川原寺址に建つ弘福寺
川原寺(かわらでら)は飛鳥時代に創建された、薬師寺などと並ぶ巨大寺院でした。現在は発掘調査で確認された伽藍の址(あと)だけを確認することができます。
薬師寺など他の巨大寺院は、平城京遷都に際して飛鳥から移転しますが、川原寺だけは移転しませんでした。日本書紀にも川原寺だけ記述はなく、謎に包まれた寺です。しかし址地の大きさを見ると、壮麗な伽藍だったことは容易に想像できます。飛鳥らしいロマンに包まれた寺の址です。
川原寺は、法興寺(現:元興寺)、薬師寺、大官大寺(現:大安寺)とともに飛鳥の四大寺に数えられていました。7c半ばの天智天皇の頃の創建と推測されています。塔が一つ、金堂が二つある「川原寺式伽藍配置」と呼ばれる独特の伽藍は南北300m以上あり、当時では国家権力の後押しがなければ造れない規模と言えます。
【公式サイトの画像】 飛鳥資料館 第一展示室 川原寺伽藍復元模型
平城京遷都後も飛鳥に残った川原寺は、室町時代まで続いていたと考えられています。江戸時代になって跡地に「弘福寺(ぐふくじ)」が建立され、今に至っています。
川原寺址の空間はとても大きい、右手に見えるのは橘寺
伽藍の跡地は広大で現在は芝生に覆われています。その中に西金堂・中門・南大門・塔の址が目視できるよう復元されており、1,400年前にたくさんの人々が往来していた姿をしのぶことができます。
飛鳥は、日本のどこにでもある里山風景のように建物が点在して見えるだけです。そのため空の大きさを無意識に味わうことができます。川原寺の広大な伽藍址には、空の大きさの魅力に積み重ねた時間の長さが重なり合っています。日本という国の原点をうかがうことができます。
塔の基壇跡
間近に迫った春は、飛鳥をウォーキングやサイクリングでゆっくり訪ねる最適な季節です。昼食はレストランを利用するのではなく、ぜひ弁当を持参してください。跡地に座って弁当を食べていると、その横を飛鳥人が通り過ぎていくような錯覚に包まれます。
川原寺は他の飛鳥の巨大寺院とは異なり、国家賢慮運との何らかのトラブルがあったと私は考えています。唯一、平城京に移転していない、正史に記録されていないからです。川原寺址は歴史の結果を今に伝えています。飛鳥には悠久の時間が脈々と流れています。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
古代の権力者は建築で何をプレゼンしたのか?
川原寺跡:弘福寺(奈良県観光公式サイト)
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/03east_area/kawaharadera/
※弘福寺境内以外の遺構は無料で自由に立ち入ることができます。
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