private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(市街地からモールまで4)

2025-02-09 17:41:47 | 連続小説

 事務所の裏口から中に入って行くマリイ。エイキチは医療用のチェアーに座って、インカムをつけた状態で幾つも並ぶモニターを目で追っていた。
 事務所の扉を開けて中に入ってきたマリイに、おつかれと声をかける。マリイは軽く手をあげるだけで、冷蔵庫を開けて飲み物を物色しはじめる。
「なんか飲む?」そうエイキチに問いかける。自分は炭酸水を取り出してコップに注いだ。
「いいや、間に合ってる」エイキチは、そう言って点滴のチューブを指でさした。
 フーンと、小さく何度かうなづき冷蔵庫を閉じる。次の仕事が入るまではここで待機となる。マリイはイスに座って炭酸水を含み渋い顔をする。
「金一封出たってのに、浮かねえツラだな。走りも良かった。もっと喜んでもよさそうなもんだ、、 」
 エイキチはヘッドフォン一体型のインカムを外した。マリイからの返答は期待していない。次の仕事に備えてモニターのチェックを怠たらず、キーボードを操作して詳細を表示してはデータをインプットしていく。
 モニターに集中していたので、いつの間にか背後にいたマリイに気づかなかった。髪を少し引っ張られて、目線が上を向く。天井のシミは前の持ち主からの残こし物だ。
 ケイサツの交信が、モニター上に文字起こしされており、気になる文面を目で追っていたところだった。ところどころで誤変換があるのは御愛嬌だが、そこから発想が転換されたときもあったのでバカにできない。
「カミ、切るよ」
 エイキチの髪は左右が非対称になっていた。昨日の空き時間にマリイがカットをはじめたところ、出動要請があり途中になったままだ。
 外出もしないし、ひとに会うこともないエイキチは、そんな状態で生活していても何ら支障はなかった。
 元々、髪型を気にするタチでもなく、わざわざ人の手を借りたり、自分自身も労力を掛けてまで髪の毛を切りに外出する選択肢はなかった。
 これまでは伸ばした髪を後ろで束ねておき、一定の長さになったら自分でカットしていた。
 マリイと仕事をする様になってから、ここで共同生活をはじめると、髪の毛のことをとやかく言われるようになった。
 だったら切ってやるよとマリイが言い出し、それからはマリイが気の向くままにカットすることになった。
「また、飛び込みが入るかもな。いつになったら完成するか、、」
 そんなエイキチのボヤキも聞かずに、マリイは道具を取りに行ってしまった。自由になったエイキチは、さっきの文章を探してカーソルを当てる。
 キーとなる文字をドラッグし、それに類似する項目の検索を進める。いくつかの関連項目が呼び出された。これは通常の検索エンジンではヒットしないケイサツや、諸官庁の内部情報のみが表示される。
 映し出された内容に、身を乗り出し文面を目で追う。何やら大きな政治的な動きがあるようだ。それが今日なのか、明日なのか、今週のいつかなのか。それによってマリイの動きも変わってくるはずだ。
 今いちばんの話題と言えば、Pホテルで先進国が為替について会談を行っていることで、一般国民にまで関心が及んでいる。いずれにせよどこかのタイミングで代理人からの連絡が入るはずだ。
 そんなことを考えていると、何か気になることでもあるのかと、戻ってきたマリイに声をかけられた。文面に気を取られて、再び背後を取られていた。
「いつもの内輪もめだろ、、」そう言ってモニターの画面を別の内容に切り替えた。
 マリイも訊いただけで、エイキチが調べていることに対して関心があるわけでもない。PCのバックグラウンドでは、引き続き関連事項の抽出が続けられている。
 持ってきたシートで上半身を覆い、タオルで首元を巻き、カットの準備をしはじめる。自分もエプロンを着け、霧吹きを使ってエイキチの髪を湿らせる。
 手のひらでカバーして、顔に水がかからないようにする仕草は、自分がされた時の経験からか、どこかで知り得て練習したのか、それっぽくだんだん板についてきている。
 チェアの傾斜を横になった状態まで倒して、マリイも椅子に腰掛ける。マリイの顔に見おろされる態勢になり、目の向けどころに困ったエイキチは目を閉じた。
 昨日と同じように、目線が合ったり、マリイの顔を至近距離で見ることができなかった。通信での会話では、言いたいことも言い合えているのに、面と向かった今の状態では言葉が滞ってしまう。
 何を意識することがあるのかと、この接近環境に慣れない自分を笑ってしまう。新しい環境は、いつでも自分の未知の領域を教えてくれる。
 マリイは粛々とカットをはじめる。自分の中にそのルーティンがあるかのように、順番になすべきことをおこなっていく。濡れた髪をクシで撫でつけ、指で挟んだ髪にハサミを入れる。
 やるならば徹底的にやる。それがマリイの流儀だった。誰にも見せることのないカットにも、ドライビングと同様に手を抜かない。自分が目にするからだ。やらないなら手をつけない。
 ザクッと小気味いい音がして、カットされた髪の毛が、シーツの上をシューッと滑り落ち、床に落下する。
 アルデンテになったパスタの芯のみを切り刻む感触が、エイキチはアタマ越しから伝り、マリイは手から感じられる。
 切り終えた時の快感にも似た痺れを、ふたりは時を同じくして、肌につたって行くのを感じていた。それがなぜか相手も同じように感じているとわかっていた。
 カラダの芯が熱くなっていく。自分では制御でいない潮流がうねり出す。
「オマエ、ホントはもう、やめたいんだろ?」何かを言わないとエイキチはおさまらなかった。
 マリイの方から何か切り出すとは思えない。マリイの手が止まった。事務所内の空気の振動が止まった。無機質な電子音がノイズのように耳に届くだけだ。
 再開する気配がなく、どうしたのかとエイキチは目を開いた。目の前にアタマ越しに座っている、逆さになったマリイの顔があった。
 その表情からは、何も読み取ることはできなかった。運搬中のマリイの心理状態や、行動パターンは推察することができているのに。そして、それはほぼ予想通りの結果を得られているのに。
 普段の言動や、行動は別物なのだ。何ひとつ見えてこない。ポツリと涙が落ちてきて、エイキチの唇を濡らした。感情のない顔がその涙の意味をより深くしていた。逆さだからそう見えるのかもしれなかった。
 マリイは指先で唇についた涙を拭った。自由のきかないエイキチはされるがままだ。もし、マリイがエイキチを殺そうと思えば、何の抵抗も受けずに実行できてしまうだろう。そしてその逆もまた可能だ。
 そんな不揃いなふたりだからこそ、わかりあえることもあり、相容れないこともある。負い目を感じたまま、ここまで生きてこざるを得なかったエイキチに、自分からそれを行使しようとする選択肢はなかった。
 そしてマリイから、なんらかの判断が下されようとも、それを受け入れる用意はできていた。
 ピッピッというアラートがなった。代理人からの呼び出しだ。エイキチは今のままでは自分でインカムを装着することはできない。立ち上がったマリイがディスクに駆け寄り、インカムをエイキチに渡す。
 エイキチに顔を見られないようにして目を擦っていた。自分の感情とは別のところで、涙がこぼれてきた。絶対にそんな姿を見せたくない相手であるのに、今日の様々な出来事が自分を狂わせていた。
 寝かせていたチェアをもとの状態に戻して、モニターの位置まで移動させる。それはエイキチでも出来ることでも素早く行うにはマリイの手が必要だ。軽く手をあげて礼を言う。
 エイキチの後頭部はまだ不揃いのままだ。
『どうした?』代理人が問うてきた。呼び出しに時間がかかったた理由を訊いている。
 ちょっと頭痛があったから、インカムを外していたと答えた。そんな理由など、どうだってよく、ようは仕事中はインカムを外すなと言う警告に過ぎない。
『どうやら政局が大きく動きそうでな。今夜がヤマになりそうだ、、』エイキチの回答について、なにも言わないことがそれを物語っている。
 やはりPホテルの件が関係していると、すぐに結びついた。代理人もエイキチが色々なニュースソースにアクセスして、多種多様な情報を得ていることは気がついている。
 ただそうして出回っている情報が、どれだけ精度が高いかは別物だ。代理人はいつもエイキチがどこまで知っているか、どの情報を正しいと判断して準備をしているのか、試すような言い方をしてくる。
 そして何が正解だったかはけして口にしない。
 マリイが箒で髪の毛を集める、さーっ、サッサという音が聞こえだした。マリイのインカムでも、この会話は聞くことができる。エイキチは早めに切り上げたい。
「そうですか。で、何処に、何時に張ります?」エイキチも自分の情報は漏らさない。代理人の言葉から何が正しいかを判断していく。
『20:00にヨコスカBだ。状況により市内に戻るケースもある』
「Bですか!?」エイキチが思わず反応してしまった。
 Bは基地のことだ。エイキチは会議が行われている市内のホテルだと思っていた。
『何か気になることでも?』代理人が試すように訊いてくる。
 マリイが箒を持ったまま、エイキチに寄り添う。「いえ、別に、、」エイキチに言えることはない。
『マリイ。聞いてるだろ? しばらく出突っ張りになるだろう。寝れる時に寝ておくんだ』
 代理人の警鐘はよく当たる。それがマリイを縛り付ける要因になっている。
「わかった」無言だと何度も繰り返えされるので、そう返事する。
『何か動きがあれば連絡する。エイキチも、それまではカラダを休めておくんだ』
 それは必要以上に、この件に対して詮索するなと言う警告だった。
「はい、そうします」そう言って通信が切れるのを待った。エイキチから先に通信を切ることはない。
 しばらくして通信は切れた。エイキチは再びインカムを外して髪の毛をかきむしる。毛に挟まっていた切髪が、パラパラとシーツに舞った。マリイがブラシで髪を漉く。絡んだ髪が梳き解れていく。
「すまない」そう言うエイキチに頷いて応えるマリイ。
「休んでろよ。それが今おまえがすべきことだろ」
 髪をひと通りはらったマリイは、それには答えずエイキチの背後に立ち肩に手を置いた。そうは言ってもエイキチも、はいそうですかと眠れるわけではない。マリイも同じであろう。
 マリイの涙の意味をどう取るべきか。エイキチには、それも重くのしかかっている。取り敢えず間を置くにはタイミングのいい連絡にはなった。


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