美術品や文化財を鑑賞し、その作品がうまれた背景や美しい理由への理解を深める目的で、専門用語の「意味」を説明する用語集を作成していきます。
- 美術鑑賞や歴史理解の目的に絞って説明しています。
- 客観性や定説が定まっていない場合、その旨を記します。
- いまさら聞けない「漢字の読み方」も表記します。
- 当サイト内コンテンツから容易にこの用語集を参照できるようリンクを張っていきます。
- 当サイト内コンテンツの拡充に合わせ、この用語集も拡充していきます。
寝殿造(しんでんづくり)
平安時代から室町時代にかけてのおもに「中世」と呼ばれる時代の上流階級の住宅の建築様式です。寺院や神社、政庁、庶民の住宅建築には該当しません。遣唐使の廃止で大陸文化ではなく独自の「国風文化」が発展するに伴って、成立していきました。そのため現代の和風住宅の原点となる様式でもあります。大陸文化の影響が強かった奈良時代の建築様式から寝殿造になってどのように変わったのかを整理します。
中国大陸風 | 奈良時代 | 平安時代以降の寝殿造 | |
屋内の下面 | 土間 | 板張りの床(地面から少し高い) | |
屋内での履物 | 脱がない | 脱ぐ | |
屋内での着座 | 椅子に腰かける | 床に座る(男女とも胡坐、立膝) | |
屋根 | 瓦葺 | 檜皮葺 | |
柱の塗装 | 朱・丹土塗 | しない | |
屋外との仕切り | 壁と扉 | 開放可能な扉や戸(壁がない) | |
屋内の部屋の仕切り | 壁と扉 | 仕切りがない(部屋が1つだけ) |
寝殿造は貴族の邸宅のイメージが強いですが、実際は武士も含めた上流階級の住宅の基本的なスタイルでした。武士の住宅を「武家造」と区別する場合もありますが、貴族の邸宅を簡素化したもので、基本的には寝殿造りのスタイルに属します。
中世を舞台にしたNHK大河ドラマでは、以下のようなシーンがよく出てきますが、まさに現代に考えられている寝殿造の特徴を時代考証したものです。
- 壁がなく庭が見渡せる大きな広間である「母屋(もや))で主人を囲んで談笑している
- 身分の低い者は庭にひざまずいて高貴な人に謁見している
- 広間(母屋)では屏風など移動可能な障屏具で仕切った空間で殿方や女官がそれぞれ過ごしている
- 隣接する部屋、すなわち隣接する建物とは渡り廊下でつながっている
寝殿造の時代の臣従儀礼において、建物に面する庭は従者が臣に謁見する場でした。そのため庭には装飾は一切なく、多くの人が集まることができる西洋の広場のような概念でした。室町時代になって臣従儀礼や客人との面会が床上で行われるようになると、建物に面する庭は縁側や部屋から装飾を楽しむ場に変容していきます。
寝殿造の基本形、中心の大きな広間「母屋」とそれを取り囲む「庇(ひさし)」
屋外や部屋の仕切りがないというとても開放的な構造が、中国や西洋文化と決定的に異なります。皆で共通の価値観の元に一致団結してコトを進める “草食”的価値観が、平安時代の上流階級の建築様式にも反映されていたような気がしてなりません。
個人のプライバシーよりも集団の和が重視される価値観は、現代の住宅でも「川の字になって親子が一つの部屋で寝る」ことに現されるように継承されています。「川の字で寝る」のはグローバルではとても稀有です。建築様式の変遷には民族の文化が反映されているためとても興味深いものがあります。
京都御所の紫宸殿、寝殿造のように壁がない
室町時代以前の上流階級の住宅としての寝殿造は現存していません。応仁の乱や戦国時代の焼失でほぼ完全に失われてしまったと考えられます。現存する京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」は幕末の再建ですが、平安時代の寝殿造の趣が復古的に多用されています。紫宸殿は重要な儀式を行う“最高格式の宮殿”です。
一方プライベートな住宅である「御常御殿(おつねごてん)」は、数寄屋造りが多用されています。寝殿造は中世の象徴であり、現実の生活にはそぐわないと認識されていたことがよくわかります。
【Wikipediaへのリンク】 寝殿造
【Wikipediaへのリンク】 武家造
【Wikipediaへのリンク】 母屋
【Wikipediaへのリンク】 庇(ひさし)