オーストラリアの大学は、入学するのは簡単だけれど、卒業するのは難しい、と
日本の大学の入試制度と比べてよく言われています。
こちらの大学入学には、日本のような一発勝負のお受験がありません。
じゃあ、望みさえすればどこの大学でも入れるのかと言うと、やっぱり、そんな甘いことは無いのです。
TERMごとにあるアサイメントの他、各学校での成績に公平さを付けるために、
NAPLEN (National Assesmant Program-Literacy and Numercy) と言う全国一斉のマークシート式のテストが
2年ごとにあって、其れにて、自分の成績が、全国では一体どの辺なのか、
ついでに、どこの学校ならこのレベル、
そこの学校ならこのレベルね、なんていう風なことも、日本の学校ほどではないけれど、分かってくるわけなのです。
更に、最終的に自分が一体何処の大学に入れるのか、25段階でランク付けする、OP と言うランキングを判断する
最終承認は、外部テストと、学校での成績で判断されていて、(もうすぐもっと細かいランクの判定に変わります)
生徒たちは、自分がどのくらいのOPであり、どこの大学に入れるのか知ることが出来ます。
つまり、普段からの学校での成績により、入学願書が出せる大学が決まってくる訳なのです。
日本のお受験は、ある意味すべての人に平等に機会が設けられていて、オーストラリアの子供なら、
はなから入学願書の出せない、受け付けてもらえないような学校でも、受験して、
”一発大逆転!!”なんて可能性も秘めていると言えますが、
若干、15や16歳で、そういうバクチをするよりも、
夢や希望は無いかもしれないけれど、私は堅実に、
自分でコントロールの出来るオーストラリアの方法の方が、より合理的な気がします。
うちの坊も、入りたい大学があったので、自分の成績を上げるために、比較的長期で頑張れるので、
普段から、宿題や、テストで良い成績を取ることを自分で気にしていて、
私は子供たちに、勉強しなさいと言ったことが無く、
反対に、どんな魅力的なことを言って誘っても、宿題や勉強を優先しようとします。
そして、御受験のように、時の運と言うものも余りないので、すべては自分の責任であり、
…どっちにしても、人生のこんなに早い時期に、自分の学業の実力と言うものを知らなければいけません。
勉強が全てじゃないと言うことがわかるのは、年を取ってからで、
オーストラリアの人はなんでも諦めが早いと思うけれど、
そういうことで、人生を自分の学力で判断してしまったのかもしれませんね?
勉強ができることは、人生をよりよく生きてゆくうえで、確かに武器になるけれど、
あと、営業力とか、読解力とか、コミュニケーション力とか、考えてゆく力とかが無ければ人の役に立てないし、
人の役に立てることが出来なければ、成功できませんね?
私たち大人は、若い彼らにそれを教えてあげることが大切なことだと思いませんか?
日本の大学の入試制度と比べてよく言われています。
こちらの大学入学には、日本のような一発勝負のお受験がありません。
じゃあ、望みさえすればどこの大学でも入れるのかと言うと、やっぱり、そんな甘いことは無いのです。
TERMごとにあるアサイメントの他、各学校での成績に公平さを付けるために、
NAPLEN (National Assesmant Program-Literacy and Numercy) と言う全国一斉のマークシート式のテストが
2年ごとにあって、其れにて、自分の成績が、全国では一体どの辺なのか、
ついでに、どこの学校ならこのレベル、
そこの学校ならこのレベルね、なんていう風なことも、日本の学校ほどではないけれど、分かってくるわけなのです。
更に、最終的に自分が一体何処の大学に入れるのか、25段階でランク付けする、OP と言うランキングを判断する
最終承認は、外部テストと、学校での成績で判断されていて、(もうすぐもっと細かいランクの判定に変わります)
生徒たちは、自分がどのくらいのOPであり、どこの大学に入れるのか知ることが出来ます。
つまり、普段からの学校での成績により、入学願書が出せる大学が決まってくる訳なのです。
日本のお受験は、ある意味すべての人に平等に機会が設けられていて、オーストラリアの子供なら、
はなから入学願書の出せない、受け付けてもらえないような学校でも、受験して、
”一発大逆転!!”なんて可能性も秘めていると言えますが、
若干、15や16歳で、そういうバクチをするよりも、
夢や希望は無いかもしれないけれど、私は堅実に、
自分でコントロールの出来るオーストラリアの方法の方が、より合理的な気がします。
うちの坊も、入りたい大学があったので、自分の成績を上げるために、比較的長期で頑張れるので、
普段から、宿題や、テストで良い成績を取ることを自分で気にしていて、
私は子供たちに、勉強しなさいと言ったことが無く、
反対に、どんな魅力的なことを言って誘っても、宿題や勉強を優先しようとします。
そして、御受験のように、時の運と言うものも余りないので、すべては自分の責任であり、
…どっちにしても、人生のこんなに早い時期に、自分の学業の実力と言うものを知らなければいけません。
勉強が全てじゃないと言うことがわかるのは、年を取ってからで、
オーストラリアの人はなんでも諦めが早いと思うけれど、
そういうことで、人生を自分の学力で判断してしまったのかもしれませんね?
勉強ができることは、人生をよりよく生きてゆくうえで、確かに武器になるけれど、
あと、営業力とか、読解力とか、コミュニケーション力とか、考えてゆく力とかが無ければ人の役に立てないし、
人の役に立てることが出来なければ、成功できませんね?
私たち大人は、若い彼らにそれを教えてあげることが大切なことだと思いませんか?
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