすビザでなければ、簡単にはおりず、その、
学生ビザ申請にさえ、いろいろ申請条件があり、すぐ降りる人は、ほんの2,3、日で下りるようですが、
下りない人は、3か月もかかったり、認可されなかったりもするので、学校の入校日を考えて、
早めに、全ての書類をそろえ、申請する必要があります。
又、一度不認可が下りてしまうと、次が難しくなるそうなので、最初から慎重にしましょう。
1.十分な資金力 これは日本人が今まで入国に関して規則を守ってきたおかげで、国のリスクレベルが1とされているの
で、資金の提示を求められる訳ではありませんが、オーストラリアで十分生活できるだけの資金が必要です。
2.政府認定校 学校も、何処の学校でも良いと言う訳ではなく、政府認定校かどうか確認しておく必要があります。
3.学生ビザの規則を理解しておく 学生ビザで入国するからには、出席は80%以上、
成績も平均以上は保つ必要がある、と言う事を期待されているという事を認識する必要があります。
4.入学許可証 入学の許可証を、学校から出してもらって、提出しなければいけません。
5.健康状態 日本人は健康診断などは一応免除されていますが、人によっては指定の病院で受けることを
求められることがあり、私などは、大使館指定の病院で受けるように言われて提出したので
かなりの時間と金額がかかりました。
6.学生保険の加入 加入の証明書が必要です
7.無犯罪証明書 警察にお願いし、更にそれを英訳してもらう必要があります。
別に勉強したい訳ではなかったのですが、何のつても無ければ就労ビザの申請も出来るわけでは無く、
仕方なく、お金をいっぱい払って、週に20時間の労働が可能な学生ビザにしたのに、ビザが下りないのです。
もろもろの診断書、証明書、色々な書類も間違いなく提出したし、、、、
仕事も辞めたし、住んでいるアパートの解約通知も出したのに、それは大変困るのです。
エージェントに理由を問い合わせると、どうも年齢で引っかかっているらしいのです。
で、何故英語の勉強に、わざわざオーストラリアへ来る必要が有るのか? 他の国でも良いし、日本でも出来る。
その、理由を書いて提出せよ、と。
そこで、 ”オーストラリアで永住権を取って住みたい” なんて、
本当のことを言ったら一発で拒否されそうじゃないですか? それで、当時作文には、
”英語を学びながら、オーストラリアのフィットネスの事も大いに学び、将来はオーストラリアと
日本のフィットネスの為に貢献したい”
と書いて提出し、渡豪ぎりぎり前にようやく下りたビザをもって、
オーストラリアへと飛び立ったのは、ワーホリも年取りすぎで、できない、37歳の時でした。
滞在できるお金は、収入無しで生活するには約半年分しか予算がなくて、
半年のうちに、ビジネスビザのスポンサーを探さねばならず、
”君、かわいそうだけど、ここに残れる確率は2%以下だよ” 相談する人、する人に、そういわれながらも、
今更、帰る所もなく、入国した次の日から、放課後、毎日、就職活動をした訳です。
( ⇊ 英文履歴書の、テンプレートです ⇊)
学校も、いつまでも英語の学校にいると割高なので、普通の学校に行きたいのですが、英語力が無いと、
政府認定校の殆どの学校は入学許可が下りないのですが、
そこへ、有難いことに、こちらで知り合った人が紹介してくださった、フィットネススクールから連絡があり、
英語力が足りないなら、1年で卒業のところ、2年で卒業させてあげよう、と言う、大変ありがたい話が入ったのです。
それはもう、願ったりかなったりで、
だって、確実に2年の学生ビザが下りるんですから、何でもいいから働きながらでも、とにかく、卒業したら、
ビジネスビザスポンサーだって探しやすくなるじゃありませんか?
喜び、浮き立っていたら、3週間後、1本の電話。
”悪いんだけど、あのコースは生徒が少ないので、辞めになったの。じゃあね!”
えーーーーー!!!そんな!そんな!!!アホな...
もう、泣きながら、それでも、悲しんでいる場合ではないので、就職活に明け暮れながら、
英語学校で小耳にはさんだ、新しくできたホスピタリティの学校。
そこなら英語力が、中ぐらいでも、そこの学校の英語の補修クラスを受け、許可が下りたら入学できる、と。
英語の学校より、格段に安くでビザがもらえるのです。
(ビザが欲しい方は、新しい学校がねらい目です…だって、生徒が欲しいんですから)
当時は、ビザ取り学校とも悪名をたたいたこの学校で勉強し( 今はこの学校も難しくなっているようです )
その間に、履歴書を持って、自転車で100件以上も、ビザスポンサーのお願いに走り回り、
全部断られた中、有難いことに、
相談にのって戴いた、一人の日本人の男性が、スポンサーとして助けてくれることになりました。
しかし、、、、
その当時、お付き合いしていた彼氏(先の夫)が、猛烈な剣幕で怒って、
”お前はそいつと出来ている、浮気をしているだろう!!!”
という疑惑をかけられ、私もなんで怒られてるんだか何だか訳も分からず、否定しても全く取り合ってもらえず、
”二度と会いに行くな!!!” と言われ、そんなことはできないと言ったら、
”それならもう終わりだ!” と言われたので、それきり...行かないことになったのですが、、、
(…といったものの、事情を言って謝りに行きました)
その時の私は、自分の幸せの事、彼を失いたくない一心でした。
こうして始まった、オーストラリアライフ。
その時の罰が当たっての結婚生活、そして長く苦しかった離婚裁判になったのだと、自分を恥ずかしく思っています。
その方は、日本人会のお世話を今もしてらっしゃると思いますが、
20年以上たった今でも、会わせる顔も無く、ありがたく、申し訳なく、思っています。
こうしてここに住んでみて、考えてもみなかった、色々なこともあるけれども、
でもやっぱり、来てよかったと、思っています。
そして、
ここでこの話を、あなたに聞いていただいたことで、人を裏切るようなことは二度としないと、誓って、
そしてこれからも、チャレンジし続けて行きたいと思っています。
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