鳥無き里の蝙蝠☆改

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【宇多田ヒカル】活動再開後初歌唱披露 Mステ出演の感想

2016-09-20 01:51:54 | 宇多田ヒカル
何度も何度も「桜流し」への思いを書きなぐっている俺である。この曲は、”宇多田ヒカルの”曲で一番好きなわけではない。“俺が今までで聞いたことのあるすべての”中で一番「大事」な曲である。どうも「好き」という言葉ではしっくりこない。というかとてもじゃないがこの気持ちを表現できているとは思わない。

宇多田ヒカルに対してそこまで情のない多くの平均的な人達は、どんな印象を受けたのだろう? 外観的には健康的な体格より少し細く、年齢相応の肌で、髪型は数ある変化の中でもどちらかといえばエキゾチックでありシックであり個人的にはどうせならIn The Fleshのときみたいにして欲しかった。

歌唱に関しては、今までとそう変わらない。というのも、なぜなら彼女自身も公言しているように、「歌うのが難しい曲ばかり」だという事実があるからだ。しかもその中でもトップクラスの難易度を誇っているのがこの『桜流し』だと言っても過言ではない。そんなとんでもない曲を歌い上げる大変さを、俺を含め宇多田ヒカルに対して情の深い者達は、全くもって侮っていない。つまりそうでない人たちにとってはそれほど響く曲ではなく、それほど響く歌唱ではなかったのかもしれない。

『桜流し』を始めて地上波で歌う彼女の表情からは、今にも崩れそうな脆さを感じた。彼女の目にはいつ溢れてもおかしくないとわかるほどの涙がはっきりと見えた。感情移入のしすぎというのは、実際彼女にとってこれが始めてではない。過去にも何度かある。しかし、母親のことと、この曲のもつ力の強大さの前では、いかに彼女の器量が計り知れないものだったとしても、『桜流し』を全うに歌い切るというのは困難なことだったのかもしれないと思った。

見ているこっちがはらはらした。とは言ったものの、歌い上げる彼女自身のほうが大変に決まっているなんてことは言わずもがな。いろんな思いが湧き上がってきて全身に鳥肌が立った。TVの画面越しでこれなのだから、やはり生で聴けることがあったら、曲の終わりと同時に俺は間違いなく天に召されるであろう。

エヴァという背景も、母親という背景も、俺としては関係なくこの曲を感じて欲しいと切に願う。はっきり言って、自分以外の視聴者がどんな思いでこれを聴くのか考えてしまうことをとても煩わしく感じる。


例えば彼女は作詞作曲を手掛けず、歌唱のみを担っていたのであれば、感情移入をしようという方向へ力のベクトルが向いていたはずだ。それがどうしたかといえば、先述したように、『桜流し』に限っては精神を保つのが難しくなるようなレベルの感情移入になってしまうという話である。つまり、『桜流し』への思い入れの強さとは裏腹に、彼女は今回正反対のベクトルで歌唱に臨んでいたのではないかと思った。何も意識しなくても、気持ちは桜流しのそれに引き寄せられていく。悪く言えば引きずり込まれていく。Coccoの『遺書。』も聴く人によっては引きずり込まれそうになるゆえになかなか聴けない人もいるらしい。俺自身は、遺書。も桜流しも一人で静かに聴ける時にしか聴かないし、そうじゃなければ聴きたくない。無論、だからカーオーディオのプレイリストには絶対にいれない。

もしツアーなりライブなりするのであれば、万難を排して聴きに行きたい。けれども、彼女自身に「届けたい」という気持ちがあるのかどうか疑わしい。これがデビューしたてで盛んな若者だったら話は違うが、今更お金にも知名度にも名声にも困らない彼女が、どんなモチベーションで大衆の前に現れるのか甚だ疑問である。なぜなら彼女ほどの人間になれば、芸能活動のリスクがとてつもない大きさになるからだ。でなければロンドンに在住する必要もなかっただろうに。

ただの音楽好きな人として生きるには手遅れにもほどがある。元気で素っ頓狂なことを言う姿を見れることは素直にとても嬉しい。しかしそれは本人にとっては迷惑でもあるし、社会ではそれをストーカーと呼ぶこともある。節度を弁えて誠実ささえ証明できればなんの問題もないかもしれないが、現代社会に限らずどの時代であってもそれを為せるのはせいぜい気の知れた知人達の間だけであろう。極々普通のいち一般市民のどこぞと知れない人間であるところの俺が彼女へどれだけの思いを馳せていたところで、当人にとってそれは恐怖でしかない。そんなことはどうでもいいのだが、つまり何が言いたいかといえば、彼女が発信する情報であればそれが声だろうと表情であろうと近況であろうと作った曲であろうとなんでもいいから受信したいという願望はあるが、彼女自身の安全を脅かしてまで願っているわけではないと言いたいのだ。

おおっと、肝心なことを忘れていた。復帰後初披露の歌唱に対しての感想を忘れていた。

よかった、とても。どれだけこの曲に強い力があるのかということを、それが彼女自身にとっても俺にとっても凄まじいということが改めてわかった。そして『桜流し』を歌うのはやはり恐ろしく難しいのだということも再確認できてよかった。
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