作品を創ることにおいて―
根本は全部一緒なんだろうけど
芝居をすることと、ダンスをすること
両方経験してみて思ったことが、ある
踊りは 創るときも 舞台のうえでも
芝居よりもっと "個" の作業が多いように感じる
言葉で 『あぁしたい、こうして欲しい』 と伝え
コミュニケーションをとることもなくはないけど
結局埒があかなくなる (笑)
そういう意味では、言葉ではなく 身体で感じる感覚が
絶対的な 決定権を持っているのかもしれません
群舞であれ 独舞であれ インプロであれ 身体の"個"…が
ズバン!と 確立されている・・・
ダンサーの方 どう思われますか?
芝居を創る時は、
おいそれ ダンスのようにはいかんかったとです 笑
意思を言葉にして 相手に投げんことには
始まらんかった
いずれにしても 私は
気持ちを言葉に変換して伝えるのが苦手だった (笑)
今は そうでもないケド
…なんの因果か
人に ”伝える” ことを
仕事に選んでるんですが・・・
ほんとは たくさんたくさん
人と喋りたいのかもしれません
"言葉" で
誰かと、多くの人と繋がり
関わり合いたいのかも しれないですねぇ
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身体を使っての表現となると、パントマイムは形としては具体的やけど、踊りとなると、やっぱりファジィな感じになるよね。だからか、振付家(=演出家?)の要求するのも、具体性にかけるんかな?こういうイメージ、と言われて自分なりに体を動かしてみる。とりあえず。曖昧に対する曖昧な身体の瞬発力。
正解ないから、とりあえず動いてみよう、そこから探していこう、みたいな。表現方法に身体しかないから動きに意識集中するな。
ジャンルにもよるけど、インプロやそれに近いコンテやったら振付家の望むことが、それぞれが自分の個を持って動いてその絡みなり非整合性が旨み要素高し!やったりするからなあ。
動きながら作っていくことも多分にあるし、体が先で、あとからどうしてああ動いたのか?と言葉にしていかなあかんかったりー。
言葉って、ああ言葉って。
笠井さんが私たちに振りを付けてくれはって
それを説明してくれたんだけど
『 これがこうきて こうだから もう、こうなんですよ!!! 』 って言ってて 笑
全然説明になってない~ 笑
でも とどのつまり そういうことなんだろな
「赤いリンゴ」があったとして
これを人に伝えるとき、言葉がありゃ
赤いリンゴ って言えばいいわけで
でも、踊る人に 「あそこにいる人に 赤いリンゴって、踊りで伝えてきてよ」
なんて言おうもんなら さぁ大変
インプロとかさ、してると
その振りに対する
『意図』 は あるんだけど
その意図に基づいてやってる動き自体に
『意味』は ナイ ということが あるよね
ある場合もあるだろうけど、即興で出てくる動きは 細胞がぷちぷち動いていくぐらい瞬時の反応で 自分でも捉えようがない部分がある
振付家がダンサーが持ってる
“個”の、独自のカラダ言語を欲してるときは
ある意味 シメた!!! て 思う
だって、嘘つかなくていいもん 笑
「赤いリンゴ」 を伝えるのに
ピルエット くるくる スパーン☆
なんて 型 いらなくて
曖昧でもいい 自分の独自の言語で表現すればいいわけで・・・
えび語・にけ語 それでok なんて素晴らしい
身体って、ああカラダって☆