鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】刻印修正

2016-05-06 23:25:22 | 考察

快楽は、生物が自身の種の存続と繁栄のために機能している。三大欲求然り。

味を極めた一流の料理人の味覚や能力は、良質な栄養素の発見と確保に優れているに過ぎない。

偉大な発明家の頭脳は、種の未来をよりよくするために働いてるに過ぎない。


言葉がだいぶ足りないかもしれない。それは置いておくとして。


とにかく快苦は、生物にとって欠かせない舵取りとして機能してきた。人間は理性を持つようになってそれを本能や遺伝子と呼ぶようになった。

そして快楽に抗ったり、苦痛を敢えて受け入れたりするようになった。


ラーメンやマヨネーズやチョコレートやポテトチップスを咀嚼すれば、脳内が「これはエネルギーを豊富に含んだ食物だ!」と認識して、それを強烈に印象付けて記憶し、空腹が訪れるたびにその記憶を蘇らせる。

しかし飽食の時代の中にある土地では、過剰に摂取した塩分糖分脂肪分は寿命を縮め思考を鈍らせ健康を損なうということがわかっている。猛獣に追われたり、深刻な水不足に見舞われたり、食料の確保が困難になるような環境は、文明が発達した土地にはほとんど存在しない。当時のその環境であれば、数十グラムのチョコレートだけでもしばらくは飢えを凌げるとすれば、我々の快苦システムは悪い方向には機能しない。

猿にはほぼ全身に長い体毛が生えている。しかし現代のヒトのそのほとんどが退化して、濃い部分は頭部や陰部のみである。環境の変化によって、不要だと判断されて体毛の発達に回す栄養素をカットしたわけだ。


今となっては我々人間の肉体に大きな進化や退化が起こることはとても稀だ。

なぜなら理性によって環境に適応できるからだ。暑ければ服を脱ぎ、寒ければ着る。外敵の脅威や雨風を木材や金属で防ぐ。

人間は理性によって選べる。我々が手足や骨や外皮を持たない時代には、こうして繁栄していくために必要だった自動プログラム(本能)は互換性が得られないほどバージョンの古いOSと同じようなものだということだ。




今の我々にもそしてこれからの我々にも存在し続けるであろうこの自動プログラムの目的を書き換えるべきなのではないか、ということだ。

赤子を目の前にした女性の母性が強まるのも、出産や育児能力の質で異性を選ぶのも、味覚と快楽の関係も、すべては種の存続と繁栄を目指しているものである。



地球の自転の停止、宇宙から飛来する巨大隕石、人類のほとんどが死に至るようなパンデミック・・・少子高齢化社会、第三次世界大戦、人々の鬱病、不治の病、ブラック企業の跳梁跋扈・・・小さなものから大きなものまでありとあらゆる問題を解決し切ったとして人間はその時に何をするの?

我々はなにを目指すべきなのだろうか。古代の貴族達が退屈凌ぎに「今では禁忌とされるような行い」に明け暮れるような世界だろうか?決してありえない未来ではない。

数世代先まで遊んで暮らせるほどの富を築いた者達の遊びはそれと似たようなものだ。

ひたすら美食を極めたり、複雑な行程を踏まずに快楽を誘発するために血液に直接その作用がある薬品を注射したり・・・


健全だと信じてやまない行いも、そういった愚かだと思ってやまない行いも俺の中では同じ価値である。

俺はそれとは別の目指すべき世界が、我々に見つけてもらうのを待っているんじゃないかと期待している。

今ある概念や考え方すべてを総動員しても及びがつかない世界。それが我々のすぐそばにあるとしても、あるいは遥か宇宙の果てにあるとしてもー
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