鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

人力というウルトラクリーンエネルギー

2019-01-30 23:35:43 | 考察

我々の食卓に並ぶお肉が作られるために必要な水は
牛肉・・・15,000ℓ/kg
豚肉・・・ 7,000ℓ/kg
鶏肉・・・ 4,000ℓ/kg

家畜による温室効果 > 飛行機・電車・車などによる温室効果

@「世界中の人間が菜食主義者・ベジタリアンになると何が起きるのか?」より一部抜粋


地球上に存在する農地のうち83%が、家畜を飼育するための放牧地や飼料用作物の栽培などに使用されている。これは地球の陸地の26%を占めている。また、世界中の淡水消費量に占める食肉や乳製品の生産に使用される割合は27%。

飼育に使用された資源のうち、最終的に食肉として人間の体に吸収される栄養は微々たるもの。例えば、牛肉に含まれるタンパク質は飼育のために消費された資源のわずか4%、カロリーは3%に過ぎません。その一方で、食肉や乳製品など家畜から人間が得るカロリーは、全体の18%にしかならないそうです。

家畜に与えた食糧や資源を直接人間に与えると考えれば、35億人もの人々に栄養を行き渡らせることが可能。


@「世界中の人々が愛する「動物の肉」が抱えている問題点とは?」より一部抜粋


人間は人口増加や文明の発展に特化し過ぎだと思った。そして上記の記事を読んで、食肉とはまた別の話かもしれないが「人間にとって最もクリーンなエネルギーは何か?」と考えた時に思ったのが「火力水力風力電力原子力などではなく、人力こそがクリーンなのでは?」と。

現代社会に顕著な社会的ストレスや極限的な生活環境による外的な状況は度外視するとして、十分な栄養補給と十分な睡眠があれば「一晩寝るだけで再充填される労働エネルギー」によって人類はその生涯や社会を営むべきではないのかと思った。

文明によって救われた命や文明によって生み出された感動や娯楽もあるだろうが、それと同じぐらいに不幸な人間や不幸な動物も生み出してきた。定義が難しいが、果たして良い結果と悪い結果のどちらが勝っているだろうか?

地球上の資源を食いつぶし周囲の生態系を破壊しながら、というのが現代の人類だ。しかし人間はそこまでして増える必要があったのだろうか?周囲を見渡してみても、"良くない人間"がたくさんいる。無意味に動物を殺害する人間がいて、平然と海にゴミを投げ捨てる人間がいて、お人好しを騙して自分だけ良い思いをする人間がいて、etc。

俺は別に自然主義なわけではない。人間が自然を淘汰することがあるのならそれも一種の"自然"だと思っているだけだ。しかし愚かな人間ばかりを見させられていると自然サイドがかわいそうだな、と思うこともあるという話である。

過去の記事で何度も言っているかもしれないが、人間は増えすぎた。或いは増えるのが早すぎた。

今の教育レベルでは、社会はしっかり回らない。統率も行き渡らない。結果的に争いや犯罪・ルール違反がたくさん起きてしまう。その影響によって資源の消費や環境汚染も爆速化する。資源の枯渇は略奪を生み、環境汚染は海面を上昇させて地表が減る。核戦争にしろなんにしろ、人類滅亡というゴールは変わらない。惑星移住や宇宙空間での居住を可能にしない限り、FallOut76のような世界が訪れるのは時間の問題である。

もっとゆっくりでもよかったのでは?と思わずにはいられない。

現代人が抱える多くの問題は、そのほとんどが"偏り"によるものだと感じてやまない。食糧と富は明らかに偏っている。不足しているところでは餓死。余っているところでは肥満。

過酷な肉体労働をロボットが無休で担ってくれるならまだしも、そんな時代はまだまだ先の話。本当に必要な仕事に限って低賃金で、本当に必要かどうか甚だ疑わしい仕事に国民の血税が注がれる始末。

その建物、その道路、その役人、本当に必要ですか?無駄が多すぎやしませんか?

社会がもっと効率的に回るのであれば、毎日8時間も労働する必要はないのでは?

家族や友人との時間を増やして、自然や動物を尊重できるほどの余裕を持つことができて、争いも減って、人々の創造性は高まり、革新的なアイディアがもっと平和な世界を支えてくれるようになるかもしれない。

けれどもそんな夢物語は訪れない。私欲が強い人間ほど権力を握っているこの社会で富の再分配はありえない。

Bad is Stronger, than good. 無理ゲーってこと。




コメント
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