ユキは商店街の時代から長年に渡って組合の会長を担っていた。日々すたれていく現状をどうにかせねばと、若い時にメディア関係の会社に勤めていた伝手で、昔馴染みが勤める広告代理店に相談案件として持ち込んで交渉の扉を開いた。
丁度そのような物件を探していた大手の商社が興味を持って話しが進んで行き、ユキは海老で鯛が釣つれそうだと、予想以上の成果に小躍りしたまではよかった。
その後の会合を重ねるにつれて、ユキはジリジリと追い込まれていった。コチラの要望を受け入れられ喜んでいると、その奥に様々なオプションが条件規定として盛り込まれていた。
そして最後に、総合的に考慮すれば、商店街ごと身売りして、商社の傘下となり、モールとして再構築していくことが最良の選択となっていた。
自分では有利に交渉を続けているつもりであっても、そのように仕向けれていたのかもしれない。そうして最終的には商社に買い上げられてしまったのは目論見外だった。
相手側の交渉の術中にはまってしまった。それは会社としてチームで仕事をしてくる商社側において、ユキひとりで対応しなければならなかった商店街は余りにも非力だった。
ユキが困っているときには誰も手助けせずに、商店街の身売りを知りユキを詰る者も少なくなかった。そんなときコウは、何もできずにいた自分を責めた。
最終的には希望者にはそのまま残ってもらえるように便宜が図られ、高齢で後継ぎがなく潮時とした店は、それに応じた売却費を支払い、新しいテナントに差し替えられていった。
これほどまで商店街側に寄り添った選択ができるように取り計ってもらえたのは、ひとえにユキの尽力のおかげだった。最後まで先方と粘り強く話し合いを進めた成果だ。
商店街時代の経営者に顔が利くユリは、そのまま管理責任者として、新規出店者とのパイプ役としても重宝されていた。それもユキが好条件を引き出すために自分の身を削ったことのひとつだ。
今は既存旧店舗と新規店舗の割合は半々といったところで、新旧混成のハイブリッドなモールは、真新しさと物珍しさもあり、滑り出しは上々となった。
そんな中でもユキがいつも心に残ることは、本当にこれで良かったという結論が出せていないことだった。既存の店がひとつ畳まれるたびに心が押し潰されるようで、ユキはコウの店で自戒の時を過ごしていた。
今日は新旧の店舗ををひとつにまとめようと企画した一斉清掃の参加者が、なかなか集まらないことにやきもきして、コウに話しを聞いてもらいたくて店を訪れた。
コウに話していると新たなアイデアが浮かんだり、モチベーションが回復してくるとユキに言われたことがある。それをわかってコウもユキの話しを黙って聞いていた。
ただいつもそうあるわけでもなく、そうでない日の方が多い。高い壁はいつだって目の前にそそり立ち、どうあがいても越えられる気がしない。ユキは事あるごとに確認しなければ崩れ落ちそうになる。
「コウちゃんは、コレで良かったって言ってくれるけど、本当に良かったのか、今でもわからなくてね。ミタムラさんだって、あんなジムじゃ本意じゃなかったから、こうしてまたプロボクサーを育てようとしているんでしょう、、」
ミタムラの名を出したのはそういうことだったのかと、コウダは下衆な勘繰りとも言える様々な憶測を反省した。
「そんなことないですよ。みんなユキさんに感謝してますって。どうしたってあのままじゃ、廃れていく一方だったでしょう。少しでもいい条件で手放せる、最後のチャンスだったんですよ」
サンドウィッチの皿が空になったところで、コウはストックボックスから殻付きの落花生を取り出し、テーブルに一握り置いた。新聞紙を折って作った殻入れを添える。
「昔は色んな業種の店舗が混ぜこぜになって、自然と商店街という形になってたよね。駅向こうになんか、ストリップ劇場もあったけど、ぜんぜん違和感ないし、自然と溶け込んでたもんね。コッチにはこんな場末のバーとか、妙なホテルもあるし、、 」
両手で落花生の殻を砕き、手のひらにこぼれた実を指でつまんで口にするユキ。香ばしい匂いが鼻に抜ける。
「場末って、、 こんなとか、、 」コウは口元を下げて不満をしめしてみせる。
どんなに自分がいいと思っていても、それが継続していくかは別問題だ。世界は多くのひとが望んだ風景に次々と塗り替えらえていってしまう。
「ゴメン、ゴメン。話の流れよ。それに、いい意味で言ってるのよ。アジがあるってことよ」
フォローされるほどに、落ち込みそうな気分になっていく。
「それにあのホテルって、ありゃ洋風木銭宿でしょ、部屋だって4室だけだし。帰りっぱぐれたヤツが転がり込むようなとこでしょ」
ホテルの店長とコウとは、昔なじみの腐れ縁のために言いたい放題だ。ユキはブラックのコーヒーを口に含む。落花生とコーヒーがお互いの旨味を引き立ててくれる。
「そんなこと言っちゃって、ホテルマリアージュって、ビルボードしてあるでしょ。それにモールにだってホテルで申請されてるんだから」と、どこ吹く風のユキだ。
それならウチだってパブリックバーで申請してるし、屋号もパブ・ペニーレインだと文句を言いたいところだ。
昔の風景がどんなに良かったとしても、風景が変われってしまえばそれがふつうだと馴染んでしまう。過去を思い起こすから郷愁などといって感傷的になり、それに価値があるように思えてくる。
ホテルもここも、今のモールには異質な空間でしかない。近いうちに、なんだかんだと理由を付けられて、引き払いになる最右翼のはずだ。
ここにこんな店があったと覚えていてもらえればいいほうで、更地になればほとんどのひとは、ここがなんだったかと思いだすのにひと苦労して、新しい建物が立てばキレイさっぱり忘れ去られるだけだ。
最近では馴染みの客はめっきり減ってしまったし、今更新規の客を呼び込むような店でもない。コウは今の店の雰囲気を維持できなければ、続ける意味がないと口にした。
そうでもないのよとユキが答えた。
「モールのオーナーが、ちょっと変わり者なのは知ってるでしょ。身売りした時、必ず残して欲しい店のリストがあってね。それで結構やりあっちゃって、向こうの条件にも譲歩したけど、コチラの意地も通させてもらったのよ。ああ、オーナーと直接じゃなくて、その使いの人とね」
コウにもオーナーのことはいろいろと耳に入っている。先見の明があり、買収した企業は必ずV字回付させるなど必ず結果を残してきた人物だ。そんなメディアを賑わすようなカリスマ経営者の割には表に出ることは一切ない。
それにしても残す店のリストのことは初耳だった。そこにどんな店が書かれているのか、どんな取引がなされたのか、コウも気になるところではある。
「もう、今だから言うけど。そこにね、この店も入ってたのよ。おどろきでしょ」
驚いたのはコウのほうだった。てっきりユキが口利きしてくれて続けることができたものだと思っていた。それがオーナー側からの希望だったとは。意味がわからなかった。
「もちろん、わたしだって残すつもりでいたけど、向こうから言ってくるから、安売りしちゃいけないと思って、いろいろと条件付けさせてもらったわよ」
確かに他の店舗でも好条件で継続しているところがある。ユキの出した条件をここまで聞いてくれたのは何故かと、いろいろと悪いウワサにもなっていた。
「夜食までいただいて、美味しかったわ。ありがとね。全部払うから。いくら?」
「いいんですよ。これは、オレもちょっと腹減ってたし」
そして、コウは自分の店の他に、どの店が同じようにリストに載っていたのか気になった。たぶんそこにはあのボロホテルも含まれているのは察しがついた。
「いいから。ちゃんとレジ打って。消費税もね。もうドンブリはダメでしょ」
それもコウの悩みどころだった。モールになってから、一日の売上がすべて本部に管理されている。イントラにつながったレジは支給されたので懐は傷まないが、これまでのようにツケだ、奢りだといった客とのやり取りができなくなった。
モールになって合理的で効率的になり、人情味や家族的な側面は失われた。ユキとしても量の大小に関わらず、立場上タダ飯を食うわけにはいかない。
コウにとっては昔ながらの付き合いのある人と、そういったやり取りができないのは苦痛な面もある。上から言われたことと割り切るしかない。
そのような片苦しさが嫌で、モールになってから店をたたんでしまった所もいくつかあった。新しいオーナーのやり方についてこれなければ、早かれ遅かれ店をたたむことになる。
「ユキさん、まさか以前からの店子がいなくなるまで、面倒見るつもりですか?」
「そうね。そこまで会社が雇ってくれればの話だけど。わたしにも意地があるからね。残ってくれたお店には、ちゃんと幸せになれたか見ていてあげたいの」
「そんな、ユキさんが背負うことじゃないでしょ」
「そうなんだけどね。そこにどれぐらいの意味があるかわからないし、誰もそんなこと望んじゃいないだろうけど、なんかね、やりきらなくちゃいけないって思ってる」
ユキが寂しげにグラスを傾けている姿を見ているのはコウも辛かった。コウが何を言おうと、ユキは最後までやり遂げるだろう。
ユキにいつまで続けると訊かれて、曖昧にはぐらかすのも、なんとか自分が最後のひとりまで頑張って、ユキの苦労に報いたかった。
「どうして、リストにあったのか訊かないのね?」
そのためにもユキに迷惑はかけられず、モールのルールは守って面倒を起こさないようにしなければならない。
「そうですね。知らないほうがいいこともあるし、たぶんこの世は、知らずにいたほうがいいことがほとんじゃないですかね」
「コウちゃんは、優しいね。そういうセリフはこんなオバちゃんじゃなく、もっと若いコにしてあげなさいよ。誰か気になるコでもいないの?」
「よしてくだい。自分はもうそういう年でもないし、ガラでもないんですから。それに、、」
ユキに惚れているというわけではない。人としての恩義を感じているだけで、ユキがこれまでに自分にしてくれたこと、商店街にしてくれたことに感謝したいだけだった。
「、、それに?」
それを恋愛感情と絡めることはない。男女というだけで上手くいかないこともある。
「若いコとは、こんな話しをしても通じないのはわかってますから」
殴られた顔のアザは消えようども、心のアザは消えない。コウは殻入れに入った落花生の殻をダストボックスに捨てた。落花生はもうすっかりと食べられていた。
「ゴメンね余計なこと言っちゃって、だから年寄は、って言われちゃうのよね。こないだもコーヒー屋さんのオーナーに夜警の話したら、今どき? って顔さたのよね」
そう言ってユキは冷めたコーヒーを飲み干す。財布からカードを取り出して、端末にかざす。支払いが終了するとレシートが出てくる。ユキはそれをカットして眺める。
「便利なものね、、」
便利なことと引き換えに、多くの笑顔を失ってきた。そんな中でもまだ自分を押し通そうとする人たちがいる。進化するだけでは何か違っているようで、後退することで生きることの意味を見つけようとしている人たちがいる。
モールの夜間照明は、その灯りが届く店と、届かない店を明確に分けていた。