private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来10

2023-09-17 16:05:09 | 連続小説

 そんな三人を挟み込むようにして、イヌに散歩させている人が前後からすれちがう。イヌは飼い主の気を引こうとしているのか、相手が気に入らないのか、お互いに吠え合って何らかの自己主張をしはじめる。
 それを煩く顔に出したまま、キジタさんもイヌに負けずと主張しはじめる。
「わたしにも経験があるよ。どうしたって若いうちはラクをしたい。いや、若いに限らず誰だってそうだ。ただ若いうちはそうやってラクを覚えると、それは習慣になって、一生ついて回るんだ。過酷な状況を切り抜けるために思考をすれば、自ずと感性が研ぎ澄まされていく。そのなかでだけ、見えてくるモノがあり。それをつかむことで大きく成長できる。それをやり遂げられる人間と、そうでない人間には大きな差が生まれるのは致し方ない。自分に限界をつくってしまうし、まわりもそこまで人を追い込むことはしない。なにより、乗り越えなければただの無茶で、無理強いで終わってしまうんだけどね」
 無茶で、無理強いで終わってしまう人がほとんどだ。そうでない極一部の人間に、多くのひとが従うことになる。学校を見ても、町内を見ても、それこそ自分の家だって、命令を下せるのは一握りであり、それは何処かでは一人だけになる。
 多くのひとは面倒なことは誰かに任せてラクをしたいのだ。それが命運とあきらめているのか、そもそも自分は誰かに従うために生きていると割り切っているのか。声を挙げなければどんな信念があっても、大勢のなかのひとりにしか見えないため、そんな雰囲気が漠然とこの国を覆っているようにみえる。
 何度か吠えた後に飼い主になだめられてイヌは大人しくなっていた。クゥーンと媚びるような声を出して尻尾を振っている。
「まあ、おりこうさんなワンちゃんね。よく言うことを聞いて」
「あら、あら、そちらこそ、留守番してるのをお見かけしますよ。よくしつけが行き届いてますね」
 そんな声をかけあいながら、それぞれがまた進む方向へと歩いていった。あのイヌたちはおりこうなのか、しつけが行き届いているのか。いずれにせよ、そんなことは人間の目線で語られるだけで、イヌたちにとっての本心はうかがい知れない。
 あえて言うなら、そうすれば飼い主から誉められる、食事をもらえる、生きるための糧を得られるからそうしているだけで、そう言った意味ではおりこうといえる。
 そうして俯瞰から獲物を狙っていた猛禽類のようにカズさんは舞い降りて、すべてを絡め取っていく。
「みんな、誰かが何とかしてくれると勘違いしているのよ。なにひとつ自分事として捉えたがらない。何か起きれば誰かの所為にして、自分は被害者面してのうのうとしている。スミレも経験があるでしょう。学級委員とか、生徒会とか、あんなモノは好きなヤツにやらせておけという風潮。先生側に着いたその人たちを、あざけ笑い、イヌと陰口を叩き、馬鹿にして、反体制の立場のその他大勢でいる自分に陶酔している。そんな行動がいかに滑稽であるか、いかに無駄で無意味であるかわかっていない。自分たちが自由にふるまえると勘違いして、その実は、いつの間にか出来上がっていく支配構造に組み込まれて、狡猾な者たちの管理のなかで、多くの自由を搾取されていることに気づかない。他人事で距離を置くほど、知らないうちに多くを搾取されていくことに気づかない。あのイヌを見ればそれがよくわかるでしょ」
 わからなかった。スミレは単純に飼い主の言うことを聞いていれば楽だとしか考えつかなかった。
 学校では、委員になる人はだいたい決まっていた。あの人がなるだろうと、薄々みんなも感じており、事実そんな人たちが委員長や役員になり、学校を仕切っていった。
 そうであれば先生ともツーカーになり、最終的には先生の傀儡政権となり、学校に都合のいいルールばかりが作られていく。どんどんと息苦しくなってもその時は、気づかずに最終的に校則にがんじがらめになってしまっている。
 世も同じなのだ。生活するためにはどうしたって権力者の言う通りにしなければならない。言うことを聞かない選択をすれば、徐々に排除されていく。誰もそこを切り崩そうとはしない。変わりに手を挙げる者は、市井を代弁すると言いながら、収まれば同じことを繰り返すだけでしかない。
 権力者が重宝がる属性を持っていれば『おりこうさん』と誉められて、言うことを素直にきいていれば『しつけが行き届いている』と感心される。
「そこに甘んじるか、それを盾に取って自分に有利な状況を創り出せるかで、同じことをしていても全然違うけどね。誰もが一歩引いたところで生きていくことに満足している。それはそれで間違いではないけどね、それは同時に、自分のすべてを誰かに委託しているのと同じだね。あのイヌたちがオレ達人間より、生きることに関して数倍長けているとすれば、それが人間の最終系になるのかもな」
 殺し屋のキジタさんの、そのキャラクターに似合わない言葉でまとめてしまった。人は見かけによらないし、行動と言動にも一貫性がないのが見て取れる。誰かを殺めるのも生きていくうえで必要だとでも言い出すのか。
「いや、殺し屋じゃないでしょ。人を殺したってのも比喩だっていったでしょ。まいったな」
「つまらないキャラづくりをしようとするからそうなるのよ。誰かの所為にして死んでいく時代もあれば、誰の所為にもできず死んでいく時代もある。それに誰かの死を自分の所為だと考えるところまで至るのもひとつの時代。その中でしか、わたしたちは生きていけない。時代が許さなければそういった感情も生まれない。声を挙げたくてもできない時代があったんだから」
 カズさんはキジタさんを諫めながらも、物悲しく、枯れたような言葉で語った。スミレが聴いていてもなんだか切なくなる、物言えぬ時代を生きてきた経験が言わせた言葉に聞こえた。