神戸・舞子(まいこ)は明石海峡をのぞむ景勝地で、戦前は富裕層の別荘街でした。明石海峡大橋ができて風景は一変しましたが、巨大な橋のたもとに美しい洋館が佇んでいることはあまり知られていません。孫文(そんぶん)記念館です。
- 1915(大正4)年建築の日本最古のコンクリートブロック造建築で重要文化財
- 元は神戸華僑の別荘で、孫文が神戸に亡命した際の歓迎会場として使われた
- 日本では唯一の孫文の博物館、孫文の支援者たちや神戸華僑に関する展示が充実
- 近代中国をしのばせる上質な内装と、明石海峡をのぞむ絶景が素晴らしい
戦前の古き良き神戸文化に加え、日中の深いつながりを学ぶことができます。太平洋戦争の戦災や阪神大審査の被害も免れた歴史の生き証人です。
附属棟2Fの廊下からのぞむ明石海峡
孫文記念館は、重要文化財に指定されている移情閣(いじょうかく)と、明治半ばの煉瓦づくり建築の附属棟の二棟が展示スペースになっています。神戸華僑の大物・呉錦堂が別荘として建築し、当初は現在地から北東に200mほど離れたところにありました。明石海峡大橋の建設に伴って2000年に現在地に移築されます。
移情閣と附属棟はかなり強運の持ち主です。1928(昭和3)年に国道2号線の拡幅工事で取り壊されそうになりましたが、3F建ての楼閣が海峡を進む船の目印になるため、そのまま残されました。太平洋戦争の空襲にも合わず、阪神大震災の時には移築のために解体されており、難を逃れています。歴史の生き証人と呼ばれるような遺産は、いずれもこのような強運があるからこそ今にのこっています。
右端が移情閣、真ん中が附属棟
附属棟の1Fと2Fでは孫文の生涯、日本における孫文の活動と支援者たち、呉錦堂と神戸華僑の歴史に関する展示が充実しています。事業に成功した神戸華僑がたくさんおり、日本人も含めた多くの神戸人が孫文を支えた時代の様子がとてもよくわかります。富裕層が多かった神戸の中華街だけが、南京町と呼ばれるゆえんに納得できます。
附属棟の室内は洋風で、2Fの赤絨毯の廊下から眺める明石海峡は絶景です。冬でも明るい日差しがとても気分を明るくしてくれます。
階段の壁の緑色の部分が金唐革紙
移情閣のインテリアは近代中国をしのばせます。金唐革紙(きんからかわし)と呼ばれる金箔を押し込んだ最高級の日本の壁紙が、中国風のデザインにもとてもマッチしています。2Fのホールは木の香りが漂う上質な空間です。
金に物を言わせて最高級品ばかりをいたずらにちりばめたような趣は全くなく、公家の邸宅のようにシンプルながらも素材の上質さが目立ちます。神戸華僑はそれだけ豊かで、文化的センスも持ち合わせていたのです。
美しい歴史的な建物が、巨大な現代の人工物に寄り添うように建っています。移転先として適切だったかは賛否両論分かれるでしょう。孫文記念館を東の神戸側から見ると、巨大な橋が必ず視界に入りますが、建物から東の神戸方向の海をのぞむと、海を行きかう船以外の一切の人工物は視界に入りません。景観面での評価は難しいところですが、日中の懸け橋となる大切な重要文化財建築として、末永く人々に愛されることを願ってやみません。
こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。
こんな神戸があったのか
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孫文記念館
【公式サイト】 http://sonbun.or.jp/jp/
原則休館日:年末年始、12/29-1/3
入館(拝観)受付時間:10:00~16:30
◆おすすめ交通機関◆
JR神戸線「舞子」駅下車、南口から徒歩5分
山陽電鉄「舞子公園」駅下車、南口から徒歩8分
JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:60分
大阪駅→JR神戸線→舞子駅
【公式サイト】 アクセス案内
※この施設には有料の駐車場があります。
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