古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

古天気学 今までの検証結果 1

2013-05-26 06:43:24 | 古天気学
古天気学 今までの検証結果 1

2013年5月26日 日曜日 天気 曇


1.寛政5年1月地震津波の茨城県大洗での新史料発見か

大洗町史の磯浜誌の史料を修正し、寛政5年1月7日 大地震 その夕方潮がことごとく沖に引く。宮城県沖に発生した大地震による津波の茨城県での大変貴重な史料ではないかと思われる。

2.「大三箇倭文神宮社記(おおみかしずじんぐうしゃき)」に明和4年9月30日(西暦1767年10月22日)大地震 数十年覚えの無い地震 この儀度々の地震御座候 と記録がある。

「大三箇倭文神宮社記」に書いてある地震は茨城県で確認され、当日、数度地震があり可なり大きな地震であることが分かる。 茨城県で大変貴重な地震資料と思われる。

3.「大三箇倭文神宮社記(おおみかしずじんぐうしゃき)」に天明3年7月始め(西暦1783年7月1日)信州浅間山鳴り渡り小石砂降り雨の如しと記録がある。{/etc_fire/}

茨城県日立市大甕での大変貴重な7月ごろ浅間山噴火での小石砂が降った記録である。

4.「享保日記」享保2年1月7日(1717年2月17日)・4月3日(5月13日)・4月4日(5月14日)・4月5日(5月15日)・12月8日(1718年1月9日・12月10日(1月11日)の地震について検証してみた。

「享保日記」に記載された享保2年の地震は、茨城県で確認された貴重な資料であることがわかる。

5.「享保日記」(1)星日をつらぬく
享保16年4月4日(1731年5月9日)四月四日、五日両日七ツ時、星日をつらぬくト云。我等ハ見ず。上町ニ而ハ濱嶋傅衛門水かげヲうつして見候と物語候由、桑原稻衛門ニ咄申候。下町ニても尾羽城之介見候と云もの有 (頭注)星月を貫く事ハ年代記などニも見ゆる。日をつらぬく事始て聞 (1)の星日をつらぬくの意味が不明。

(2)彗星出現 享保16年4月24日(1731年5月29日)江戸表ハ此比夜八ツ比ニ、南ニあたるほうき星出候由。是又右同時ニ傅左衛門殿より被②申越①候。 (2)彗星出現では該当する彗星無し。

6.「享保日記」享保日記 享保10年6月に下記のように大星の記録有。

享保10年6月25日(1725年8月3日) 廿五日 且、見なれぬ大星一ツ眞上ニ少南へかかりて見ル。同廿六日明がたノ月かげも右ニ同ジ 大星の意味不明

7.「享保日記」享保10年4月18日(1725年5月29日)申ノ上刻よほどの地震有り。酒やノ酒或は紺やノ藍なども少々ゆりこぼし候由。近キ比ニなき地震也

茨城県での貴重な地震の資料であります。


検証結果をまとめて、また新たな気持ちで 古天気学を取り組んでいきたいです。

古天気学に興味のある方の参加をお願いします。また、コメントをお待ちしております。

次回は、古天気学 今までの検証結果 2 をお楽しみに


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「享保日記」享保三年六月廿八日 天気編

2013-05-25 10:10:06 | 天気
2013年5月25日 土曜日 天気 晴 前夜可なり寒 11℃

「享保日記」享保三年六月廿八日 1718年7月25日

「享保三年六月廿八日、終日大雨也、土用ノ内如(V)此終日雨ふり候事覚無(V)之由、老人も申候。さむき事初冬など
ノ如シ。大かた綿入ノ着物ヲ着ス。老人などハ重ね着ヲもせし也。」
を検証する。

「テータ変換」

年月日 享保三年六月廿八日 1718年7月25日

場所 茨城県水戸市 → 茨城県水戸市

天気種類 大雨 


吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)


享保三年六月廿八日 1718年7月25日
弘前 晴
八戸 曇
盛岡 -
日光 雨
東京 雨
伊勢 晴(雨)
池田 晴
津山 晴
鳥取 雨
長崎 晴

古天気学データベース(KTDB)
データ無

「検証結果」

年月日 享保三年六月廿八日 1718年7月25日 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)天気記録有

場所 茨城県水戸 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)水戸の天気記録無

天気の種類 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)水戸の天気記録無


「データ整理」

弘前 晴  
八戸 曇 
盛岡 -
日光 雨 
水戸 大雨 
東京 雨 
伊勢 晴(雨)
池田 晴 
津山 晴 
鳥取 雨 
長崎 晴 

「検証結論」
上記のように、日光雨・東京雨・水戸大雨の為、関東圏の天気は雨。

「さむき事初冬などノ如シ。大かた綿入ノ着物ヲ着ス」真夏なのにどの位の気温なのでしょうか? (数値化できない悔しさ) 私には知識が無い為不明ですが、

江戸の時代が全般的に気温の低い時代であったことはよく知られています。茨城県でもこの時期に江戸の氷河期であることがわかった。

茨城県水戸市での天気の大変貴重な資料です。 
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「享保日記」享保三年春から夏 天気編

2013-05-24 08:19:54 | 天気
2013年5月24日 金曜日 天気 晴 前夜寒い

「享保日記」享保三年春ヨリ夏

「當戌、春ヨリ夏ニ至寒ムキ事何年ニも覚なし。五月中旬迄臥具等去冬ノ如シ。予老衰ゆへかと被とニ尋ヌルニ、諸人同様ト云々。」

気温を数値化するのには ?

享保時代の日記
1. 日記が記録された場所が一定であること。(江戸・日光・水戸・その他)
2. 一年間毎日天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖・雪・霜・その他)
3. 十数年間天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖・雪・霜・その他)

享保時代と現代との天気・温度を比較検討して月単位・半期単位で気温の数値化が出来るか。これからの課題です。

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「享保日記」享保三年五月朔日 火事編

2013-05-23 09:27:26 | 火事
2013年5月23日 木曜日 天気 晴 

「享保日記」享保三年五月朔日 1718年5月30日

「同五月朔日、晝八ツ時より夜ノ八ツ迄、江戸五郎兵衛町ヨリ出火、北風ニ而芝筋へ焼、芝見付御門迄其外方方へ火うつり、西門跡寺中焼、本堂ハ残り候由。去る四月廿日ノ火事ニハ一倍ほども焼候半由。」を検証する。

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)参考資料
享保三年五月朔日 1718年5月30日
弘前 小雨
八戸 曇(雨)
盛岡 雨
日光 晴(個体降水雹。霰)
東京 晴
伊勢 晴
池田 晴
津山 曇
長崎 晴


古天気学データベース(KTDB)

江戸五郎兵衛町から出火、八丁堀・築地まで焼ける

ネットで色々検索してもヒットしない、出火発生時間や風方向などが書いてありもしかして、新発見の江戸の火事か ?
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「享保日記」享保三年五月朔日 天気編

2013-05-22 09:55:09 | 天気
2013年5月22日 水曜日 天気 晴 

「享保日記」享保三年四月晦日~五月二日 1718年5月29日~5月31日

「四月晦日、五月朔日、二日之朝迄霜降ル。・・・去々申ノ年(正徳六年(1716年8月9日)六月二十二日に改元 享保元年)如(V)此也。此比ノ寒サ冬ノ如シ。」を検証する。

「問題点」

正徳六年五月も寒さが冬のように気温が低いと書かれている。

気温を数値化するのには ?

享保時代の日記
1. 日記が記録された場所が一定であること。(江戸・日光・水戸)
2. 一年間毎日天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖)
3. 十数年間天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖)

享保時代と現代との天気・温度を比較検討して月単位・半期単位で気温の数値化が出来るか。これからの課題です。

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