private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(市街地からモールまで2)

2025-01-26 17:23:36 | 連続小説

 客をピックアップしたことをエイキチに伝えるために、サインとして取り決めしてある無線のコール音を一度だけ鳴らす。ピッという電子音がする。
 連絡を受けたエイキチは、目的地までの最新の交通情報を伝達しはじめる。エイキチのデスクまわりには、通行ルートの道路情報を知るために有効な様々な機器が備えつけられている。
 エイキチは必要とされる情報があれば、マリイに伝えるために積極的に話しかけてくる。一方のマリイは客がいる手前、口にしないほうがいいことが多いため、急を要しない限り、ああとか、ウンとか、最低限の言葉しか口にしない。
 もともと口数が多い方でもなく、話すことが苦手でもあり、客が話しかけてこないように、依頼を受けた際に、舌を噛む恐れがあるので余計な口をきいたり、おしゃべりはしないように同意を取ってある。
 走り出せばシートにしがみついたりして、恐怖心と戦うので精いっぱいになり、喋ろうなどという気はなくなるので、そんなことをする必要はなかった。
 それが今日に限って自分から話しかけてしまったのは失敗だった。急ぎの案件でないためスピードを出す必要もなく、普段にはない平穏な車内に沈黙が流れている。
 それが却ってマリイには気になって仕方ない。こんな時こそクルマをぶっ飛ばして、すべてを思考から取り除きたい。それができない。いまはできないのだ。
「駅前の通りにケーサツが出張ってるんだよね。駅前広場の催し物にクルマで出かけた客が、違法駐車してるらしいんだ。途中で行き先が被ってるから、ちょっと遠回りになるけど、西側の小道を抜けて戻って来ればいい。どうせ、、 」どうせ急ぎじゃないのはマリイもわかっている。
 エイキチには、警察がやり取りしている情報や、防犯カメラに介入し、その内容をモニターすることができる。走行する近郊界隈のあらゆる情報を、事前に手中に収めている。
 勿論違法であり、さすがにこの件に関しては国家権力でも黙認してもらえるとも思えず、秘密裏で行なわれている。技術の革新は裏側で最先端が先行することが多い。
 大通りをしばらく流れに沿って進み、言われた小道で左折する。マリイもよく利用しているので、大げさにいえば、目をつぶっても運転できる道だ。
 そしてエイキチの指示を聞きながら運転すれば、本当に目をつぶっていても運転できるほど、情報の正確さと、エイキチの判断能力に限っては絶大に信頼をしている。
 マリイが侵入した小道は、昔は用水路が流れていた場所で、そこを埋め立てて道路にしていた。家屋もそれに合わせて建てられているので、変に曲がりくねった道筋になっている。アルファはその道をスラロームするように軽快に走行していく。
 あれから後部座席の女は黙りこくったままで、乗車してからずっと窓の外をボンヤリ眺めている。最初にこちらから声をかけた手前もあり、気軽に話しかけられると厄介だと心配していた。
 この女性は、おしゃべり好きなタイプでもないらしく、変に話しかけられることもなく、相手をする必要もなさそうでマリイは安心した。
 ここからは緩やかな右曲がりが続き、舵角を固定したままアルファを走らせていた。そこにエイキチから不意にアラートが入った。ある予感がマリイに思い浮かぶ。
 エイキチからの指示が必要な運搬ではないために、オフにしていた無線を即座につないで「なに?」と、小声でぶっきらぼうに尋ねる。
「おう、用水通りの真ん中あたりだな。ごユルりとしているところ申し訳ないが、飛び込みが入ったから向ってくれ」
 マリイはバックミラーで女をチラリと見上げ、「いいのかよ?」と、エイキチに問う。
「その客は急ぎじゃねえ。終わってからでいい」わかっているくせにと、ハナにかけて言う。
「フーン、どこ行けばいいんだ?」あっさりとした言葉の下に、気持ちの昂ぶりを隠している。
「喜べ、『上客』だ。中央通りの先にある公園前にいる。黒いジャケットの初老の男だ。アシストする」
 最後に最大のご褒美を口にするエイキチに、先にそれを言えとばかりにマリイは舌打ちをする。それをモニターで聞き取り満足げにほくそ笑む。
 エイキチはカラダに不具合があり、ひとりで外出することができない。若者が日がな一日、部屋にこもりっぱなしで仕事をするなど辛いところだが、エイキチはその条件だから働ける。
 オーナーが、エイキチの才能を活かすために用意した仕事だった。エイキチもその恩に報いるために、オーナーから無茶なオーダーがあっても、ここぞとばかりにやりのけてみせた。
「30分後に駅に着きたい。さっきも言ったけど、駅はいま、違法駐車の取り締まり中だ。近づいたらスピードは出せない。その前までが勝負だ」
 元来、手先が器用で、先端技術に明るいエイキチは、情報収集する機器やシステムも自分で設計し、組み立てた。さらに日々、改良にも余念がない。
 パーツはマリイに頼んで出先で仕入れてきてもらっており、カメラへの仕掛けや、無線の設置は、帽子にカメラをつけて画像を飛ばし、エイキチの指示でマリイが取り付ける。その分担は運転と変わらない。
「わかってる。コッチも飛ばしたくってウズウズしてるんだ」
 『上客』とは時間通りに輸送が終われば、給与とは別に金一封が即金で払われる客だ。かったるい運転を続けていたマリイは、俄然やる気が湧いてくる。
 振り向いて女性と目が合うと、承諾したように肯く。それを見てマリイはすぐに前を向き直し言い放つ。
「寄り道するから飛ばすぞ。舌噛まないように口閉じて、シートベルトしてろ」
 そう告げる先から、アルファはグングンと加速していく。即座に女性は言われたとおりにシートベルトを装着しはじめる。
 後部座席であるのに腰に回すタイプではなく、肩からかけるベルトは、この年代のクルマでは標準装備ではない。この仕事用にエイキチが、やはり後付したものだった。
 女性は胸の前のベルトにしがみついて両脚を踏ん張った。一から十まで説明する必要がなく助かるマリイも、寄り道もすぐに快諾することも含め、少し出来過ぎであると違和感が残る。
 今はそんな仔細なことに構っている場合ではない。思考から排除してドライビングに専念するか、もしくは自然と思考から消え去っていく。その状態になれることがマリイに至極の悦びを与えてくれる。
 エンジン音がこれまでとは違った咆哮をあげる。オイルの焼ける匂いが室内にも漂ってくる。アルファの車体がビリビリと細かい振動を震わす。
 道路の少しのギャップも、タイヤからシートに伝わりカラダを弾く。それがマリイのエンジンの回転速度をあげる着火となる。
 アルファと一体になり、マリイの中にはこれまでとは明らかに違う生命が甦ってくる。鼓動を打つ心音はカムの動きと同期し、そこから送り出される血流は、オイルと共に車体の各部に行き渡る。
 ステアリングに添える指先の微妙な動きが、ラックアンドピニオンを通じてホイールを意のままにする。それは足先を波打つようにしたアクセルワークと相まって、車体を自由自在に制御していく。
 目に入る視覚情報と、エイキチからの無線を含む耳に届く聴覚情報。そしてカラダ全体から伝わってくる、すべての情報をマリイが集約し、的確なアウトプットをおこないクルマを操りはじめた。
 そこに他の何ものも介在することなく、クルマと共に、自分が最速で移動する歓びを満たしていくために。

 マリイは人馬一体ならぬ人車一体になっていく。この時を生きるために、他のすべては眠った時間であり、時の流れを放棄しているといっても過言ではなかった。
 この道の行き止まりとなるT字路が迫ってくる。前に1台クルマがいた。猛スピードで近づくアルファを認識したのか、T字路前の一旦停止もあり、道脇にクルマを寄せながら止まろうとしている。
 無線からのエイキチの指示が欲しいところで、絶妙なタイミングで連絡が入る。「ゼロだ!」その言葉を聞き、マリイは減速することなく、前車が開けた右側のスペースにアルファを滑り込ませる。
 キッカケとなるブレーキを踏んでリアをブレイクさせると、一時停止で止まる前のクルマの脇をすり抜け、カウンターを当てつつ、ほとんどスピードを殺さないままに左折をしていく。
 『ゼロ』はその先に、人もクルマもいないという符丁だ。エイキチが指示した通り、進入した道路はオールクリアだった。
 一旦停止していたクルマの運転手は、スタントまがいにクルマが横滑りしていくのを目にして固まっている。タクシー相手に何度も見せつけたテクニックであり、そんな表情をした運転手を何度も見てきた。
 アルファが進入したこの道は、その先にある信号が鬼門となる。大通りに面しているために信号が赤の時間が長い。
 信号に引っかかる前に左折して、大通りに合流しないと2分はロスしてしまう。前にクルマはおらず道はひらけたままだ。
 少しでもスピードを落とさずに進入すして、高いスピードを保ったまま立ち上がり信号までにできるだけマージンを作り出す必要がある。
 遠くに見える信号は、今は赤だ。それを見て、
立ち上がりのスピードを活かしながらさらに加速をしていく。
 マリイでも腰の辺りに浮遊感があるほどで、慣れていないはずの後部席の女も相当な恐怖心があるはずだ。そこに気を配っている余裕はない。
「エイキチッ!!」マリイは、指示を求めマイクにがなった。


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