鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

Bad is stronger, than good.

2015-06-30 22:24:15 | 日記

『攻殻機動隊 新劇場版』見てきた。

3回目。笑


動画@「攻殻機動隊 新劇場版」本編冒頭12分映像のコメント蘭に目を通してみると賛否両論と言うよりかは否定的な意見がどうやら優勢なご様子。

攻殻機動隊ARISEの制作発表を知った時は攻殻への心酔ゆえに不安ばかりで、実際にborder:1を鑑賞した時の俺自身も確かに否定する側だったことは否めない。

制作陣総入れ替えという決定がいかにして為されたかは定かでないにせよ、押井守監督の勇断の結果であれば疑問を持つ余地はない。

黄瀬和哉へのインタビューがパンフレットに記載されているのだが、そこで彼は

「―これまでの"攻殻機動隊"を壊すぐらいで臨まないと、新しいものにはならないんじゃないか、と考えました」

と言っている。

なるほど。ならば否定側の意見、もといアンチの意見はなかなかに的外れだと俺は思う。

そもそも、『攻殻』への愛着ゆえに続編やリメイクを望む人達は俺を含めて根本的に"わがまま"だと思う。

・スタイリッシュな戦闘シーンにこだわって他の要素を重視しない"作画厨"
・キャラデザの乱れに抜け目が無い"萌え豚"
・制作組織の変更や声優の変更に苦言を呈したがってやまない現状維持欲求の奴隷、名付けて"パストトラベラー"。


俺の、少佐の髪型への文句は2作目で消えた。

それゆえかもしれないが、納得がいかない人達に関しては、一度新劇場版を見てから文句を言って欲しいものだ。

ちなみに俺の一番好きなシーンは終盤で少佐が微笑みながら落下して消えていくとこだ。

鳥肌が立つシーンを挙げればキリがない。

菅野よう子に続投して欲しい気持ちは彼女のファンである俺もアンチ諸君と同様である。

しかしそれでもこの『第4の攻殻』を、俺は好きだ。


S.A.Cや2nd GIGのほうが良かったと言う者は少なくないが、新劇場版までを見た俺としては、むしろこちらの映像達のほうが遥かに豪華で過去の作品にどうしても違和感を抱いてしまう。

電脳空間のイメージや戦闘シーンの描写を制作資金の不足ゆえに妥協したであろうOVA時代当時の表現が、今回の劇場版では、見事に妥協した部分をついには発見できないほどの出来となっていると俺は思いたい。

もし疑う人がいるなら(そもそもこのブログの読者がいるとは思っていないが)見比べてみるといい。



そもそものそもそも。

アンチによる否定的な意見の類を見聞きした際にいつも思うことがある。

彼等は制作側の視点を持っているのだろうか、と。

作る側を経験している人でなければ分からない要素というものは必ずあると思うし、それはきっとかなり多い筈だ。

映像制作や脚本といった創作物に限らず、音楽でもそうだし、工業品でもそうだし、料理一つとっても同じことが言えると思う。

自分の気に入らない作品があったとして、無意識下や無自覚な領域に潜むその原因達に対して無関心である人達が、大した目も持ってない癖に勝手な正義を振りかざして良い気になってるのは極めて不愉快だ。



余談だが、コーネリアスの音楽も今となっては心地よくさえ感じる。

現代の創作物は、長い間かけて築かれた基盤の上に成り立っているとして、矛先を向けるのはそれの『破壊』だと思う。音楽でもそう。

濃縮や浄化にも似たプロセスを経ることでやっと芸術として名を上げるんだと思う。




































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決意の浮沈

2015-06-29 20:21:19 | 日記

強い罪悪感。

強い後悔。

強い憤怒。


言わずもがな、いずれも人の一生に強く劇的な変化をもたらす。


しかし、時間とともにその経験、記憶が薄れることもある。それを保持するのは意志の為せる業なのだが。

とにもかくにも、一生を左右するほどの経験はそれ相応に強烈な印象を帯びているものだ。百の見聞よりも一の経験が勝り、フィクションがノンフィクションに勝るのも然り。



喜怒哀楽。ベクトルこそ違うものの、強ければ強いほどそれらは人生を劇的なものにしてくれる。

しかし怒と哀しみの二つに限っては、この扱いを誤ると豊かな人生を脅かす可能性が高い。

人の脳というのは、情報を記録するよりも削除(意識の奥底に沈ませる)するほうに実は特化しているという説がある。

少し考えてみれば納得するのは簡単だ。

先ほどの怒りと哀しみという感情にいつまでも苛まれていては日常に支障を来してばかりになってしまう。

そこで脳の忘却機能だ。こいつは記憶に伴う感情の種類に関係なくこれを働かせる。

ベクトルがどこを向いていようと、どんなに強かろうと、時間とともに記憶を薄れさせてゆく。

出来事そのものを忘れはしなくとも、伴う印象と当時の感情は薄れてゆく。

ゆえに、人は交通事故を起こしてしまうし、調理の際に怪我や火傷を被る。

危険だと頭でわかっていても警戒意識が弱まるのは、怪我や事故の印象後悔罪悪感が常に自身を苛まないことの代償とも言える。



じゃあどうすればいいのか。

皆さんご存じ『意志』の力である。

悔しさや怒りや後悔をバネとして活かすためには、何かに取り組む際にその感情を随時呼び起こすことだ。

交通事故の恐ろしさを改めて実感したいのなら、YouTubeでクラッシュ映像でも見ておいて運転の際にはそれを思い出すか想像すればいい。R18映画の内容と同じ事態が、まさか自分の周りでは起こらないだろうなんて馬鹿げた考え方は今すぐやめたほうがいい。

いつでも意識することだ。そして想像することだ。

時間単位の未来の後悔も、年単位の未来の後悔も、人間なら想像するのは容易いことだ。

『後悔』とかいうきっとこの世の何よりも不味いものを一度でも味わったことがあるなら…。




しかし、人の心や気まぐれというのはいつの時代もどの年代でも厄介なもので口で言うほど簡単ではない。

腹が立つ時、嬉しい時、楽しい時、哀しい時、思考よりも感情が先立って理性を支配する。

後悔の味を知っている筈なのに、同じ過ちを繰り返してしまう。何度も何度も同じ苦渋を味わうはめになる。

それが嫌だから、無数の選択肢の中から1つを選んでいるはずなのに。



しかし、後悔の味も時間とともに忘れるから救われることもある。

任意でこの回路のオンとオフを切り替えられたらと、思わずにはいられない。
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陽の浮沈と気の浮沈

2015-06-25 18:17:07 | 日記

目が覚めた時の気分と眠る時の人の気分には差がある。

やる気に満ちていく時もあれば、気を鎮めていく時もある。

疲れ知らずで寝食を忘れることもあれば、寝食への欲に抗えないこともある。

見知らぬ通行人や悪質ドライバーから悪意を被ることもある。

赤子の鳴き声や犬の無駄吠えで集中力が散漫になることもある。



日々の出来事に文字通り一喜一憂するのが人の常。





感情という海の上を走る船は人の意志。出来事の風は追い風にもなれば向い風にもなり、時に嵐や雷雨を引き起こしては進路を阻む。

この航海を遂げて初めて目的を果たせる。


襲いかかる天候の気まぐれに打ち勝てた者だけが見られる景色がある。




そんなことを考えていた今日この頃。

読みたくて購入したはずなのに、難解な熟語の連続で未読のまま積んだ分厚い本。

習得しようと意気込んだはずなのに、道半ばで諦めてしまった技達。



暑い日は冷たい飲み物と涼しい場所に焦がれ。

疲れた日は現実逃避に走り。

行き場のない憤りで暴飲暴食八つ当たり。

仕事が選べなくて疲労困憊。



ブレない時間のなんと少ないことか。

そんな日々を過ごすのがどういう自分であれば、意志という船を目的地へと運べるだろう?



最終的には意志を鍛えるしかないんだろうな。

強くそうおもう。

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【異端】無宗教と誤謬

2015-06-24 19:39:20 | 日記

自然主義的誤謬(naturalistic fallacy の訳語)』

『誤謬』:論理学における誤謬は、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。
『瑕疵』:通常、一般的には備わっているにもかかわらず本来あるべき機能・品質・性能・状態が備わっていないこと。法概念としても用いられる。



自然主義的誤謬というのは、大雑把に言えば「自然が○○であるから、人間も○○であるべきだ」という推論が真ではないにも関わらず自然主義的な主張を行う場合に陥る誤りである。(自信がないのでwiki参照。笑)

自然主義的誤謬の例:戦争が人間の本性の一部であると科学的事実が示したなら、人間はみな戦争に賛成しなければならない。

道徳主義的誤謬の例:戦争は誤りであるので、それは人間の本性の一部であるはずがない。

懐古主義的誤謬の例:戦争は遥か昔から行われてきたものなので、それがなくなることはない。(俺オリジナル)


「ヒトにとって善とはなにか?」

「ヒトにとって幸せとはなにか?」

誰しもが一度どころか何度も考えた経験があるだろう。

十人十色、人の数だけ答えがあると思います。そしてそれら全てを一つにすることはできないと思います。

「ヒトは何の為に生きるのでしょうか?」

生物学が言うには、「人類という種をより繁栄させるため」だそうです。

しかしそう思わせるのは遺伝子、或いは本能の為せる業です。

ダニエル・デネット(心の哲学・科学哲学を専門とし、特に進化生物学や認知科学との関わりで人間の意識の問題などについて論じているアメリカ合衆国の哲学者)が考案した思考実験に以下のようものがあります。


『時は西暦2024年。あなたは、医学が進歩して不老不死が手に入るまでその体を冷凍保存することにした。あなたの身体が入った「極低温カプセル」はちょうど2404年になったら解凍されるようになっている。しかし、それまでの間に何が起こるか分からない。激しい天候や地殻変動が起きたり、人々による争いに巻き込まれたりしてカプセルの安全が脅かされる可能性は多いにある。あらゆる可能性を考慮して今のうちにプログラムを仕込みましょう。

名案があります!二足歩行型自給自足ロボットの腹部にあなたを保存しましょう。

更に!著しく変化する環境と時代にその都度臨機応変に対応できるよう、自己学習プログラムを備えましょう。

これで準備は万全です!地殻変動が起きる前に、地理条件が悪い場所を避け、エネルギーが半分を切りそうになったら省エネモードで活動したり、自分で補給場所まで歩いて行かせることができます。他の生物や人間が襲ってきたら自身の機能を損なわない程度の戦闘、或いは逃亡をします。必要であれば、同じような目的を持ったロボットと協定を組んで互いに行動したりエネルギーの貸し借りを行ったりします。』

さあじっくりシミュレートしてみてください。

2024年から2404年の間、極低温カプセルを内蔵したロボットが地球上で闊歩する世界は、現在我々が過ごしている社会とどのくらい違いがありますか?

せいぜい性器を介した生殖活動を行わないことぐらいでしょうか。



最先端の生物学が警鐘を鳴らしています。

気を付けてください!あなたの抱く欲望というのは、全てが遺伝子にとっての利益となるように仕組まれています。

気付いて下さい!あなたの信仰する神などは存在しません。

あなたはただのロボットです!どんな意志も、あなたの体内に宿す遺伝子が備えたプログラムの奴隷なんです。



「遺伝子(本能)の目的は、種の繁栄である」

誰にとってもこれが真であるならば、「支障となるユダヤ人」の絶滅を企てた優生学の信奉者であるナチスドイツの最高指導者であったアドルフ・ヒトラーのような人物は、人類にとって、もしくは生物として極めて効率的な行いをしていたと言えるでしょう。(※ユダヤ人が人類の繁栄にとって損だということを肯定したいわけではないのでくれぐれも悪しからず)

人は誰しも、自身の遺伝子を広く伝播させたいと望むことでしょう。しかし、時には自身の劣等性を自覚することにより、優秀な母体への生殖のチャンスを優秀な他者へ譲ることもあるでしょう。さらに、自身の延命が集団にとって負担となる場合は自ら命を絶つこともあるでしょう。

それらは延命手術を拒んだり安楽死を望む場合や、障害や病気が遺伝する可能性を孕んでいる場合など、現実にも確かに存在しています。

このような例から、人々が種の繁栄を人生における第一目的としていることは確かではないでしょうか。



何が言いたいのか?

冒頭に挙げた自然主義誤謬や懐古主義誤謬などのように、太古の歴史や人類史や自然からは「ヒトにとっての善や幸せ、生きる意味とは何か?」という問いの答えを導くことはできないのではないか、ということを言いたいのだ。

詭弁かもしれないが、自然が正しいとは限らない。然るに、昔の(人々の)考えが正しいとは限らない。

喜怒哀楽という感情さえも、それが遺伝子による効率的な自身の複製手段として備えたものだとしたら、それに抗えないなんてそんな惨めな話しがあってたまるものか。

結婚や出産や出世がめでたいのは、同じ目的(より繁栄)を持った仲間が良い仕事をしたから。

自身の血族が年収の低い(社会的身分が低い)相手と結ばれたがっているのに憤りを感じるのは、自身の遺伝子が劣化していく可能性を無意識に危惧しているから。

尊敬している(或いは大勢に尊敬されている)人物の死が哀しいのは、種がより繁栄していく可能性の低下を嘆いているから。


人々の多くは、遺伝子が巧妙に組んだプログラムとその目的について恐ろしいほどに無自覚かつ無関心である。

その最たるものが宗教の信者だと思っている。信仰によって精神的に救われている人がどの国でも少なからず存在している以上はそれを全否定するわけにはいかないのだが…。

主義主張(あるいは信仰)が人の数と同じ種類だけ存在している以上は、犯罪やテロや戦争は無くならないと思っている。

もし仮に、今回の内容で語る「遺伝子を守り、そして運ぶ存在こそがヒト」という説が真であるとして、それを全人類が自覚したとしたら?

俺が思うに、世界規模の人間選別が行われると思う。



お分かりいただけただろうか?

ヒトにとって、利己主義も利他主義も関係ない。ただただ「その身に宿す遺伝子の繁栄」という目的があるだけでそれに則った善悪という概念が、快苦というプログラムのハンドルによってどちらかに傾くだけなのだ。

聖人悪人教師偉人神なんて存在しない。

人類が地球上で滅びず、他の惑星に移住が成功していって更なる生息可能な環境で栄えてなお、この種を脅かし得る淘汰圧に遭遇しないとなれば……?

ゴールの見えない遺伝子繁栄レースを、永遠に走り続けるだけなのだ。

この緑豊かな地球に対しそうしてきたように、遅かれ早かれ惑星さえも消耗品と化すような想像もつかない時代が来るかもしれない。どんなに悪条件な地表でもヒトの適応を可能にする知性があるならば、天文学的な数量が宇宙に存在する惑星に対して「勿体ない!」などという感情を抱くなんてことがあるだろうか?

そう考えると、優生学も、社会の成長がもたらす質による淘汰も、ある生物の絶滅も、自然破壊も、人種差別も、厭うに足らないものかもしれない。

全ては彼等の種の繁栄にとって踏み台でしかないのなら、だが。

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攻殻機動隊 新劇場版 見たゾ

2015-06-18 21:11:46 | 感想文


遥か太古より伝わる物語から、教訓を得る者、啓示を得る者、予言だと説く者...etc。

それは神話だったり、童話だったり、伝説だったり。


その殆どは遥か昔に生まれたものだ。

不思議だと思わない?

一体なぜ、当時より遥かに文明が栄えた現代にそういった"話"が生まれないのか。

否。俺は常に生まれ続けていると思う。遥か昔とは比べ物にならないほど高度な媒体を得て。

それは小説・アニメ・漫画・映画。インクを必要としない演劇、語りも同様に。




本日は、映画『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL 新劇場版』の上映開始初日。

見てきました。

自分はライトなファンだが結論から言って一片の文句も無し。ブラボー。「ここはもっとこうしてほしかった」なんて言葉は10回死んでも吐けそうにない。もう一回見に行きたい。

ざっくりの感想はひとまずそのへんで。


それがどうしたのか。

この作品は舞台が2029年。遠くない未来に電脳と義体が開発され、社会が今の何倍にも高度に複雑化した世界で人類が抱える(本編内でも、そして現代から恐らく未だ解決されていない)諸問題にどう立ち向かっていくべきかを、『攻殻機動隊』は視聴者に考えさせたいのではないかと、俺は思う。

仮に、数十年後に電脳と義体が一般化したとして人類の多くが直面する問題と『攻殻』内の舞台で扱う問題が一致とまではいかずともほぼ同一であるならば、マタイの福音書にある予言よりもよっぽど具体的で実際的な"予言"を、この作品はしていると思う。

ならばそれは、神話や伝説や童話や寓話の「現代版」とも言えなくはないだろうか?と思うのだ。


現代版の"それ"はきっと攻殻に限ったことではない。




「科学は生命を定義できない」

"個"の証明とはなんなのか?
ゴーストとは?記憶か、それとも自分と他人と他人を区別するための外殻か?
魂とは?

チャールズ・ダーウィンの『種の起源』を切り口に進化心理学・認知科学・生物学などの学問は目まぐるしい進歩を続けている。本能(或いは遺伝子)の望む目的がヒトにとって如何に不条理で不合理なものなのかが浸透し始めている。因みにその営みで有名な人物はダニエルデネットやリチャードドーキンスやキースEスタノヴィッチ。

電脳と義体を得て、攻殻の世界の住民達のように彼等は「魂の在り処とその定義」を探すようになるのだろうか?

この疑問に対する進化心理学の反応が非常に興味深い。



『攻殻』からは、知性の髄まで震わすような電撃を感じて止まない。

しかし、初見を見終えたところで内容の1割も理解できている自信がない。

見ていても全く処理が追い付かない。

そこで俺が思ったのは、パンフレットなりネット上の資料なりから情報を集めて細かい分析を何かしらのノートにまとめたら少しは理解に近付けるかもしれないんじゃないか、と。

そこまで考えて気付いた。それは出版社のライターなり編集者なりが仕事として行っているものと同じ作業ではないか?と。

登場人物達や彼等の所属する組織群の相関図の作成はまさにそれだ。話の流れや展開を文字に起こすのも然り。

ざっくり言えばそれっぽいことをやろうとしていた。



いいじゃん、やりたい。

俺の知る限り『攻殻』はとにかく"最先端"。そして俺が知りたい答えに最も近いような気がする。これ以外に動機が必要だろうか?

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