美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

日本現代史の象徴 大連 中山広場|美の五色 ~近代建築群は歴史の生き証人

2018年12月06日 | 城・屋敷・歴史遺産

中国・大連を訪れました。大連は、戦前に租借地として日本が統治し、旧:満州国経営の一大拠点としていた都市です。市内の中心にある中山広場(ちゅうざんひろば)を取り囲む近代建築群には、そんな歴史の重みを感じさせる美しい景観がのこされています。

  • 数多くのこされた近代建築が、街並のエキゾチックな趣を形成している
  • 上海のバンド(外灘)と並ぶ中国有数の美しい近代建築群
  • 日本の現代史を物語るこのような稀有な空間は、日本にない


大連には現在も多数の日系企業が進出しており、日本との関係の強さは今も昔も変わっていません。そんな歴史の生き証人でもある中山広場をゆっくり歩いてみました。


旧:大連ヤマトホテル

大連は意外なことに、中国ではかなり歴史が浅い都市です。1898年にロシアが旅順と大連を租借し、街の建設を始める以前は歴史にもほとんど登場しないような一寒村でした。ロシアは極東経営の拠点として、冬にも凍らず水深が深い天然の良港に目を付けたのです。大連市街から西へ50kmほど離れた遼東半島の先端にある旅順は軍港として、大連は貿易港として、ロシアによって街づくりが進んで行きます。

日露戦争を講和するポーツマス条約により、1905(明治38)年に旅順と大連の租借権はロシアから日本に譲渡されます。1945(昭和20)年の終戦までの40年間は、日本によって街づくりが進められました。


レトロな市電

大連の中心部は、中山広場のように広場から放射状に広がる道路と街割りが目立ちます。ロシアがパリをモデルに街割りを形成した名残です。市街戦や空襲を免れたことで歴史的建造物が多く残され、独特のエキゾチックな街の趣を醸し出しています。


中山広場から見る大連の摩天楼

中山広場は直径200mもある巨大な円形で、外周はロータリー交差点として膨大な数の自動車が行き交っています。広場の周囲には、日本一高いビルである大阪のあべのハルカスの高さ300mを優に超す超高層ビルが林立しています。低層の近代建築群の借景となるようにそびえたつ光景は、中国の経済成長のすさまじさを象徴しているように感じられます。

【Wikipediaの画像】 大連中山広場近代建築群

中山広場からは10本の道路が放射状に広がっており、各道路の間に10棟の歴史的建造物が建っています。最も古い建物は、大連のメインストリート・中山路の南側にある旧:大連民政署(現:遼寧省対外貿易経済合作庁)です。日本による大連統治の行政機関で、1908(明治41)年に建てられました。中山広場の近代建築群の中では唯一の赤レンガの建物で、オランダ風のデザインが印象的です。

中山路をはさんで旧:大連民政署の北側にある旧:朝鮮銀行大連支店(現:中国工商銀行中山広場支行)は、正面玄関の石柱が凛々しい1920年のルネサンス様式の建築です。

朝鮮銀行は、日本による旧朝鮮植民地の中央銀行で、現在のあおぞら銀行(旧:日本債券信用銀行)の前身です。中山広場近くに本社のあった満鉄(南満洲鉄道株式会社)、中山広場にある旧:東洋拓殖株式会社大連支店(現:交通銀行大連市分行)と旧:横浜正金銀行大連支店(現:中国銀行遼寧省分行)とともに、日本の中国東北部経営をリードした国策会社の中心オフィスでした。


旧横浜正金銀行大連支店

中山広場の北側には、ガラス張りの巨大ビルを借景にした旧:横浜正金銀行大連支店があります。ガラス張りの巨大ビルは、この建物のオーナーである中国銀行のオフィスです。日本統治時代の中心的な銀行オフィスを見下ろすように建てられていることに、現代の中国の存在感を如実に感じます。

建物はロシア風ですが、横浜の旧:正金銀行本店(現:神奈川県立歴史博物館)や旧:横浜新港埠頭倉庫(現:赤レンガ倉庫)を設計した妻木頼黄(つまきよりなか)による設計です。

中山広場の南側には、日本人にとって最も郷愁をそそられる重厚な石造りの旧:大連ヤマトホテル(現:大連賓館ホテル)があります。満鉄が欧米の最高級ホテルに伍するよう威信をかけて作り上げたホテルで、1914(大正3)年に竣工しました。

当時の日本人にとっては、満州という新天地へのゲートウエイとなる宿泊施設で、日本による満州国経営の象徴的な存在でした。100年に渡ってホテルとしての営業し、内部の見学ツアーも行ってきましたが、2017年に休業しています。2019年に修復工事を経て営業が再開されるという報道があります。大連の歴史的建造物の象徴でもあり、ホテルと内部見学ツアーの営業再開を待ちたいものです。



中山広場を歩いてみて、近代の日本と中国の関係を物語る遺跡が如実にのこされていることに、あらためて気持ちを深くしました。中山広場の近代建築群は、現在も現役のオフィスとして使われており、観光目的で室内の見学はできません。外観だけから往時をしのぶことになりますが、室内を見られないだけにかえってノスタルジック感を強めます。

日本が”一等国”であることを世界に強烈に主張していた戦前の面影は、日本国内にはここまでのこっていません。歴史の足跡を国外に求めなければならないのは、世界でもよくある宿命です。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



戦前の日本政治を生き写した中国の三都市の物語

________________________________

中山広場
(中華人民共和国遼寧省大連市)
【日本人観光客向け大連観光情報サイト】大連PRESSによる観光案内
【大連市観光極公式日本語サイト】 中山広場

※見学に条件はありません。いつでも無料で拝観・見学できます。



◆おすすめ交通機関◆

大連地下鉄2号線「中山広場」駅下車、徒歩1分
大連周水子国際空港から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:45分
大連周水子国際空港(大连周水子国际机场)→機場駅(机场站)→大連地下鉄2号線(大连地铁2号线)→中山広場駅(中山广场站)


________________________________

→ 「美の五色」とは ~特徴と主催者について
→ 「美の五色」 サイトポリシー
→ 「美の五色」ジャンル別ページ 索引 Portal


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奇想の系譜|名著レビュー|... | トップ | 大連 現代博物館|美の五色 ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

城・屋敷・歴史遺産」カテゴリの最新記事