オーストラリアは、人々がフレンドリーなことで有名な国ですが、人類皆兄弟?
例えば、 ”Good day mate?" は有名な?オージーの馴れ馴れした、挨拶。
Mate(メイト)は、相棒?みたいなもので、他人行儀な京都人の私としては、
” この人、私に頼みごとがある?” と疑わしく眉をひそめていても、
肩を抱き抱き、相棒扱いしてくれます。
エレベーターではいきなり、
”実は今日は、娘の結婚式だったのよー” などと、知らない人から、写真を見せられたりして、
場の空気を読めないといけないと、普段から気にしている私は、思わず、
”…えー! そうだったんですねー。お母様に似ておきれいですね!”
等と、昔からのお友達になったふりします。
カスタマーサービスに苦情電話をしても、名前を聞かれ、そのあとは、いきなり
” ヘイ!晶子! 何が問題なんだい? 言ってごらん!”
これを、日本のカスタマーサービスでやったら、直ちに、どつかれるとおもいます。
このように、いきなり親友扱いするなどは序の口。
自分の親でさえ、名前で呼んだりしてます。
” みさえ、どこに行ってたんだい?” なぁーんて! 信じられん。
私、親の名前を呼び捨てにするのは、クレヨンしんちゃん位のものだと思っていました。
うちの母、なめられてると思うと思います。
このように、オーストラリア人は、距離を置かれることを凄く嫌うように感じます。
お医者さんだって、”ジョンと読んでくれ”と、初めての診察の時、にっこり笑って握手しました。
学校の先生だって、先生、なんて言わないで、Mr や、Mrs で、子供たちは呼んでいます。
何回も就職面接に行ったけど、ホスピタリティー学校の先生のアドバイス通り、
かしこまるより、フレンドリーで馴れ馴れしくしたやつが、成功しました。
今は友達のLynneですが、離婚の時、色々助けてもらったので、頭が上がらなくて、年上だし、
メンターみたいな存在。だからミセス○○、とお呼びしていたのですが、再三の、”ミセスはやめて名前で呼んで”
と言われても、それでも、恐れ多くて、呼べなかったのが、ある日、半ばやけくそで名前を読んだら、
にっこり、嬉しそうにしてくれました。それ以来、彼女、よりフレンドリーになって、
益々、お友達として仲良くさせていただいてます。
ドイツ語は詩を書く言葉
フランス語は愛を語る言葉
イタリア語は歌を歌う言葉
スペイン語は祈りを捧げる言葉
ロシア語は人を呪う言葉
英語は商売をする言葉
日本語は人を敬う言葉
と、言われています。
きっと、一般的な日本人と、一般的なオーストラリア人は、対極にいますね?
でも、起源をたどれば、もともと、人類皆兄弟。
だから、オーストラリアは、ボランティア活動が盛んなのかもしれませんか?
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