<旧東独原発廃炉ルポ>「核のゴミ」24年間未解決
毎日新聞 8月19日(火)22時6分配信
放射能に汚染された部品などを除染する作業員ら
=独北部ルプミンで2014年8月14日、篠田航一撮影 より
【ルプミン(ドイツ北部)で篠田航一】2022年までの「脱原発」を決めたドイツで、旧東ドイツ時代に稼働していたグライフスワルト原発(5基、出力各44万キロワット)の廃炉作業が続く。1990年の運転停止から70年以上かかる困難な作業に加え、敷地内には処分先が決まらない「核のゴミ」が残る。福島原発事故後は日本からの訪問者も目立つという廃炉現場に入った。
上下つなぎの防護服に着替え、用意された靴や帽子で肌を覆い、線量計を持たされて「中間貯蔵施設」に入った。2万平方メートルの巨大倉庫のような建物内に、高さ3~4メートルの円筒形の原子炉圧力容器や蒸気発生器が30体ほど横たわる。
「危険なのでなるべく早く離れて」。ドイツ政府出資の廃炉専門会社「EWN」社のグドルン・オルデンブルク渉外担当副部長から注意され、10分ほどで圧力容器から離れた。2メートルの距離で、被ばく量は毎時50マイクロシーベルト。福島第1原発周辺の線量が高い地域とほぼ同じだ。
解体するには汚染度が高すぎる圧力容器は50年ほど保管し、放射線量が下がるのを待つ。その後の除染作業は、未来の作業員に任せるしかない。廃炉完了までは運転停止から70年以上はかかる計算だ。
別の作業場では防護服姿の約20人の作業員が、建屋廃材などの除染作業をしていた。金属粉や高圧洗浄水を廃材に吹き付け、汚染された表面を削ったり、洗い流したりする。「東独時代に自ら手掛けた原発を自ら壊す。技術者にとってつらい作業だった。でもこの原発を誰より知っているのは自分たちという誇りがある。これも大切な仕事だと今は気持ちを切り替えている」。1977年から働く技術者のハンスゲルト・メンツウェルさん(54)は話す。だが、1日の被ばく量が200マイクロシーベルトに達すると作業は終了となるため、線量の高い部分の除染は簡単に進まない。福島第1原発については「事故を起こしており、通常の廃炉作業より複雑。除染は容易ではない」と指摘した。
ルプミンの原発は、73年に運転を開始し、かつては東独の消費電力の11%をまかなっていた。だが89年のベルリンの壁崩壊後、炉心冷却装置の不備などが次々に発覚し、旧ソ連製原発の安全性への懸念から、90年の東西ドイツ統一を機に廃炉が決まった。
解体部品や廃材は全部で180万トン。うち60万トンが放射性物質に汚染されており、現在までに解体や除染に30億ユーロ(約4100億円)が投じられた。
最大の問題は、廃炉後の放射性廃棄物の処分先だ。中間貯蔵施設の一角に、コンクリート壁に囲まれた立ち入り禁止地区があった。内側には行き場のない高レベル放射性廃棄物の使用済み核燃料が残る。
中・低レベル放射性廃棄物は19年ごろ以降、独中部コンラート処分場の地下に埋められる予定だが、半減期が数万年のものもある高レベル放射性廃棄物の搬入先は未定だ。政府は昨年、国内唯一の候補地だった北部ゴアレーベンの最終処分場について、計画の白紙撤回を決め、最終的な選定は31年までかかる見通しだ。
オルデンブルク副部長は言う。「廃炉への道のりは平たんではないが、誰も避けて通れない。原発を造る国もやめる国も、同じ課題に向き合っている」
※ジジイのたわごと
原発は、作るのも廃棄処分にするのも、大変だ!!特に廃棄処分方法は、専門家によって、廃棄処分の簡素化を研究してもらう必要がありそうだけどな!!素人は黙ってろ!!・・・・すいません!!
※本日最後のブログです