●真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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【琢如】琢如(たくにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺第十四代法主。
学寮(現、大谷大学)の創設、大谷御坊(現、大谷祖廟)の造営と活躍した。
=生涯=
・寛永元年(1625年)、東本願寺第十三代 宣如の第2子(次男)として誕生。母は九条幸家の娘。
のちに伯父九条道房の猶子となる。
・寛永15年(1639年)、得度。
・承応2年(1653年)、宣如の隠居により第十四代法主を継承。
・寛文5年(1665年)、渉成園(大叔父徳川家光より寄進)内に学寮を創設する。
・同年11月、退隠し、東本願寺法主を長男・常如に譲る。
・寛文10年(1670年)、東本願寺境内の親鸞及び本願寺歴代の仮墓を、教如・宣如の両墓と共に、本願寺発祥地近くの東山大谷(現、京都市東山区)の地に祖廟を移転し、「大谷御坊」と称し造営に着手する。
・寛文11年4月14日(1671年5月22日)、47歳にて示寂。
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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【琢如】琢如(たくにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺第十四代法主。
学寮(現、大谷大学)の創設、大谷御坊(現、大谷祖廟)の造営と活躍した。
=生涯=
・寛永元年(1625年)、東本願寺第十三代 宣如の第2子(次男)として誕生。母は九条幸家の娘。
のちに伯父九条道房の猶子となる。
・寛永15年(1639年)、得度。
・承応2年(1653年)、宣如の隠居により第十四代法主を継承。
・寛文5年(1665年)、渉成園(大叔父徳川家光より寄進)内に学寮を創設する。
・同年11月、退隠し、東本願寺法主を長男・常如に譲る。
・寛文10年(1670年)、東本願寺境内の親鸞及び本願寺歴代の仮墓を、教如・宣如の両墓と共に、本願寺発祥地近くの東山大谷(現、京都市東山区)の地に祖廟を移転し、「大谷御坊」と称し造営に着手する。
・寛文11年4月14日(1671年5月22日)、47歳にて示寂。